第30報 王都からの使者
副ギルドマスター、ゴードンの執務室には、朝から冷えた空気が流れていた。
窓は閉めている。
暖炉にも火は入っている。
それでも、部屋の温度が上がった気がしない。
原因は、机の前に立つ男だった。
王都から来た使者である。
細身の男だ。
派手な服装ではない。
だが、仕立ての良い外套、磨かれた靴、無駄のない所作のすべてが、この街の職員とは格が違うと語っていた。
男は封蝋のついた抗議文を机に置いた。
「では、王都よりの正式な抗議として、受理していただけますね」
「……受理、します」
ゴードンは、喉の奥から声を絞り出した。
抗議の内容は、わかりきっている。
ザインが重傷を負った件だ。
王都から呼び寄せた若き有望株。
家柄も実力もあり、将来的には大きな後ろ盾になるはずだった青年。
そのザインが、第9階層の調査で未象に巻き込まれ、重傷を負った。
面倒な話だった。
「まず確認いたします」
使者は淡々と言った。
「ザイン様は今回、王都からの正式派遣として第9階層調査に参加されたわけではありません」
「それは……」
「貴方が、個人的に協力を要請した。そうですね」
「個人的? 違う! 私は副ギルドマスターとして、この街の危機に対処するために動いたのです!」
ゴードンは机に両手をついた。
「未象ですよ? 未象が出たのです! 迅速な判断が必要だった! いちいち王都へ確認を取り、ギルドマスターの顔色をうかがっている間に、被害が広がったらどうするのですか!」
「今回の未象と呼ばれる存在についての報告書は読みました」
「ならば、おわかりでしょう!」
「緊急性はなかったと思いますが?」
ゴードンの口が止まった。
使者は、手元の書類へ視線を落とす。
「報告書によれば、当初は第9階層に未象らしき現象がある、という観察報告でした。即時に街へ被害が広がる兆候はない。救助対象がいるわけでもない」
「そ、それは結果論です!」
「いいえ。出発前の記録です」
「未象は予測不能です! 慎重を期すなら、優秀な人材を――」
「正式手続きを省く理由にはなりません」
使者の声は、冷たくも荒くもない。
ただ、逃げ道を塞ぐように置かれていく。
「ギルドマスターの承認印はありますか?」
「現場判断です」
「正式依頼書は?」
「緊急時に書類が何の役に立つというのです!」
「王都への事前照会は?」
「間に合うわけが――」
「先ほど申し上げました。緊急性は確認できません」
「……っ」
「ザイン様の護衛計画は?」
「ザイン様ほどの実力者に、護衛だと? そのようなもの、侮辱です! 彼は王都が誇る有望株なのでしょう!?」
使者は表情を変えなかった。
「つまり、ありませんね」
ゴードンの顔が赤くなる。
「そうやって、後から書類だけを並べて責めるのは簡単でしょうな! だが現場は違う! 現場では判断が求められる! 私は判断した! それだけです!」
「ですから、その判断を問題視しているのです。緊急性のない事態に、正式な依頼を通さずにザイン様を参加させ、重大な怪我を負わせた。この、貴方個人の判断を、です」
「……私個人、ですと?」
「ギルドマスターの承認も、王都の許可も、正式な依頼契約も確認できませんでした。よって、今回のザイン様の参加は、貴方個人の協力要請と判断いたします」
ゴードンの頬が引きつった。
ギルドマスターの承認印はない。
正式依頼書もない。
王都への照会記録もない。
すべて、自分の独断として残っている。
そこでゴードンは、ようやく気づいた。
エリフィアは、止められなかったのではない。
止めなかったのだ。
「待て。待ってください。それはおかしいでしょう」
「おかしい、とは」
「なぜ私だけが責められるのですか! 現場には特別未象対策班がいた! ギルドマスターの肝いりでしょう! 責任者はエリフィアだ! 私ではない!」
声が大きくなる。
「それに、そもそも失敗したのは私ではない! 私は人材を用意しただけだ! むしろ機会を与えたのだ! だというのに、あの死体清掃員が無能だったせいで、このようなことになったのです!」
「死体清掃員?」
「そうだ! あのリカルドです!」
ゴードンは、吐き捨てるように言った。
王都の使者が、手元の書類に目を落とす。
「少なくとも、王都の記録上、リカルド氏は死体清掃員ではありません。特殊回収員です」
