第33報 私の輝く場所
翌朝。
俺は、いつもより少しだけ面倒な気分で家を出た。
理由は簡単だ。
「超絶有能さん! 昨日はお楽しみでしたね」
「何も楽しんでない」
ネムハが隣にいる。
頭の包帯は少し減った。
腕の包帯はまだ残っている。
頬の包帯も残っている。
つまり、治療院に戻るべき人間が、今日も元気に俺の横を歩いている。
セラは朝から妙に機嫌がよかった。
「ネムネム、お兄ちゃんをよろしくね!」
「お任せください、セラらん! 超絶有能さんの剣として、犬として、えーとそれから……」
「家具はどうかな?」
「採用! 家具として、場合に応じて変形します!」
「お兄ちゃん、よかったね!」
「よくない」
あいつらは、もう妙な絆を築いている。
俺が止めても無駄だ。
セラが楽しそうだった。
それが一番厄介だった。
「ワンワンワン、犬の肉~♪ 醤油かけたら馬の味~♪」
「不気味な歌を歌うな」
ギルドの大広間に入った瞬間、周囲の視線が集まった。
昨日とは種類が違う。
昨日は、死にかけたはずの俺が平然と現れたことへの驚きだった。
今日は、その横に補佐官がいることへのざわめきだ。
「おい、リカルドが来たぞ」
「あのギルド職員と一緒に来たのか?」
「昨日、あいつの家に入っていくのを見たぜ」
「お泊まり……だと……?!」
「お、俺のネムハちゃんが……」
好き勝手なことを言っている。
ネムハが俺をジトっとした目で見てきた。
「超絶さん、えっちなのはお断りです」
「俺は無関係だろうが」
俺はそのまま受付へ向かった。
「〈賢者の霊薬〉の資料閲覧は今日の午後だったな。それまでに終わる依頼はあるか?」
「なかったら……わかってるな?」
「勝手に付け足すな」
受付嬢がこちらを見る。
俺を見る。
ネムハを見る。
俺を見る。
ネムハを見る。
そして、深くうなずいた。
「リカルドさん」
「なんだ」
「私ショックです」
「なにがだ」
「ネムハさんとそういうご関係だったのですね」
「違うが」
「うう、ポッと出の若い子に盗られるなんて」
「違うが」
「ギルドマスターにも報告せねば……飼い犬に手を噛まれるとはまさにこのことですね……」
「違うが」
「えっちなのはお断りです! えっちなのはお断りです!」
「誰か話の分かるヤツを呼んでくれ」
大広間のざわめきは、ますます広がっていく。
その時だった。
「朝から下品な騒ぎだな」
背後から、低い声がした。
ゴードンだった。
副ギルドマスターの服装は整っている。
だが、目の下には疲れがあり、口元には苛立ちが滲んでいた。
ゴードンは俺を睨みつける。
「死体清掃員風情が、我がもの顔でギルドに滞在するな!」
「何か用か」
「用などない! 貴様はいつもそうだな。自分が何者かもわきまえず、ギルドの秩序を乱す」
周囲が静まる。
ゴードンは、周囲に聞かせるように声を張った。
「王都の貴人を危険に晒し、ギルドの名に泥を塗り、それでなお平然と出勤か。恥というものを知らんのか」
「俺は依頼をこなしただけだ」
「黙れ!」
ゴードンの声が大広間に響く。
「貴様のような死体漁りが、未象対策などに関わるからこうなるのだ! 身の程を知れ! 貴様は床に転がった死体だけ見ていればいい!」
「超絶さん」
「なんだ、補佐官」
ネムハが突然ゴロンとその場に寝転がる。
「ほら、死体ですよ~これを見るだけの簡単なお仕事です」
「……」
ゴードンが面食らった顔をしたあと、顔を真っ赤にして口を開いたその瞬間。
ギルドの扉が大きく開いた。
「相変わらずムサ苦しい場所ですね」
よく通る声だった。
美声だ。
しかも、自分の声が美声だと理解している者の声だった。
