第7報 未象
魔法具店のカウンターに、ずしりと重い金貨の袋を置いた。
店主は俺の顔を見るなり、奥の棚からベルベット張りの小箱を取り出す。
「毎度あり。これで、しばらくは安心だな」
「ああ」
小箱を受け取り、中身を確認する。
淡い光を放つ、乳白色の石。
高純度の魔力の結晶、〈賢者の石〉だ。
これ1粒で、並の冒険者の年収が軽く吹き飛ぶ。
今回命がけで稼いだ金も、ほとんど残らなかった。
だが、必要なものだ。
小箱を懐へしまい、店を出る。
古い石造りの街並みを、夕焼けが赤く染めていた。
家の扉を開けると、シチューの匂いと明るい声が俺を出迎えた。
「お兄ちゃん、おかえり! 遅かったね!」
妹のセラが、エプロン姿のままリビングから顔を出す。
顔色は少し青白い。
だが、その瞳には快活な光が宿っていた。
「ただいま。少し野暮用があってな」
「またエリフィアさんに呼び出されてたんでしょ。お兄ちゃん、昔からエリフィアさんには頭が上がらないもんね」
「上がらないんじゃない。上げると面倒が増えるだけだ」
「それ、頭が上がらないって言うんだよ」
セラは楽しそうに笑い、キッチンへ戻っていく。
その笑顔を見ただけで、ダンジョンで張り詰めていたものが少し緩んだ。
セラは魔素欠乏症という難病を抱えている。
だが、〈賢者の石〉を定期的に服用していれば、こうして健常者と変わらない生活を送ることができる。
この日常を守る。
そのために俺は金を稼いでいる。
「今日の夕飯はシチューだよ。お兄ちゃんの好きなお肉もいっぱい入ってるからね!」
「お、やったぜ」
セラが不思議そうに俺を見る。
「どうした?」
「いつもなら『お前の好きな焦げた野菜もな』とか、嫌なこと言うのに。具合悪いの?」
「お前は十分優しいよ」
「そうそう、その気持ち悪い感じ。早くお風呂入ってきて!」
「嫌味じゃなくなってるぞ」
俺は促されるまま、風呂場へ向かった。
身体にこびりついた死臭迷彩を薬液で洗い流す。
鏡に映った顔はひどく疲れていた。
ゴードンに殴られた頬も、まだ少し腫れている。
だが、家の中から聞こえるセラの鼻歌を聞いていると、それも大したことではないように思えた。
***
同じ頃。
冒険者ギルド最上階の会議室には、重苦しい沈黙が満ちていた。
ギルドマスターのエリフィアは、副ギルドマスターのゴードンと数名の幹部を前に、報告書を閉じた。
「――以上が、A級パーティ〈ブレイジング・スターズ〉壊滅事件に関して、現在までに確認された事実だよ」
卓上には、アレンとカイルから回収された2つの魂魄器官が、専用の保存容器に収められていた。
その隣には、回収された魂魄装備。
そして、神殿が作成した鑑定報告書が置かれている。
「魂魄が変形しているだと?」
最初に声を上げたのは、ゴードンだった。
報告書を乱暴に卓上へ叩きつける。
「馬鹿な。そんなことがあるものか!」
「神殿の鑑定結果だよ」
「鑑定ミスだ! あるいは、あの死体清掃員が魂魄器官へ何か細工をしたに違いない!」
「『特殊回収員』だ、ゴードン氏」
エリフィアが静かに訂正する。
「ギルドが正式に契約し、危険階層へ同行させている専門職だよ」
「呼び方などどうでもいい! 奴が何かしたから、こんな異常な結果が出たのだ!」
エリフィアは反論せず、卓上の保存容器を指した。
「魂魄器官には傷ひとつない。魂魄装備にも損傷はない」
「ならば、なぜ紐付けを解除できない!」
「魂魄が変形しているからだよ」
ゴードンの顔が引きつった。
会議室にいた誰もが、すぐには言葉を発せなかった。
魂魄は変わらない。
肉体が傷ついても。
四肢を失っても。
病に侵されても。
精神を壊されても。
その者の魂魄は、誕生した時から死ぬまで、同じ形を保ち続ける。
だから魂魄装備は、他人ではなく持ち主だけに強大な力を与える。
だから持ち主が死んだあとも、壊れていない魂魄器官があれば、紐付けを正しく解除できる。
魂魄が変形するなど、前提そのものが崩れなければ起こり得ない。
「神殿は術者を変えて3度鑑定した」
エリフィアの声から、普段の軽さが消えていた。
「使用した鑑定具も交換している。だが、結果はすべて同じだ。アレン氏とカイル氏の魂魄は、本来の形から歪められている」
「呪いではないのか?」
幹部の1人が尋ねた。
「既知の呪術反応は検出されていない」
「精神干渉は?」
「魂魄の形そのものを変える精神魔法など、記録に存在しないよ」
「古代魔術の可能性は?」
「否定はできない。だが、少なくとも神殿の資料にも、ギルドの記録にも前例はなかった」
会議室が再び静まり返る。
肉体の異常死だけなら、未知の魔物や魔法で説明できるかもしれない。
だが、魂魄は別だ。
魂魄が変形したという事実は、強力な魔法が使われたという話ではない。
これまで変わらないと信じられてきたものが、変えられたということだ。
