10・嵐の中で
早朝にクレイドルを出立してから、数刻。馬上で空を睨んでいたウィオルは、手綱を引いて馬を止めた。
「どうしたの?」
何もない平原で立ち止まった馬に、有紗が不思議そうな顔をする。
ウィオルは西の空を指差した。
西の空は真っ暗で、時折閃光が瞬いている。遠くて音は聞こえないが、雷だ。
「嵐が来る」
この北の地で嵐といえば雪嵐だ。
暴風と横殴りの雪と雷が一度に押し寄せる。
裸馬で戦うのは無謀に過ぎる。
方向を変えて二人と一匹は一路東を目指した。
辿り着いた雪山で、ウィオルは程なく岩場の穴ぐらを発見した。
そこを今日の宿と定め、馬を繋いで火を起こした。
器用に枯れ枝を使って焚き火を作るウィオルを有紗が物珍しげに眺めている。
「慣れてるんだ」
「まあ。散々野営とかやって来たしな」
クレイドルの衛士は、真っ先に野営の仕方を仕込まれる。
万が一雪や嵐のせいで遭難したとき、少しでも生存率を上げるためだ。
まずは隠れ場所、次に火を確保する。口にできるものがあれば、なるべく栄養補給もしっかりと。
……残念ながら、急に出発したので装備は十分とは言いがたい。食料もウィオルの居室に非常食として置いていた物くらいである。
沸かした熱い飲み物をゆっくり口にしながら、薪のはぜる音を聞く。
穴ぐらの入り口から眺めれば、見る間に天気が悪化した外は吹き付ける風に巻き上げられた雪嵐で、前が見えない。
間一髪であったとウィオルが胸を撫で下ろしていると、膝を抱えて座った有紗がふと呟いた。
「ウィオルさん」
「何」
ウィオルが返り見れば、視線を膝に落としたまま、有紗は小首をかしげた。
「ウィオルさんの故郷って、どんなところ」
「……そうだな」
ウィオルはここ十年は帰っていない町を思い浮かべた。
ごちゃごちゃした秩序のない町。路地裏には家のない子供がたむろし、港には漁師の威勢のいい声が響く。
天気のいい日には市が立って、呼び込みに精を出す。
「煩いところだ。異国からの旅人も多い」
「賑やかなところ?」
「そうだな」
「海は綺麗?」
「魚が採れる位には」
そう、と答え、まだ見ぬ土地を思い浮かべるように遠い目をした有紗がひどく小さく見えて、ウィオルは瞬く。
そういえば、と思い出したがウィオルは彼女のことを何も知らなかった。
名前だけを口にして黙りこんだ彼女の静かな拒絶に、踏み込むまいとしていたわけだが、多少は聞いても問題ないだろう。
「そういえば、リサは今何歳なんだ?」
唐突な問いに有紗が顔を上げる。
何故そんなことを聞かれるのだろうというのが、顔にしっかり出ていたが、素直に答える。
「17歳」
「若い……な」
一回り近い年齢差に、ウィオルは苦笑するしかない。彼女から見れば、自分はもうおじさんに違いない。
自分が17歳だった頃に思いを馳せた。衛士になったばかりの頃だ。
やりたい放題やっていた記憶しかない。ろくでもないなと我ながら思う。
思索にふけっていたウィオルは、ふと周りが静かなことに気がついた。見れば焚き火の向こうの女は抱えた膝に顔を伏せ、寝息をたてている。
慣れない旅路で疲れが出たのだろう。彼女に合わせて比較的緩やかな行程だったが、普段から鍛えているウィオルと有紗では体力が違う。
貸した外套がはだけていたので、前を合わせてやろうと何気なく手をのばした。
有紗が目を閉じていると、まだ幼さの残る顔にくっきりと刻まれた隈が目立つ。
安らかとは言い難い寝顔に、彼女がどれほど追い詰められているのかを知る。
せめて夢の中では、心穏やかであればいいと祈った。
ウィオルは火の番をしながら、有紗の頭を撫でた。
嵐の中へ打って出るにはあまりに脆弱な彼女を、一人放り出さずに済んでよかった。心からそう思う。




