第5報 生き残った死体清掃員
ディーナの手を引いて、どれだけ階段を駆け上がっただろうか。
背後から聞こえていた奇妙な不協和音は、いつの間にか聞こえなくなっていた。だが、俺の足は止まらない。
あの階層から、1秒でも早く離れたかった。
気配は遠ざかった。
だが、危険が終わったわけではない。
いまだ呆然としているディーナに死臭迷彩を施し、俺は【隠密】を維持したまま出口を目指した。
やがて、ダンジョンの出口へと続く昇降機が見えた。
迷わず乗り込む。
昇降機から降りてきた俺たちを見て、警備兵が固まった。
「……おい、あれ」
「聖女様……?」
「後ろの背嚢、魂魄回収袋じゃないか?」
「待て。ブレイジング・スターズの他のメンバーはどうした?」
周囲の冒険者たちが、一斉にこちらを振り返る。
俺は近くの警備兵へ、端的に告げた。
「ブレイジング・スターズは壊滅。アレンとカイルの魂魄装備と魂魄器官は回収した。聖女ディーナは救出したが、意識が不安定だ。あとは頼む」
「……魂魄器官を回収した?」
「ああ」
「2人分ともか?」
「そうだ」
「壊れてないのか?」
「確認した。傷はない」
一瞬、音が消えた。
「A級冒険者2人分を、無傷で……?」
「しかも聖女様まで連れて帰ったのか?」
「ブレイジング・スターズが壊滅した状況で?」
「底辺の死体清掃員が……?」
驚きと疑念と恐怖が、ざわめきとなって広がっていく。
誰かが走り出した。
誰かがディーナを支え、医務室へ連れていく。
警備兵の1人は俺の背嚢を見たまま、しばらく動かなかった。
その重さを、俺はまだ背負っている。
アレンとカイルの魂魄器官。
回収した魂魄装備。
第13階層で起きた、意味不明な異常の手掛かり。
「……仕事は終わったな」
誰に言うでもなく呟いた。
その瞬間、張り詰めていた糸が切れた。
膝から力が抜ける。
誰かの声が遠くなり、地上の光が白く滲んだ。
俺の意識は、ゆっくりと暗闇へ沈んでいった。
***
――バシャッ。
「うっ……」
顔に冷たい水を浴びせられた。
目を開けると、薄暗い部屋にいた。
手首には魔力拘束具がはめられ、足首も椅子へ固定されている。
腹が痛い。
頬も熱を持っている。
眠っている間にも、何発か殴られたらしい。
「――目が覚めたか、クズが」
目の前に座る男が、吐き捨てるように言った。
副ギルドマスターのゴードンだ。
顔には深い皺が刻まれ、その瞳は汚物でも見るかのように俺を蔑んでいる。
「A級パーティ〈ブレイジング・スターズ〉が壊滅。その中で、お前のような底辺職の死体清掃員と、聖女ディーナだけが生き残った。状況は理解しているな?」
「……ああ」
俺が短く答えると、ゴードンはゆっくりと立ち上がった。
何の予備動作もなく、拳が腹へめり込む。
「ぐっ……!」
拘束具で椅子へ固定されているため、衝撃を逃がせない。
腹の底から胃液がせり上がってくる。
「なんだ、その返事は。聖女様は昏睡している。唯一まともに話せるのは、お前だけなんだよ」
ゴードンは俺の髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。
「お前がやったんだろう? 彼らの魂魄装備を奪うために、何らかの罠を仕掛けた。違うか?」
「違う」
「死体清掃員風情が、A級冒険者を差し置いて生き残るわけがないだろうが!」
顔に唾が飛ぶ。
俺は瞬きを1つだけした。
「なぜお前は生き残った! 説明してみろ!」
俺は見たままを、淡々と報告した。
不自然に捻れたオークの死体。
アレンの腕が変質し、自らの首を絞めたこと。
カイルが自分の矢で全身を貫いていたこと。
メリルが精神を壊され、子供のように鼻歌を歌っていたこと。
そして、あの異様な不協和音と、幾何学模様。
ゴードンは俺の話を聞き終えると、腹を抱えて笑い出した。
「はっ! 腕が蔓のように? 全身が矢で串刺しに? 子供の絵本でも、もう少しマシな作り話を書くぞ。貴様、我々を馬鹿にしているのか?」
「事実だ」
「まだ言うか!」
拳が頬へ飛んできた。
口の中に鉄の味が広がる。
(わかりやすいやつだ)
アレンたちは、不自然なほどゴードンと懇意にしていた。
依頼。
装備の融通。
民衆向けの宣伝。
パーティからゴードンへ、個人的な金が動いているのは明らかだった。
(金づるがなくなった憂さ晴らしか)
もっとも、他人の金のことなど知ったことではない。
「吐くものがあるなら、今のうちに吐いておけ。さもなくば、ギルドの地下牢で蛆虫に食われることになるぞ」
ゴードンが不気味な笑みを浮かべる。
その時だった。
「さて、牢に入るのはどちらかな」
尋問室の扉が開いた。
ギルドマスター、エリフィアだ。
ゴードンの顔から、わずかに血の気が引いた。
「ギルドマスター! これは尋問で――」
「尋問?」
エリフィアは俺の腫れた頬を見た。
「私には、外部委託員への暴行に見えるがね」
「しかし、こいつは……!」
「彼はギルド公認の外部委託員だ。拘束には私の承認がいる。暴力行為は規定違反。尋問記録も残していないようだね」
エリフィアは淡々と指を折った。
「さて、ゴードン。牢に近いのはどちらかな?」
ゴードンは顔を歪ませた。
何かを言おうとして、何も言えず、俺を忌々しげに睨みつける。
「……後ほど、報告書を提出します」
「そうしてくれ。できれば、事実に基づいたものをね」
ゴードンは乱暴に扉を開け、部屋を出ていった。
扉が閉まり、静寂が戻る。
エリフィアは慣れた手つきで俺の拘束具を外した。
俺は手首をさすりながら、ゴードンが消えた扉を顎でしゃくる。
「ちゃんとしつけておいてくれよ」
「相手が犬なら喜んでするんだがね。困ったものだよ」
エリフィアは、やれやれと肩をすくめた。
彼女とは、まだ彼女が一介のギルド職員だった頃からの腐れ縁だった。
「さて……」
エリフィアは正面の椅子へ座り、足を組んだ。
「詳しく聞かせてもらおうか」




