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第4報 まだ死体じゃない

 背嚢に詰め込んだ魂魄器官が、ずしりと重い。


 アレンとカイル。

 かつての幼馴染たちの、命の重さ。


 ではない。


 これは素材だ。

 換金アイテムだ。

 俺が生きて地上へ持ち帰るべき、仕事の成果だ。


 そう思考を切り替える。


 今は、生き延びることだけを考えろ。


 ダンジョンは、異様なほど静まり返っていた。

 壁の染み1つ、床に落ちた小石1つにさえ、神経が尖る。


 【隠密】スキルを全開にし、気配を殺す。


 足音を消す。

 呼吸を浅くする。

 鼓動の揺れすら、ダンジョンの淀んだ空気に紛れ込ませる。


 ディーナにもらったチャームが、ポケットの中で、依然としてかすかな熱を保ち続けていた。


 避難経路を進む途中、前方から、微かな声が聞こえてきた。


 歌だ。

 子供が口ずさむような、途切れ途切れの、調子の外れた鼻歌。

 こんな場所に、子供がいるはずがない。


 ぞわり、と全身の肌が粟立つ。


 俺は壁の窪みに身を潜め、息を殺して声のする方を見つめた。


 そこにいたのは、メリルだった。


 パーティの魔術師。

 彼女は、通路の中央に座り込み、虚空の一点を見つめながら、ただ楽しそうに、鼻歌を口ずさんでいた。


 その瞳には、何の光も宿っていなかった。

 焦点が合っていない。

 俺のことも、周囲の状況も、何も見えていない。

 まるで無垢(むく)な子供のように、ただにこにこと笑っている。


「おい」


 小さく声をかけた。

 メリルの鼻歌は止まらなかった。

 ただ、首だけが、ゆっくりとこちらを向く。


 焦点の合わない瞳が、俺の顔の少し横を通り過ぎる。

 俺を見ていない。

 何も見ていない。


 その目を見た瞬間、俺は判断した。


 手遅れだ。


 彼女は、もう、こちら側にはいない。


 アレンやカイルのように肉体が変形させられたわけではない。

 だが、その精神は、完全にどこかへと置き去りにされている。


 助からない。

 いや、そもそも、これはもうメリル(・・・)ではない。


 ただの人間の形をした、抜け殻だ。

 俺は、静かに彼女の脇を通り過ぎた。


 彼女を助ける術を、俺は持たない。

 そして、彼女はまだ死んではいない。

 

 だったら、死体清掃員ができることなど、何もない。


 非情かもしれない。

 だが、死んだアレンとカイルの魂魄装備を、生きて持ち帰る。

 それが今の最優先事項だ。


 その時だった。


 匂いだ。

 死臭迷彩を施しているのに、なぜか鼻の奥にこびりつくような、甘い匂い。


 俺はその瞬間、全力で走りだした。


 ――キィンブブブブイィィ


 アレだ。

 アレンとカイルを殺し、メリルを抜け殻にした、あの何か(・・)だ。


 ――キィンブブブブイィィ


 金属的な、それでいて肉が擦れ合うような、異様な音。

 1つではない。

 いくつも、いくつも重なり合って、不協和音のコーラスを奏でている。


 同時に、空気が、圧力を伴って重くなる。

 肌がピリピリと痛む。


 ポケットの中のチャームが、これまでとは比較にならないほど、灼(や)けるように熱くなった。


 上へ。

 地上へ。


 一刻も早く、この階層から脱出しなければ。


 振り返る余裕は、なかった。

 階段まであと少し。

 だが、あの金属的なコーラスは、すぐ後ろまで迫ってきていた。


 壁や天井から、無数の幾何学模様が、まるで生き物のように現れては消える。


 視線ではない。

 目ではない。

 それでも、俺は捕捉されている。


 アレンの死の記憶で見た、あのイメージの洪水が、現実世界を――いや、俺を侵食しようとしている。


 まずい。

 追いつかれる。


 【隠密】も死臭迷彩(ししゅうめいさい)も無意味だ。

 相手はそういう次元の存在ではない。


 息が切れ、足がもつれそうになる。

 階段の部屋に差し掛かった瞬間、チャームがひときわ強く脈打った。


「……っ、はぁ……っ」


 階段の脇に、誰かがへたり込んでいる。


 白色の、聖女の装束。

 ディーナだった。


 彼女は、俺と同じように、あの音から逃げてきたのだろうか。

 体力も精神も限界なのか、その場に座り込み、荒い呼吸を繰り返している。

 その顔は、絶望に青ざめていた。


 俺の足が、一瞬、緩む。

 脳裏を、様々な思考が高速で駆け巡る。


 ――見捨てろ。


 彼女も、もう助からない。

 足手まといになるだけだ。


 ――1人で逃げろ。


 それが、最も生存確率の高い選択だ。


 ――メリルを見捨てたように。

 ――アレンやカイルを素材として処理したように。


 ――世界が俺を、見捨てたように。


 前世の記憶が、チリリと脳に蘇る。


 そうだ。

 それが正しい。


 手を差し伸べるのは、恵まれたやつがやればいい。

 俺は、ただ生きることしかできない。


(死んだらまた会おう、ディーナ)


 そう思った。

 そう思える自分に、驚きはなかった。


 俺は、彼女の横を、通り過ぎようとした。


「……あ……」


 ディーナが、顔を上げる。


「リカルド……」


 俺の名を、呼んだ。


 ――キィィィブブブブブィン!!


 ブーツに幾何学模様が映し出される。

 もはや一刻の猶予もない。


 死体清掃員の仕事は、死体を扱うことだ。

 だが、ディーナはまだ死体じゃない。


 合理的じゃない。

 非効率だ。

 生存確率を下げる、愚かな行為だ。


 頭では、そう分かっていた。

 だが、俺の体は、勝手に動いていた。


「……立て!」


 俺は、ディーナの腕を掴み、無理やり引き起こした。

 彼女は、驚きに目を見開く。


「あ……」

「走れ!」


 問答無用で、彼女の手を引く。

 背後で、空間が軋むような、嫌な音がする。


 もう、振り返らない。


 死体ではない。

 素材でもない。

 換金アイテムでもない。


 ディーナだった。


 ただ、それだけのことだった。

 ディーナの手を引きながら、俺は上階へと続く階段を駆け上がった。

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