「どちらでもよい!」
ゴードンは立ち上がる。
「あんな下働きに未象案件を任せるからこうなる! 身分もない! 階級もない! 正式な上級冒険者でもない! 死体を漁るしか能のない男だ! あいつがまともに働いていれば、ザイン様が重傷を負うこともなかった!」
「ゴードン氏」
使者の声は静かだった。
彼は書類の束から1枚の評価票を抜き出し、ゴードンに見えるよう机の上へ置いた。
そこには、大きく『評価:S』の文字が記されていた。
「これは、特殊回収員リカルド氏の業務評価です」
回収成功率。
報告精度。
危険階層同行実績。
魂魄器官の損傷率。
どの項目にも、最上位評価が並んでいる。
「王都では、彼をS評価の特殊回収員として記録しています。過去の実績を見ても、今回の任務を任せるに足る人物だと判断できますが?」
「S……? あの男が?」
「ご存じなかったのですか」
「実績など関係ない! ザイン様に重傷を負わせたのはヤツだ!」
だが、使者の表情は変わらなかった。
「ザイン様は、この度のリカルド氏の働きを大いに認めておられます」
「……何ですと?」
使者は、評価票の上に別の書類を重ねた。
「王都としては、リカルド氏がザイン様の命を救ったものと認識しております。感謝こそすれど、責任を問う理由はありません」
ゴードンの顔から、血の気が引いた。
すぐに、怒りでまた赤くなる。
「そ、それは違う! ザイン様が勘違いをされているのです! 未象の現場ですよ!? 意識も混濁していたはずだ! 重傷を負った人間の証言を、そのまま受け取るのは危険でしょう!」
「ゴードン副ギルドマスター」
使者の声が、初めてわずかに低くなった。
「今、貴方はザイン様の証言能力に疑義を呈されたのですか?」
「い、いや、私はそういう意味で言ったのではない!」
「あるいは、ザイン様の現場判断に問題があったと?」
「違う! そうではなく!」
使者は、静かに言った。
「疑うならまず、正式手続きを経ずにザイン様を危険地帯へ誘導した、貴方の判断ではないですか?」
ゴードンの口が、魚のように開閉した。
言葉が出てこない。
使者は、抗議文の端を指で押さえる。
「王都は、詳細な報告書の提出を求めます。あわせて、貴方への処分を求める通達をギルドへ送付します」
「しょ、処分……」
ゴードンは頭を下げた。
屈辱だった。
使者は、最後まで淡々としていた。
それが余計に腹立たしかった。
怒鳴られた方が、まだよかった。
言い返す隙があった。
だが、この男はただ、記録と証言と正式手続きに基づき、王都の意思を伝えるだけだ。
「では、私はこれで」
使者は礼をして、部屋を出ていった。
扉が閉まる。
その瞬間、ゴードンは机の上の抗議文を握り潰した。
「死んでいれば……」
低い声が漏れた。
リカルドが死んでいれば、話は簡単だった。
未象による殉職。
現場の混乱。
予測不能の災害。
報告書はいくらでも整えられた。
ザインの重傷も、勇敢な協力者が未象災害に巻き込まれた不幸な事故として処理できた。
自分の判断も、結果的に失敗しただけの現場対応で済んだ。
だが、あの男は生きている。
しかも、ザインを救ったという余計な土産まで持ち帰った。
ザインも。
王都も。
ギルドマスターも。
誰も、自分の味方をしていない。
少なくとも、ゴードンにはそう見えた。
だから、王都が動いた。
だから、自分が責められている。
ゴードンは、潰れた抗議文を机に叩きつける。
「死体清掃員風情が……!」
吐き捨てた、その時だった。
執務室の外が騒がしくなった。
大広間の方から、ざわめきが広がってくる。
驚き。
どよめき。
誰かが椅子を倒す音。
ゴードンは眉をひそめた。
「今度は何だ!」
呼び鈴を鳴らす前に、扉の外から職員の慌てた声がした。
「副ギルドマスター!」
「騒がしいぞ! 何事だ!」
「リ、リカルドが……」
「リカルド?」
ゴードンの顔が歪む。
「リカルドが、もうギルドに来ています!」
「……何だと?」
昨日、血を吐いて倒れたはずの男。
治療院でしばらく動けないはずの男。
死んでいれば都合がよかった男。
その男が、もう戻ってきた。
ゴードンは立ち上がり、窓越しに大広間の方を睨んだ。
胸の奥で、黒い感情がさらに濃くなる。
あの男は、やはり邪魔だ。