ザイン・ルミナス。
未象の影響で重傷を負ったはずの、俺の上司だった。
白い外套を肩にかけ、片腕を吊っている。
顔色はまだ万全ではない。
だが、背筋だけは無駄に伸びていた。
その後ろには、なぜか数人の召使が控えている。
さらに、巻かれた絨毯。
磨かれた椅子。
小型の照明魔法具。
花瓶。
なぜか額縁まで運ばれていた。
ギルド中が固まった。
ザインは、召使が広げた絨毯の上をゆっくりと歩いてきた。
その動きは優雅だった。
腹立たしいほど優雅だった。
ゴードンの顔がわずかに明るくなる。
おそらく、自分の味方が来たと思ったのだろう。
「ザイン様。お身体はもう――」
「リカルド氏!」
ザインは、ゴードンを完全に無視し、俺に声をかけてきた。
「なんでしょう、室長殿」
「相変わらず、死体と薬品の匂いが染みついていますね。実に不快です」
「それはどうも」
「ですが」
ザインは、吊った片腕ごと大げさに胸を張り、無事な方の手を広げた。
「あの死地での貴方の働き、実に、実に素晴らしかった!」
「はあ?」
昨日届いた直筆メッセージは、社交辞令ではなかったのか?
本気で俺を自分の忠実な部下だと思っているようだ。
「貴方はあの死地で私を陰ながら支え、眩い輝きをさらに輝かせた!」
「はあ」
「あの階層での、時空を超えた我が究極の〈セイント・スーパーノヴァ〉の威力……ルミナス家史上最大の、いえ、人類史最強不変の輝きを誇っていました!」
いや、あれは未象のせいなのだが。
言ってもムダそうなので、もう黙って聞いておくことにしよう。
「あなたは無粋で不潔なドブネズミだと思っていましたが……」
「……」
「無粋で不潔なハダカデバネズミに昇格です!」
「良くなってるのかそれは」
ザインが大げさに指をパチンとならす。
メイドの1人がうやうやしく布切れを広げる。
やけに豪華なマントだった。
「ですが、私の部下にしてはあまりに貧相なのは問題です」
「無粋で不潔なのはいいのか」
「したがって、この度の褒美としてこれを取らせましょう。光栄に思いなさい」
メイドが俺にマントを差し出す。
露骨に嫌な顔をした俺に、メイドが小声で囁く。
「お気持ちはわかりますが、身に着けていただけますか。その方が早く終わります」
なるほど。
話のわかるメイドがいるようだ。
俺は渋々マントを羽織る。
上質な生地なのだろう。
手触りはよい。
だが重い。
そして派手すぎる。
「見るのです! 下々の者よ!」
召使たちが、なぜか俺を謎の回転台に乗せて、くるくるとゆっくり回しだす。
「これがルミナス家の神聖かつ高貴な家紋! 銀糸によって描かれた光輪は、夜明けとともに邪悪を退ける我が一族の高潔なる魂を表しています! そして、この滑らかな光沢! 北方に生息する希少な白銀獣、その冬毛のみを惜しみなく使用した至高の逸品! 百年を経ても損なわれぬ気品と輝きは、まさにルミナス家の威光そのものです!」
ザインは、マントに施された刺繍やら、使われている魔獣の毛やら、家紋の歴史やらについて延々と解説し始めた。
俺が例のメイドに抗議の視線を送ると、真顔で両手を合わせて首を傾げ、舌を出した。
ごめんね、テヘペロじゃないんだよ。
ようやくザインの演説が終わると、メイドが俺の横へ近づき、小声で囁いた。
「こちらは、ルミナス家の正式な協力者用外套です。身分証明にもなりますので、なくさないでください」
「ただ派手で高価なだけのマントじゃないのか」
「王都の役所、教団施設、ルミナス家と取引のある商会では、身元と立場を保証する証明になります。また、この外套を身に着けた方への不当な扱いは、ルミナス家への無礼と見なされます」
