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第39報 死の記憶

 2人とも死んだ。


 男は、石床に横たわる死体清掃員を見下ろした。


 脇腹を刺し、心臓を貫いた。

 呼吸が止まり、脈が消えたことも確認している。


 剣士の女も同じだ。


 麻痺毒で身体の自由を奪い、首を切った。

 噴き出していた血は弱まり、開かれた目から光が失われている。


 間違いなく死んでいた。


 それでも、男の胸には小さな違和感が残っていた。


 異常な2人だった。


 剣士の女は、仲間5人を同時に相手取っていた。

 ただ戦うだけではない。

 殺さず、意識も奪わず、5人全員を動ける状態のまま抑え続けていた。

 本気で斬れば、いつでも殺せたはずだ。


 それよりも理解できなかったのは、死体清掃員の男だった。


 最初に殺されたのは、隊を率いていた男だ。


 短剣を振るう前から狙いを読まれ、隠していた刃まで見抜かれた。

 手首を折られ、武器を奪われ、そのまま心臓を一突きにされた。


 次の男も。

 その次も。


 投げられた直後であろうと、不意を突こうとしようと関係ない。


 構え。

 視線。

 足運び。

 袖に隠した武器。


 すべてを知っているかのように先回りし、一撃で急所を断っていった。


 男たちの技術は、長い訓練によって磨かれたものだ。

 同業者であっても、初見で完全に見切れるものではない。


 だが、あの死体清掃員は見切った。


 いや。


 見切ったというより、最初から知っていた。


 5人の仲間が死んだ。

 だというのに、最後に残った自分は、その男を殺せた。

 そこにも違和感がある。


 短剣を低く構え、脇腹へ踏み込んだ瞬間。

 男は、こちらの狙いに気づいていた。

 目が合った。

 刃の軌道も、踏み込む時機も、完全に読まれていた。


 それなのに、避けなかった。


 むしろ。


 刃の前へ、脇腹を差し出したようにさえ見えた。


(馬鹿な)


 何のために、そんなことをする。

 腹を刺されたあと、心臓まで貫かれたのだ。

 作戦であるはずがない。


(毒が効いたのだろう)


 男は、通路に残る灰色の煙を見た。


 彼が使用した麻痺毒は、独自に調合された非常に特殊なものだ。

 使用者だけが、事前に専用の耐毒薬を服用する。

 仲間にもその薬は渡されない、必殺の毒だ。


 事前に対策するなど不可能。

 仲間でさえ、吸えば身体の自由を失う。


 だからこそ、最後の1人になるまで使わなかった。


 剣士の女は、一息吸っただけで倒れた。


 2人とも何かの薬を飲んでいたようだが、あの毒を防げるはずがない。


 それなのに、死体清掃員の男は動いていた。


 毒煙の中で立ち続け、こちらの攻撃まで読んでいた。


(いや)


 動けていたように見えただけだ。


 死体に触れるたび、男は血を吐いていた。

 足元もふらついていた。


 そこへ毒を吸った。


 頭では攻撃を読めても、身体が動かなかったのだろう。


 だから殺せた。


 結果は、それだけだ。


 どれほど異常な人間であろうと、死ねば終わる。


 女も男も死んだ。


 任務は完了した。


 そう結論づけた、その時だった。


 ──パチ。


 何かを叩く音が響いた。


 男は短剣を構え、周囲を見回す。

 通路には、自分と7つの死体しかない。


 ──パチ。

 ──パチ。


 音が増えた。


 前から。

 後ろから。

 天井から。

 石壁の向こうから。


 無数の人間が、一斉に手を叩いている。


 姿は見えない。


 だが、確かに聞こえる。


 拍手喝采。


 まるで、何かの成功を祝っているかのような音だった。


「誰だ」


 返事はない。


 代わりに、知らない声が響いた。


「──終幕」


 その瞬間。


 男の頭蓋の内側で、何かが弾けた。


「――あ?」


 刃が肉へ入る。


 自分の肉へ。


 冷たい金属が皮膚を破り、筋肉を裂き、身体の奥へ潜り込んでくる。


 血が流れる。

 力が抜ける。

 石床が急速に近づいた。


(なんだ、これは)