「ありえん……」
ゴードンが低く呟く。
「ありえないことが起きた。だから我々は集まっている」
エリフィアは保存容器から視線を外し、出席者たちを見渡した。
「目的を確認しよう。我々が最優先で対処すべきなのは、同様の被害を増やさないことだ。魂魄の変形が何を意味するのかは、現時点ではわからない。だが、ブレイジング・スターズが通常の戦闘で壊滅したのではないことだけは明らかだよ」
「唯一の証言者は、あの男だけだろう!」
ゴードンが声を荒らげる。
「腕が勝手に首を絞めた。自分の矢で身体を貫いた。意味不明な模様を見た。そんな戯言を信じるのか!」
「信じるかどうかではないよ」
エリフィアは1枚の紙を取り上げた。
「彼の証言と、回収物に残った事実が一致している。無視する理由がない」
「奴がアレンたちを殺した可能性は残っている!」
「では、リカルド氏がどのように魂魄を変形させたのか、説明してくれるかな?」
「それは……」
「神殿にも再現できず、記録にも存在しない現象を、彼が自由に起こせると?」
「何らかの卑劣な手段を――」
「そのうえで聖女様だけを救助し、アレン氏とカイル氏の魂魄装備をすべて申告し、魂魄器官まで無傷で持ち帰ったわけか」
エリフィアが別の書類を卓上へ置いた。
特殊回収員リカルドの業務記録だった。
「彼はこれまで、契約外の装備を横領したことが一度もない。報告に虚偽が認められたこともない。今回回収された魂魄器官も、専門の回収担当が驚くほど良好な状態だった」
「金に汚い男だぞ!」
「契約報酬にうるさいことと、盗みを働くことは同じではないよ」
「奴は死体を漁って金を稼ぐ人間だ!」
「それが仕事だからね」
「ヤツはただのD級冒険者だぞ!」
エリフィアは、その言葉を受けて、リカルドの冒険者カード情報を皆に見せた。
「その通り。D級だね。スキルも【隠密】。極めて凡庸だ。だが……」
次に、特殊回収員としての業務評価を皆に見せた。
回収成功率。
報告精度。
危険階層への同行実績。
契約外物品の申告率。
魂魄器官の回収状態。
すべての項目に、最高評価『S』が並んでいる。
「特殊回収員としては、S級だ。明らかに『ただのD級冒険者』ではないね」
会議室がざわつく。
「なんと、そんなに優秀だったのか」
「【隠密】だぞ? それで31階層までついていったというのか?」
「こうなると、冒険者としてのD級も過小評価なのではないか?」
ゴードンが言葉を失う。
エリフィアは淡々と続けた。
「彼がいなければ、アレン氏とカイル氏の魂魄装備は紐付けを解除できない原因すらわからないまま失われていた。魂魄の変形という事実も、発見できなかっただろう」
「たしかに……」
幹部の1人が、リカルドの業務記録へ目を落とした。
「アレンは自分の腕で首を絞めたのだろう。その状態から魂魄器官を無傷で回収したのか」
「カイルに至っては、胸を何本もの矢で貫かれていたとある。それで無傷で回収など、不可能に近いぞ。」
「しかも2人分の回収を、魂魄が崩壊する前に行ったというのか」
「特殊回収員とは、そこまでの技術を持つものなのか?」
「全員が、というわけではないよ」
エリフィアは薄く笑った。
「彼が特に優秀なのさ」
幹部たちの間に、先ほどとは異なるざわめきが広がった。
「彼が失敗したという報告は、たしかに聞いたことがない」
「特殊回収員など形骸化した制度だと思っていたが……」
「A級パーティが壊滅した現場から、本当に魂魄器官を2つとも無傷で持ち帰るとは」
「聖女様まで救出している」
「契約金が高いと聞いていたが、むしろ安いのではないか?」
ゴードンが忌々しげに舌打ちした。
エリフィアはそれを一瞥した。
「ああ、脱線したね。リカルド氏が優秀かどうかは今は問題ではない」
それから古びた紙束を取り出した。
表紙には『未分類事象』とだけ記されている。
「今回の件を受けて、過去の記録を洗い直した。すると、ギルド創設以来、ごく少数だが、既存の魔物や魔術では説明できない事件が報告されていた」
紙束をめくり、ある記録を読み上げる。
「対象は、自らの身体の一部を用いて死亡。戦闘および抵抗の痕跡なし。既知の魔術、呪術、魔物の残滓は検出されず」
誰かが小さく息を呑んだ。
「今回と似ている……」
「うん、そうだね」
エリフィアは記録を閉じた。
「過去の事例では、詳しい調査が行われないまま、原因不明の事故として処理されている。だが今回は、肉体だけでなく、魂魄の変形という証拠が残った」
彼女は、アレンとカイルの魂魄器官が収められた容器を見る。
「何か、我々の知らない異常が起きている。これを放置はできない」
エリフィアは出席者全員を見渡した。
「これより、ギルドは緊急対策体制へ移行する。既存の分類に属さない、原因不明の異常現象を『未分類事象』――略して未象と呼称し、専門の調査体制を設ける」




