↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

35/48

第35報 6体の死体

 第7階層は、低級冒険者でも立ち入る階層だ。

 ただし、安全という意味ではない。

 単に、死ぬ理由がわかりやすいだけだ。


 毒を持つ小型モンスター。

 湿った岩床。

 視界を曇らせる白い胞子。

 浅い階層には、浅い階層なりの死に方がある。


 だが。


 ──ズバッ!


 モンスターを一刀両断する音が響く。


 ネムハだった。

 言動は珍妙で迷惑そのものだが、冒険者としての腕は一流だ。


「またつまらぬものを斬ってしまった」

「毎回言うのかそれ」

「つまるところ斬ってしまった」

「見ればわかる」


 通路の奥から、水音が聞こえる。

 壁には青黒い苔が張りつき、天井から細い根が垂れていた。

 松明の光が、湿った石床に揺れている。


 俺は鼻の下に薄く軟膏を塗った。

 腐臭を消すためではない。

 匂いを選ぶためだ。


 黴や獣脂、古い血。

 それから、薬草を焼いたような苦い匂い。


 俺は屈み、床の擦れ跡を見た。

 わずかだが、これは最近ついた足跡だ。

 不自然に薄い。

 まるで自分の存在を悟られたくないかのようだ。


「何かありました?」

「足跡がある」

「はー、相変わらずよくわかりますね」


 依頼書にあった帰還地点は、この先の分岐を越えた場所だ。


 同じ地点へ戻される。

 姿のない声。

 影の異常。

 軽傷者あり。

 死者なし。


 未象としては、ありえない内容ではない。

 だからこそ、面倒だった。


 その時、通路の奥から声がした。


『──配置、確認』


 俺は警戒態勢を取る。

 ネムハは指示を出すまでもなく、剣を構えていた。


 声は近くない。

 だが、遠くもない。


 壁の裏。

 天井の上。

 あるいは、足元の影の中。


 場所を決めさせない声だった。


 背後で、空気が揺れた。


 振り返る。


 今来たはずの通路が、黒い幕のような暗がりに変わっていた。

 石壁ではない。

 ただの闇でもない。

 薄い布のように、ゆっくりと揺れている。


 ──シュッ。


 空気を裂く音がした。


「──シュバッ!」


 ネムハの剣が、飛来した何かを斬り落とす。


 細い金属片が、石床を跳ねた。


「これは、針……?」

「近づくな」


 遅かった。


 針を拾い上げようとしたネムハの膝が落ちる。


「一生の……不覚……」


 俺はネムハの手を取った。


 刺し傷はない。

 血も出ていない。


 針には触れているが、皮膚は破れていない。


 針じゃない。

 針から漏れている気体だ。


 身体を動かし、呼吸と血流が速い者ほど先に回る麻痺毒。

 針が刺さっても刺さらなくても効くように作られている。


 手練だ。


 俺は懐から小さな丸薬を取り出し、奥歯で噛み砕いた。

 苦味が舌に広がる。


 続けて、腰の革袋から折り畳み式の防毒面を引き出し、鼻と口を覆う。


 死体清掃員が、毒と腐臭に無防備なわけがない。


 ネムハの呼吸を確認する。

 脈は乱れているが、死ぬほどではない。


 俺はその顔を横向きにし、鼻先に指を当てた。


「寝てろ、補佐官」

「床と……ついに親友に……」

「それはよかったな」


 通路の奥から、足音が聞こえた。


 1つ。

 2つ。

 いや、もっと多い。


 黒布で顔を覆った男たちが、暗がりから現れる。


 短剣。

 吹き矢。

 捕縛糸。

 足音を殺す訓練を受けた動き。


 先頭の男が、低く言った。


「剣士は止めた。残りは死体清掃員だけだ」


 ネムハが倒れたまま、目だけをこちらへ向ける。


「あ、あれは、シノビマスター……未象ではなく……?」

「だから言ったろう。『そうだ』ってな」

「わ、わかってたんですか……」

「依頼書を見た時点では、怪しいと思っただけだ。ここの足跡を見て、人間が待っているとわかった」

「だったら、教えてくださいよぉ……」

「教えたら厄介なことになるだろ」

「待ち伏せするシノビマスターに、名乗りを、上げたかった……」

「ほらな」


 黒布の男たちは、ぴたりと足を止めた。