 知らない。

 こんな経験はしていない。


 だが、間違いなく自分の記憶だった。


 死体清掃員が目の前にいる。

 こちらの攻撃を読み切り、最短の動きで刃を急所へ入れる。


 逃げられない。


 防げない。


 自分の身体が冷えていく。

 息を吸えない。

 視界が暗くなる。


 死ぬ。


 死ぬ。


 死ぬ。


 意識が途切れた。


 次の瞬間、男は再び生きていた。


「がっ……!」


 今度は顎を打ち抜かれた。

 剣士の女だ。

 意識が消える。


 暗闇。


 その中で、自分の身体が崩れ始めた。


 心臓は動いている。

 肺も呼吸を続けている。

 それなのに、指先から黒くほどけていく。


 皮膚が消える。

 肉が消える。

 骨が消える。


 痛みではない。


 自分という存在そのものが、少しずつ削り取られていく。


 声を出したい。

 助けを呼びたい。


 だが、意識を失った身体は動かない。


 眠ったまま、自分が消滅していく感覚だけを味わわされる。


(やめろ)


 死にたくない。


(やめてくれ)


 死が頭に焼き付いて離れない。

 何度も何度も繰り返される。


 刃が入る。

 血が抜ける。

 身体が冷える。


 暗くなる。

 死ぬ。

 黒くほどける。


 自分が消える。

 暗くなる。

 また死ぬ。


「やめろ……」


 男の手から短剣が落ちた。


 石床へ膝をつく。


「やめろ、やめろ、やめろ……!」


 頭を抱えても、記憶は止まらない。


 目を閉じても見える。


 耳を塞いでも、自分の断末魔が聞こえる。


 一度目の死が終わる前に、二度目の死が始まる。


 肺が息を求める。

 心臓が血を送ろうと暴れる。

 肉体のすべてが、生きたいと叫んでいる。


 それでも死ぬ。


 何度拒絶しても、結末は変わらない。


 死とは、こんなものなのか。


 自分が壊れる。


 恐怖に耐えられない。


 男は爪を立て、自分の頭皮を掻きむしった。


「ああああああああっ!」


 叫んでも、死の感覚は消えなかった。


 死体清掃員の男が、倒れた仲間たちへ次々と触れていた光景が脳裏をよぎる。


 1人。

 2人。

 3人。

 4人。

 5人。


 触れるたびに血を吐きながら、それでも次の死体へ手を伸ばしていた。


 その瞬間、なぜか気がついた。


(まさか)


 あの男は。


 これを見ていたのか。


 自分が耐えられない、たった2つの死。


 それよりも多くの死を。

 別々の苦痛を。

 別々の恐怖を。


 自分の死として受けながら。


 それでも、意識を保っていたのか。


「うまくいったな」


 声が聞こえた。

 死の記憶の中ではない。

 すぐ近くからだ。


 男は震えながら顔を上げた。


 心臓を貫いたはずの死体清掃員が、石床の上で身体を起こしていた。


 胸も脇腹も血に染まっている。

 だが、呼吸している。

 死んだはずの目が、こちらを見ていた。


「ブシドーマスターは、死を克服した……!」


 首を切ったはずの女も起き上がる。


 片手で首筋を押さえながら、弱々しく拳を突き上げていた。

 切り裂いた傷は残っている。

 流れた血も消えていない。


 確かに殺した。


 心臓を貫いた。

 脈が止まった。

 女の首も切った。


 2人とも、完全に死んでいた。


「なん、で……」


 男の口から、掠れた声が漏れる。


 だが、その疑問を考える余裕は残っていなかった。


 再び刃が肉へ入る。

 血が抜ける。

 身体が黒くほどける。


 死の記憶が、男の理性を押し潰した。


 最後に見たのは、血まみれのまま立ち上がる2人の姿だった。


 男は膝から崩れ落ちた。


 意識はある。


 だが、押し寄せる死の記憶の中で、精神を保つことはもうできなかった。

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