9・外へ
馬に乗るのは初めてだった。
クレイドルから出るに辺り、隊舎の厩舎から当然のように馬を引き出したウィオルに、これでは馬泥棒だといえば、ウィオルは「退職金代わりだ」さらりと宣った。
そういうものだろうか。
ウィオルの助けを借りて馬の背に跨がった有紗は、その視線の高さに驚いた
目の前が開けたような気がする。
つい辺りを見回していると、有紗の後ろに跨がったウィオルが小さく笑う。
「馬は初めて?」
「私の故郷には居なかったから」
有紗が答えれば、「町生まれか」とウィオルが呟いた。
曖昧に口許を歪めて誤魔化す。ウィオルもそれ以上は突っ込んでは来なかった。
……本当は田舎の生まれだ。山と川と、田んぼと畑ばかりの町で育ったのだ。
認識の違いに、ここが異郷であるのだとひしひしと感じる。
違う世界から来たのだと、ウィオルには言っていない。
身の上話と呼べるものは、何一つ彼にはしていなかった。
ずっと黙ったままでいると、そう決めた。
ウィオルは腕の間に有紗がすっぽり収まるような形で手綱を取った。
「鞍がなくて悪いな」
そう謝られて初めて、鞍がないことに気がつく。
乗馬には鞍が必要という発想さえなかった。
「リサ、外套の前を合わせておいて」
そんな風に彼が言う。これから飛ばすぞ、という意味らしい。
そう言えば、ウィオルは未だに有紗のことをリサと呼ぶ。
名前だけは名乗ったのだが、呼び慣れてしまったからと変える気はないらしい。
リサという略しかたは今までされたことがなかったので、少しくすぐったい。
思えばこの世界に来てから、巫女様としか呼ばれなかった。名前で呼んでくれたのは、ウィオルが初めてなのだ。
そう思うと、じくりと胸が痛んだ。
それに気がつかないふりをして前を向く。
ウィオルが手綱をさばくと、雪に慣れた馬は真っ白な雪原に飛び出した。危なげもなく目印のない丘を越えていく。
有紗は遠ざかっていくクレイドルの地を返り見た。
みるみる遠くなる景色は、そこで過ごした日々を隠すように雪で白く掻き消されていく。
きっともう二度とこの場所に来ることはないだろう。
息を吐いた有紗は正面に向き直った。
借りた外套越しの背中に温かさを感じる。
見上げた曇天からは絶えず雪が零れてくるのに、ここだけは暖かい気がした 。