 少なくとも、驚きはしたらしい。

 だが、動揺は長くない。


 訓練されている。


「気づいたところで遅い」


 先頭の男が短剣を構えた。


 残りの男たちが左右に散る。


 通路は狭い。

 包囲には向かない。

 だが、逃げ道を潰すには十分だった。


 俺はため息をつく。


「6体か」

「なに……?」


 俺は腰の袋に指を入れた。


「これから増える死体(しごと)の数だ」


 男の吹き矢が動く。


 俺は息を止めた。


 細い針が飛ぶ。


 避けない。

 半歩だけ身体をずらし、袖で受けた。


 袖の内側には、薄い革と樹脂を重ねてある。

 死体から出る毒液や腐敗汁を防ぐための処理だ。


 暗殺用の針くらいなら貫通しない。


 俺は袋を握り潰した。


 乾いた粉が、通路に散る。


 男たちの動きが、一瞬だけ鈍る。


 目を潰す粉ではない。

 肺を焼く粉でもない。


 ただ、死臭を濃くするための粉だ。


 嗅覚のある者は、反射で呼吸を乱す。

 訓練された者ほど、毒を疑って身を固める。


 その一瞬でいい。


 俺は前に出た。


 先頭の男が短剣を突き出す。


 刃筋は綺麗だ。

 殺すための動きだ。


 だから読みやすい。


 手首を外から叩き、刃を壁へ逸らす。

 踏み込んだ足の甲を踵で踏み砕く。


 体勢が崩れたところで、喉に解体ナイフを入れた。


 血が噴いた。


 男は声も出せずに崩れる。


 殺さない理由はない。


 ただ、1人は残す。

 誰に雇われたかを吐かせるためだ。


 2人目が右から来る。


 捕縛糸。

 首ではなく腕狙い。


 俺を殺す前に、動きを止めるつもりだ。


 俺は倒れた男の身体を引き起こし、盾にした。


 糸が死体の肩と首に絡む。

 引いた男の体勢が、逆に崩れる。


 その隙に、死体の腰から短剣を抜き取った。


 投げる。


 刃は、男の喉元へ吸い込まれた。


「が……っ」


 短い音だけ残して、2人目が倒れた。


 3人目が背後に回った。


 足音は消えている。

 だが、匂いは消えていない。


 薬草を焼いたような苦い匂い。

 針から漏れた毒と同じ匂いだ。


 俺は壁の苔を掴み、後ろへ投げた。


 湿った苔が、男の顔に貼りつく。


 一瞬、視界が塞がる。


 その一瞬で、俺は床に落ちた捕縛糸を拾った。


 男の足に引っかける。

 引く。


 倒れた首が、壁から突き出た石の角にぶつかった。


 鈍い音がした。


 男は動かなくなった。


 残り3人。


 1人が吹き矢。

 1人が短剣。

 1人が退路側。


 役割が決まっている。


 なら、崩す順番も決まる。


 俺は床に落ちていた針を、靴底で弾いた。


 針は石床を滑り、吹き矢の男の足元へ飛ぶ。


 男が反射で下を見る。


 その顔に、小瓶を投げた。


 割れる。


 刺激臭が弾ける。


 男が目を押さえる。


 俺は踏み込んだ。


 吹き矢ごと、男の口へナイフを叩き込む。


 刃は浅い。


 だが、吹き矢の中に残っていた毒が、喉へ流れた。


 男の身体が硬直する。


 次の瞬間、膝から崩れ落ちた。


 短剣の男が突っ込んでくる。


 速い。


 ネムハなら、笑いながら斬る速度だ。

 俺には無理だ。


 だから、受けない。


 俺は倒れた暗殺者の腕を掴み、短剣の軌道へ引き込んだ。


 刃が仲間の身体に刺さる。


 短剣の男が、一瞬止まる。


 その一瞬で、十分だった。


 俺は死体の背中越しに腕を伸ばし、男の脇腹へナイフを突き入れた。


 鎧の継ぎ目。

 肋骨の下。


 深く入れれば、すぐには動けない。


 男は短剣を落とし、石床に倒れた。


 最後の1人が動いた。


 逃げるためではない。

 俺へ向かうためでもない。


 ネムハへ向かった。


 男は倒れているネムハを引き起こし、背後から首へ腕を回した。


 ネムハの身体が、男の胸元へ引き寄せられる。


 顔だけが、こちらを向いていた。

 目は開いている。


 ぼんやりとした目だ。


 男は短剣をネムハの首筋へ当てた。


「動くな」

「ああ」


 俺は両腕を上げる。


「わかった」


 男の目が細くなる。


「やけに素直だな。そんなにこの女が大事か?」

