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第24報 攻撃は、あとから来る

「ひっ、ひぃぃぃぃっ! 来るな! 来るなぁぁぁっ!」


 第9階層、〈鏡の湖畔〉。

 美しい水晶の洞窟に、ザインの情けない絶叫がこだまする。


 彼の周囲には、半透明の黒い人影――影の亡霊が数体、ゆらりと漂っていた。

 顔はなく、ただ冒険者のシルエットだけを模した不気味な存在だ。


「消えろ! 消えろぉぉぉッ!」


 ザインが半狂乱で杖を振り回す。

 ヒュン、ヒュン、と風を切る音が響く。


 彼の杖は、確かに影の胴体を捉えているはずだった。

 だが、手応えはない。

 まるで霧を払うように、杖は影をすり抜けていく。


 影たちは、斬られたことになど気づいていないかのように、無言でザインへと歩み寄る。


「やめろ、室長殿! 動き回るな!」


 俺は叫んだ。

 だが、パニックに陥ったエリートの耳には届かない。


「なぜだ! なぜ当たらない!? 幻覚か!? ならばこれでどうだぁッ!」


 ザインは、目にも留まらぬ高速の連撃を繰り出した。

 1秒間に5回。

 神速の突きが影たちを貫通する。


 だが、影は止まらない。


「くそっ、くそぉぉぉっ!」


 ザインが後ずさり、涙目でさらに杖を振った。


 その直後だった。


 バシュッ! ズパンッ! ドガアアアンッ!


「!?」


 ザインの目の前の影たちが弾け飛んだ。

 胴体が千切れ、首が飛び、霧散していく。


「は……? き、効いた……?」


 ザインが呆然と杖を下ろす。


 理由はわからないが、目の前の敵が一掃されたのだ。

 彼の顔に、安堵の色が浮かぶ。


「は、はは……見ましたか! やはり私の華麗な攻撃は最強……」

「油断するな!」


 俺の警告は、遅かった。


 ドスッ。

 グシャッ。

 バキィッ。


「ぎ、ご……ッ!?」


 勝利宣言をしようとしたザインの身体が、踊るように跳ねた。


 右肩。

 左脇腹。

 太腿。


 何もない空間から、次々と見えない刃が突き刺さり、鮮血が噴き出す。


「あ、が……痛い、痛いぃぃぃッ!?」


 ザインはその場に崩れ落ち、泥水を跳ね上げた。


「い、癒やせ……癒やせぇぇッ!」


 血まみれのザインが、錯乱しながら杖を自分に向けた。


「聖なる光よ、我が傷を塞ぎたまえ! 上級治癒〈ハイ・ヒール〉!!」


 カッ!


 光が弾ける。

 だが、傷は塞がらない。


「な、なぜだ!? 足りないのか!? 治れ! 治れぇぇッ!」


 カッ!

 カッ!

 カッ!


 彼は半狂乱になりながら、自分自身への回復魔法を、何度も、何度も重ねがけした。


 魔力は消費されている。

 光も発している。


 だが、ザインの身体には何も起きなかった。


「馬鹿な! 馬鹿なぁぁッ!」


 ザインは絶望し、立ち上がると、無様に背を向けて走り出した。


「ひいぃぃ! 逃げるぞ! こんなわけのわからない場所、いられるか!」


 だが、数歩も行かないうちに。


 ガッ。


「あぶしっ!?」


 何かに足を取られ、ザインが泥の中に顔から突っ込んだ。


「な、なんだ……木の根か……?」


 ザインが顔を上げ、自分の足を掴んだそれを見て、悲鳴を上げた。


 泥の中から突き出ていたのは、錆びた鎧の手だった。


 それだけではない。

 彼が転んだ場所。

 そこは、泥に埋もれた死体の山だったのだ。


 何十、いや何百という冒険者たちが、ここで折り重なるように死んでいる。


「ひっ、ひぃぃぃぃぃ!」


 ザインは腰を抜かし、後ずさる。


 俺は、その異様な光景を見て、目を細めた。


 これだけの数。

 しかも高ランクの装備をした冒険者たちが、なぜこの場所で死んでいる。


 全滅。

 いや、逃げようとして、ここで詰まったのか。


「……補佐官。警戒は解くな。室長殿を守れ」

「おまかせあれ!」


 俺は泥に静かに歩み寄り、死体の山へと手を伸ばした。


「おいドブネズミ! 何をしている! 早く私を助け起こさんか!」


 ザインが喚くが、無視する。


 俺は、泥にまみれた頭蓋骨の1つを鷲掴みにした。


『死の追体験(デス・トレース)』


 ドクンッ。


 脳髄を直接揺さぶるような不快感と共に、死者の断末魔が流れ込んでくる。


『よし、見切った!』


 完璧な回避。

 敵の剣は空を切った。


『もらった!』


 カウンター。

 手応えなし。


『は? なんで……』


 首が落ちる。


「うぷっ」


 込み上げる吐き気。

 俺はすぐに手を離し、次の死体を掴む。


『燃えろ!』


 火球直撃。

 燃えない。

 敵は平然と歩いてくる。


『魔法無効化かよ!? クソッ!』


 逃走。

 転倒。

 炎が身体を包み込む。

 絶命。


 肌が熱い。

 脂汗と震えが止まらない。


 だが次。


『かわせ!』

『当たらない!』

『なんでだ!』


 次。

 次。

 次。


 俺は、泥水を啜るような無様な姿勢で、死体の山を這いずり回った。


 脳が焼き切れるような警告信号を無視し、新たな死に際をひたすら体験していく。


(これは……)


