第32報 セラらんとネムネム
「さて、私の言い分はわかってくれたかな」
「すまなかった」
「不肖ネムハ、今後二度と過ちを犯さないと誓います」
極めて論理的に『まだ治療院から出てはいけない理由』をこんこんと詰められた。
言い返す隙が一分もない。
こういうタイプが一番怒ると怖い。
「ネムハは今すぐ治療院に戻りなさい」
「えっ、超絶さんは……」
「ネムハ?」
「承知の助~……」
ネムハは足音も立てずに部屋から去っていった。
「まったく。あの子はああいうところがあるから困ったものだよ」
「お互い苦労するな」
「キミほどではないよ」
「あのなあ。お前が寄こしたんだろ」
「そうだったね」
俺の抗議を軽く流したエリフィアが、ツカツカと近づいてきて、俺の身体をとんとんと叩く。
「そんなことより、キミはどうしてそんなにピンピンしてるんだい?」
「さあな」
「おや、秘密ってわけか。悲しいね。私とキミの仲じゃないか」
「お前と俺の仲だからだ」
俺が使ったのは、〈賢者の石〉を針先ほど削った粉末に、数種類の薬草と魔力安定剤を混ぜて丸めた特製の丸薬だ。
〈賢者の丸薬〉とでも言おうか。
効果は単純。
飲めば、だいたい治る。
骨折だろうが、裂傷だろうが、うまくやれば致命傷だろうが、力ずくで元に戻す。
あまりにも高価すぎて、普通の冒険者なら一生使わない。
そもそも、こんな使い方は俺しかしていない。
こんな使い方があるのを知っているのも、俺だけかもしれない。
だが、俺にとっては必要経費だった。
俺が倒れれば、稼ぎが止まる。
稼ぎが止まれば、セラの薬が買えない。
なら、俺を治す分も、セラの薬代に含まれる。
それだけの話だ。
「まあ、詮索はしないさ」
「大体見当はついてるだろ」
「キミは私を買いかぶりすぎだよ」
エリフィアは書類を整える。
「さて。第9階層についての証言を聞かせてもらえるかな」
「報告書は読んだんだろ」
「もちろん。キミの報告書はいつでも完璧だ。だが私は生の声を重視していてね」
第9階層についての所見を述べる。
「なるほどね。才能のあるものほど捕らわれる。実に教育的だ」
「死んだら教育も何もないがな」
そこで、エリフィアが「そうだ」と手を叩く。
「朗報がある。聖女ディーナが目を覚ましたよ」
俺は、少しだけ沈黙した。
脳裏に、あの階段で見たディーナの瞳が浮かぶ。
絶望の中で、それでもこちらを一人の人間として見ていた目。
自分が手を引いた感触。
細い指。
震える手。
懐の奥で、銀のチャームがかすかに熱を帯びた気がした。
俺は、それに触れなかった。
「そうか」
それだけ言った。
エリフィアは、俺の顔を見ていた。
「見舞いに行くかい?」
「報酬は出るのか」
「出ないね」
「なら後だ」
俺は立ち上がる。
「おや、もう行くのかい」
「セラが待ってるからな」
「ああ、妹さんより私に先に会いに来てくれてたなんて。嬉しいね」
「金のついでだ」
「はあ。随分都合の良い女になってしまったものだよ」
わざとらしくため息をつくエリフィアが、小さい袋を取り出す。
「では、妹さんにこれを渡しておいてくれ」
「なんだこれは」
「クッキーだよ。王都の人気店のものだ」
「なんのつもりだ?」
「姉が妹に贈り物をするのに理由でも?」
「いつから姉になったんだ」
「これからなるのさ」
クックッと笑うエリフィアから袋を受け取り、ギルドをあとにした。
***
ギルドを出ると、昼前の街はいつも通りに騒がしかった。
荷車の車輪が石畳を鳴らしている。
屋台の親父が焼き串をひっくり返している。
水汲みの子供が、桶を抱えて走っている。
いつも通りだ。
いつも通りなのに、妙に胸の奥が落ち着かなかった。
セラが待っている。
それだけなら、いつものことだ。
だが、今日は違う。
俺は昨日、治療院へ運ばれた。
意識がなかった。
血も吐いた。
家を、不在にしていた。
俺は歩く速度を上げた。
大丈夫だ。
扉はボロいが、頑丈にしてある。
薬も置いてある。
隣近所にも、必要なら声をかけられるようにしてある。
これまで数日家を空けたことだってある。
それでも、嫌な予感は消えなかった。
角を曲がる。
細い路地に入る。
見慣れた古い壁が見える。
俺たちの家だ。
扉の前に、荒らされた痕跡はない。
窓も割れていない。
俺は息を吐いた。
よかった。
何もなかった。
扉を開ける前に、内側から軽い足音がした。
「お兄ちゃん、おかえり!」
扉が開く。
セラが立っていた。
エプロン姿のまま、ぱっと顔を明るくする。
「ただいま」
「治療院はもういいの?」
「ああ」
「さすがお兄ちゃん!」
セラは、俺が重傷だったことは知らない。
そもそも仕事内容も、ちょっとした清掃業くらいに思っているはずだ。
エリフィアに頼んで、うまく伝えてもらっているからだ。