「先にそれを言え」
「ザイン様のご説明を遮ると、最初からやり直しになりますので」
つまり、これは単なる高級品ではない。
ルミナス家が、俺の身元と働きを保証する証明書だ。
金では買えない類の代物だった。
もっとも、こんなもの別にいらんが。
「おい、ルミナス家って言ったら王都でも有数の貴族だろ?」
「その家紋の入ったマントって、どんだけの価値があるんだよ」
「たぶん色んな店が顔パスになるぞ」
ネムハがうらめしそうな声を出す。
「マントじゃなくて、あたしを見てぇ……死体を見るだけの簡単なお仕事をしてぇ……」
決めた。
エリフィアに特別手当を要求する。
マントの解説を終えたザインは、俺を見て、眉をひそめる。
「やはり、いけませんね」
「何がだ」
「あの地下の部屋は、この高貴なるマントを持つ貴方に全く不釣り合いです。奥の陰気な部屋に押し込められている。光が足りない。風通しも足りない。何より、私に相応しい椅子がない」
「最後のが本音だろ」
「すべて本音です。聞き分けなさい」
ザインは図面を広げる。
「ふむ。及第点といったところでしょう」
そう言ってから手を上げた。
召使たちが一斉に動き出す。
奥の一室が見る見るうちに改装されていく。
高級そうな絨毯や照明魔法具、椅子、花瓶、謎の額縁と絵。
その部屋が、あっという間に高級宿みたいな空気になっていく。
趣味は最悪だ。
だが、窓がある。
大型の机がある。
標本を保管できる施錠棚も、資料を広げられる作業台もある。
未象を扱う部屋としては、前の物置よりはるかにまともだった。
認めるのは癪だが、仕事はしやすくなる。
「何をしている!」
ゴードンが血相を変えて叫んだ。
「ああ、ゴードン氏。特別未象対策室を移しました。貴方のあてがったあの部屋は少々カビ臭かったですからね」
「そこは私の執務室ではないか!」
ザインが改装したのは、副ギルドマスターの執務室だった。
大広間から近い。
広い。
扉も立派。
窓もある。
たしかに、条件はいい。
「ああ、心配はいりません。ゴードン氏はあちらを使えばいいでしょう?」
ザインが指さした先には、元の特別未象対策室へ続く廊下があった。
薄暗く、奥まった、窓のない部屋だ。
「なっ……」
「大丈夫です。あの部屋は静かで、実に事務向きです。貴方の仕事にも合う」
「私を、あんな物置のような部屋へ移れと……?」
「物置ではありません。元特別未象対策室です。私がもともと使っていた部屋ですよ。光栄に思いなさい」
「いくらザイン様とはいえ、勝手がすぎる!」
「勝手? ギルドマスターの許可は取っていますが?」
「な、なんですと?!」
そこで例のメイドがゴードンに近づき、処分通達を見せながら、声を落として囁いた。
「本来であれば、副ギルドマスターの地位を剥奪されていたのです。執務室の移動で事態を収めたエリフィア殿に感謝することですね」
声量は小さい。
だが、静まり返った大広間には、十分すぎるほど響いた。
「ぐっ、ぐっ、ぐっ……」
ゴードンの顔が赤くなったり青くなったり忙しい。
さすがに同情する。
マントを着せられて見世物にされた俺ほどではないが。
「超絶さん」
「なんだ、補佐官」
「あたしは優秀だから気づいたのですが」
「何にだ」
「あの部屋、陰に潜むシノビマスターに似つかわしくないのでは?」
「そうだな」
ネムハが頭を抱えて「クソっ、ブシドーマスターになるしかないのか?!」と苦悩しだした。
(セラのシチュー、うまかったな……)
俺は昨日の思い出に浸りながら、時間が経つのをひたすら耐えた。




