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第26報 止まった世界

 ズズズ、と。


 足元の地面が傾き、俺たちの体はバランスを失った。


「うわぁぁぁッ!?」


 ザインの悲鳴と共に、世界が崩落する。


 クレーターの中心に向かって、巨大な蟻地獄のように土砂が流れ込み始めたのだ。

 俺たちが立っていた場所も、その崩壊の渦に飲み込まれていく。


「つかまれ!」


 俺は咄嗟に近くの突き出た岩盤に手を伸ばし、反対の手でザインの襟首を鷲掴みにした。


 ネムハも瞬時に反応し、俺の足にしがみつく。


 ドドドドドッ!


 凄まじい音を立てて、周囲の土砂や瓦礫が眼下の闇へと滑り落ちていく。


 俺たちは土砂崩れの中、1本の杭にしがみつくようにして耐えた。

 体感で数十メートルはずり落ちただろうか。


 やがて、振動が収まる。


 俺たちがしがみついた岩盤は、崩落の縁で奇跡的に引っかかり、停止していた。


「……た、助かったんですか?」


 ザインが涙目で顔を上げる。


 俺は荒い息を吐きながら、下を覗き込んだ。


 そこには、奇妙な光景が広がっていた。


「……なんだ、あれは」


 崩落した大穴の底。

 そこに、巨大な黒い球体が鎮座している。


 鉱石、と呼ぶには大きすぎる。

 卵、と呼ぶには硬すぎる。

 黒く、重く、光を吸い込むような塊だった。


 だが、俺が目を奪われたのは、その周囲だ。


「岩が、ぶつかっていませんね」


 ネムハが気味悪そうに呟く。


 上から雪崩れ込んだ大量の土砂や瓦礫が、底に溜まっている。

 だが、音がなかった。


 巨大な岩同士が激突しているはずなのに、砕けることもなく、弾かれることもない。

 まるで幽霊のように互いをすり抜け、あるいは泥の中に吸い込まれるように、音もなく沈んでいく。


 空中に舞った土煙は、拡散することなく、インクを垂らしたようにその場に漂っている。


「物理干渉が……死んでいるのか」


 岩が落ちる。

 だが、ぶつからない。


 煙が舞う。

 だが、広がらない。


 重さがある。

 だが、積み上がらない。


 原因だけが起きて、結果がどこにも来ていない。


 俺は理解し、背筋が凍った。


 ここは、結果が遅れてくる世界だ。

 中心に近づけば近づくほど、その遅延は極大化する。


 だが、あそこは別だ。


 遅れているんじゃない。

 結果そのものが、来ていない。


「あそこに落ちたら終わりだ」


 俺はザインの襟を締め上げながら言った。


「落ちても、着地できない。手を伸ばしても、掴めない。足を動かしても、進めない。叫んでも、声が届くかどうか怪しい」


 ザインがひっ、と息を呑む。


「死ぬんですか……?」


 ネムハが、穴の底を覗き込みながら尋ねる。


「死ねるなら、まだマシだ」


 時間停止ではない。

 もっとタチが悪い。


 動ける。

 考えられる。

 苦しめる。


 ただ、外に戻るための結果だけが来ない。


「永遠に……でも、しかし、あるいは……」


 ネムハが何か逡巡したあと、決意の顔で俺に話しかけてきた。


「超絶さん、我々は冒険者です」

「ああ」

「冒険者たるもの、未知を探求すべしーッ!」

「止めろ」


 穴にダイブしようとしたネムハの足首を払う。


 盛大にすっころんだネムハが、不思議そうな顔で俺を見る。


「超絶さん……なぜ……?」

「ふざけてる暇があったら、戦闘態勢を取れ」


 カサ、カサカサ……。


 乾いた音が、穴の底から響いてきた。


 俺たちが注視する先。

 あの物理法則が死んだ領域の暗がり。


 そこから、蜘蛛のような無数の黒い影が這い出してきた。


「さっきの人影とは違うな」


 影の亡霊ではない。

 人型ですらない。


 細い脚をいくつも持つ、蜘蛛のような黒い影。

 胴体は潰れた兜のように丸く、赤い目だけが、暗がりの中で点々と光っている。


「住民のお出ましというわけか」


 奴らは、あの摩擦のない空間を、奇妙な動きで移動していた。


 地面を蹴っているのではない。

 ある瞬間には底にいた影が、次の瞬間には数メートル上の壁に張り付いている。


 動いている、というより、位置だけが飛んでいる。


「なっ、なんですか、あいつらは!?」


 ザインが叫ぶ。


「あそこはまともに動けないはずでしょう! なんで登ってくるのですか!」

「適応しているんだ」


 俺は短剣を抜いた。


 この領域に棲んでいるのか。

 それとも、何かに引き寄せられたのか。


 そこまではわからない。


 だが、少なくとも奴らは、この異常な環境で動く術を持っている。


 影の蜘蛛たちが、壁を這い登ってくる。

 その赤く光る目は、明らかに俺たち――崖の縁で身動きが取れない獲物を狙っていた。


 迎え撃てば、攻撃の結果が遅れる。

 逃げれば、足場が崩れる。

 下に落ちれば、終わり。


 最悪だな。


 だが、最悪なら慣れている。

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