「いや」


 俺は、ネムハの目を見た。


 瞬きが1つ返る。


「動く必要がないだけだ」

「……ッ!」


 ネムハの身体が沈む。


 その瞬間、鈍い音が響いた。


 ネムハの剣の峰が、男の腹に食い込んでいた。


「ガハッ」


 男の身体が崩れる。


 短剣が音を立てて床に落ちる。


 ネムハは神妙な顔で、ゆっくりと姿勢を戻した。


「またつまらぬものを斬ってしまった」

「斬ってないだろ」

「つまるところ、斬ってません」

「認めるな」


 ネムハは、ふんっ、と鼻を鳴らす。


 小さな黒い粒が、ころんと石床に落ちた。


 途端に、鼻を刺すような強烈な臭気が広がる。


 麻痺の解毒薬だ。

 戦いの前に鼻につめておいた。


「これ、むちゃくちゃ臭いんですけど。麻痺の方がマシです」

「助けない方がよかったか?」

「いえ、マシの方が麻痺でした」

「何を言っているか全くわからん」


 ネムハが暗殺者たちを見回し、それから俺を見た。


「てか超絶さん、めちゃくちゃ強いじゃないですか! あの暗殺者たち、完全に動きがシノビマスターでしたよ? 甲斐性なしじゃなかったんですか?」

「甲斐性は関係ない」

「じゃあ、普通に超絶強いってこと……? あたしの存在意義は……? ブシドーマスターの夢は……?」

「今回は相手が同類だったからだ。搦手を使うヤツは読みやすい。正面から強いタイプは無理だ」

「やだ……それって、あたしのこと?!」

「オルグレンのことだ」

「おのれ老戦士めーッ!」


 俺はネムハを無視して、倒れた男に近づいた。


 腕を取り、背中側へ捻る。


 肩が外れる音がした。


「がっ……!」


 男を床に押し伏せる。


 黒布を剥がした。


 知らない顔だ。

 だが、覚えた。


「誰に雇われた」

「……」

「答えろ。黙っていれば楽に済むと思うな」

「死体清掃員、風情が……」

「ああ。このあと、お前らも掃除してやる」


 男の頬が引きつった。


 怒り。

 屈辱。

 それから、恐怖。


 尋問はできる。


 そう判断した瞬間。


「これで終わりだと思うなよ」


 ニヤリと笑った男の喉が、奇妙に動いた。


 奥歯だ。


 俺は顎を押さえようとした。


 だが、わずかに遅い。


 硬いものが砕ける音がした。


 男の目が見開かれる。


 毒が回る。


 早い。


 自害用の即死毒だ。


 男の唇が、わずかに動いた。


「──失敗」


 それきり、男の目から光が消えた。


 静寂が落ちる。


 通路には、暗殺者たちの死体が残っている。


 血の匂い。

 毒の匂い。

 湿った石の匂い。


 俺は、男の死体から手を離さなかった。


 まだ温かい。

 死んだばかりだ。


 死の記憶に触れるなら、今が一番いい。


 だが、その前に。


 死体の輪郭が、滲んだ。


「……何?」


 肉が薄くなる。


 血が石床へ沈むより早く、黒い染みになって崩れていく。


 骨も、布も、短剣も、まるで水に溶ける紙のように形を失った。


 他の暗殺者たちも同じだった。


 倒れていたはずの身体が、1つずつ床へ沈む。


 残るのは、濡れたような黒い跡だけ。


「死の痕跡を残さないとは、さすがシノビマスター」

「警戒しろ」


 俺は解毒薬をもう1粒取り出し、ネムハへ放った。


「薬をもう1回入れておけ」

「また鼻にですか?」

「同じ毒を使う可能性がある」

「任務が終わる頃には、鼻の穴が増えてそうです」

「増えない」


 ネムハは黒い粒を鼻へ押し込んだ。


 俺たちは立ち上がり、通路の奥へ構える。


 足音がした。


 1つ。

 2つ。

 いや、もっと多い。


 黒い幕のような暗がりから、黒布で顔を覆った男たちが現れる。


 短剣。

 吹き矢。

 捕縛糸。

 足音を殺す訓練を受けた動き。


 先頭の男が、一瞬目を細めた。


「剣士が動いてる。作戦Bだ」


 暗殺者だ。


 また、6人。


 俺は、床に残った黒い跡と、現れた男たちを見比べた。


「何……?」


 どこか遠くで、乾いた音が1つ鳴った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。