セラには余計な心配をかけさせたくない。
俺はエリフィアから預かった袋を渡す。
「土産だ」
「わあ、なに?」
「クッキーだ。エリフィアから」
「エリフィアさんから? やった!」
セラは袋を受け取ると、にこにこと中を覗いた。
「これ、王都の超人気店のじゃん?!」
「知ってるのか?」
「逆になんで知らないの? お兄ちゃん、エリフィアさんにちゃんとお礼言った?」
「言ってない」
「言って。次会ったとき100回言って。てか私が今度会いにいこーっと」
セラはそう言って笑った。
顔色は悪くない。
呼吸も安定している。
魔力の乱れも少ない。
よかった。
本当に、何もなかった。
そう思った瞬間、セラがにやにやと笑った。
「それでね、お兄ちゃん」
「なんだ」
「お客さんが来てるよ!」
「客?」
嫌な予感が、少し戻ってきた。
「誰だ」
「ふふーん。見ればわかるよ」
セラが楽しそうに身を引く。
俺は家の中に入った。
居間に、ネムハがいた。
頭に包帯。
頬に包帯。
腕にも包帯。
どう見ても治療院から出てきてはいけない姿のまま、椅子に座っている。
そして、普通に飯を食っていた。
「このシチュー……まず香りの立ち上がりが見事ですね。野菜の甘みが前衛として舌に斬り込み、肉の旨味が中衛から厚く支え、最後に塩気が後方支援として全軍をまとめています」
「なぜ俺の家でグルメレポートをしている」
「セラらんに、おかわりをいただきましたので」
セラらん。
俺はセラを見る。
セラは満面の笑みで、鍋を持っていた。
「ネムネム、まだ食べる?」
「いただきます、セラらん! 我が舌をもってもこのシチュー、難攻不落……!」
「ふふっ。たくさんあるよ」
「セラらんは天才軍師です!」
ネムネム。
俺は額を押さえた。
「……いつの間にそんな呼び方になった」
「さっき!」
「さっきです!」
息が合っている。
嫌な予感が、かなり濃くなった。
「補佐官」
「なんでしょうか、超絶有能さん!」
「治療院に戻ったんじゃないのか」
「戻りました!」
「なら、なぜここにいる」
「退院しました!」
「早すぎるだろ」
「自主的な退院です」
「それは脱走だ」
「な、なんだってー?!」
ネムハは大げさに驚いたあと、またシチューをひと口食べた。
「ちなみに、この肉は大変よいです。噛むほどに、超絶さんの秘めたる有能さの味がします」
「食材に俺を混ぜるな」
「では、セラらんの優しさの味です」
「それならいい」
「いいんだ」
セラがケラケラ笑う。
俺は改めてネムハを見る。
「用件は何だ」
ネムハがさっと床に正座し、土下座した。
「不肖ネムハ、ここに住まわせていただきます」
「帰れ」
即答した。
「がーん!そんなぁ~あたしを捨てないでぇ~」
「理由がないだろ」
「いえ、私は剣故。主の手元にない剣などただの犬です。ワンワン」
「意味がわからん」
すると、セラが鍋を置いて、両手を合わせる。
「お兄ちゃん、いいでしょ?」
「ワンワン」
「よくない。捨て犬のほうがマシだ」
「でも、ネムネム、怪我してるんだよ?」
「だから治療院に戻す」
「治療院だと寂しいって」
「いえ」
ネムハがきっぱり言った。
「シノビマスターは孤独にも屈しません!」
「ほら、寂しいんだよ」
「兄譲りの解釈!」
セラは楽しそうだった。
いつもの明るい笑顔だ。
でも、その笑顔を見ていると、ふと気づいてしまう。
セラには、同年代の友達がほとんどいない。
外へ出られる日は限られている。
無理をすれば、すぐに体調を崩す。
学校にも、遊び場にも、当たり前みたいには行けなかった。
俺は金を稼いできた。
薬を買ってきた。
おいしい食事も用意した。
不自由なく生活できるようにしてきた。
けれど、同じ年頃の誰かと笑う時間までは、用意してやれなかった。
セラは、ネムハの皿にシチューをよそっている。
ネムハは、なぜか背筋を伸ばしてそれを受け取っている。
「ありがとう、セラらん」
「どういたしまして、ネムネム」
楽しそうだった。
本当に、楽しそうだった。
俺は、深く息を吐く。
「……数日だけだ」
「お兄ちゃん!」
「やったあ! セラらん、勝利です!」
「「ハイタッチ~、ハイタッチ~、イエーイ!」」
二人が妙に息の合った掛け声でハイタッチする。
「ただし、傷が治るまで治療院には毎日通え。傷が開いたら即退去だ」
「承知の助!」
ネムハは勢いよく立ち上がり、いつもの変なクロスガッツポーズをした。
「ところで超絶さん、ひとつ問題があるのですが」
「なんだ」
「あたしはこの家では剣でいるべきか、犬でいるべきか……?」
「好きにしろ」
「ケンケン!」
「どっちなんだそれは」
セラが大笑いした。
妹の笑顔。
ささやかで、くだらない日常。
それならまあ、少しくらいなら、この迷惑な居候を、置いてやってもいいか。