 鼻からツーと生温かいものが垂れる。


 視界がチカチカと明滅し、激しい嘔吐感が胃袋を絞り上げる。

 他人の断末魔、絶望、肉体的苦痛を、生身の脳に直接流し込んでいるのだ。


 まともな神経なら、1人分の記憶で廃人になってもおかしくない。


 だが、止まらない。


(……足りない。もっとだ。もっとよこせ)


 俺の脳味噌の1つや2つ、焼き切れたところで構わない。

 それでこの法則が解けるなら。

 妹の元へ帰るための正解が得られるなら、安い代償だ。


 俺は痙攣する指先で、新たな泥塗れの頭蓋骨を鷲掴みにした。


 何十人もの理解不能な死が、濁流となって雪崩れ込んでくる。


 全員が混乱し、全員が自分の感覚を裏切られ、全員が何かと噛み合わないまま死んでいる。


 そして、最後の1人。

 立派な鎧を着た聖騎士の記憶。


『極大魔法〈メテオ・ストライク〉ッ!!』


 全魔力を込めた、必殺の一撃。

 だが――何も起きない。


『……不発? 神よ、見捨てたもうたか……』


 騎士は絶望し、敵に囲まれ、剣で串刺しにされる。


 薄れゆく意識。

 走馬灯。


 そして、死の淵で、視界が真っ白な光に包まれて終わる。


「……ぐっ、ぅ……」


 俺は泥の中に手をつき、荒い息を吐いた。


 頭が割れそうだ。

 だが、無数の死のパズルが、脳内で1つの形を結んでいく。


 避けたのに、当たった。

 撃ったのに、出なかった。

 最強の魔法は、不発に終わった――いや。


(……そういうことか)


 俺は顔を歪め、血の混じった唾を吐き捨てる。


 わかった。

 ここのルールが。

 強者がなぜ、一方的に殺されるのか。

 その残酷なカラクリが。


 俺がふらりと立ち上がると、背後から嘲笑うような声が聞こえた。


「ハッ、相変わらず浅ましい男ですね」


 ザインだ。

 彼は杖を突き、何とか立ち上がっていた。


「人が戦っている最中に、死体漁りとは。やはりドブネズミには、ハイエナのような真似がお似合いだ。まあいいでしょう、私の華麗な攻撃で敵は一掃しましたからね」


 ザインは勝った気でいる。


「おい、そこから――」


 俺が叫ぼうとした、その時だった。


 ホワァァァァァ……!


 唐突に、何もない中空で、光の奔流が爆発し、周囲へと激しく拡散した。


 ジュワァァァ……。


 降り注ぐ光の飛沫が、泥の中に散らばっていた影の亡霊の残骸を濡らす。


「……あ?」


 ザインが呆然と目を見開く。


 光を浴びた泥の中で、千切れた影の腕が繋がり、飛んだ首が戻り、霧散したはずの瘴気が再凝縮していく。


「あ、あ、あ……」


 ザインの笑顔が凍りつく。


 蘇った影たちは、以前よりも濃い瘴気を纏い、数も倍以上に増えているように見えた。


「ひ、ひぃぃぃッ! 化け物! 化け物ォォッ!!」


 完全に理性を失ったザインは、血走った目で杖を掲げた。


「もういい! 消えろ! 全部消えろぉぉぉッ!」


 俺が止める暇もなかった。

 ヤツの杖に、膨大な魔力が収束していく。


「強制執行! 穢れし大地を光の海へと沈めよ! 広域殲滅浄化〈ワイド・エリア・パージ〉――〈セイント・スーパーノヴァ〉!!」


 ドォォォォォン……!


 いや、音はしなかった。


 杖の先から放たれたのは、視界を埋め尽くすほどの灼熱の奔流――のはずだった。


 だが。


 スンッ。


 何も起きない。


 魔力だけがごっそりと消え、湖畔は静寂に包まれていた。


「……は?」


 ザインが、空っぽになった杖を見つめて呆然とする。


「な、なぜ……? 今、私は最大の魔力を……」


 俺は、その静寂を見て、全身の毛が逆立つのを感じた。


 死体の記憶が蘇る。


 最強の魔法を放った聖騎士と、その末路。


「……逃げるぞ!!」


 俺は叫び、ネムハの手を引いた。

 そして、呆けているザインの首根っこを掴み、強引に引きずり倒す。


「え、怖気ですか?」

「な、無礼な! 何をするのです!」


「黙って走れ! ここはもうすぐ、更地になるぞ!!」


 俺たちは、静まり返った――破滅の秒読みが始まった湖畔を、全力で駆け出した。

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