第22報 ゴミ箱
〈鋼鉄の獅子〉の面々による、熱狂的な歓迎から一転。
数十分後、俺とネムハは、ギルドの地下深く、埃っぽい倉庫の前に立たされていた。
「……ここが、俺たちの新しい執務室だと?」
「はいっ! 通称『特別未象対策室』! 略して『ゴミ箱』であります!」
「どこが略してだ」
目の前の扉には、確かに手書きで『対策室』と書かれたボロボロの板が釘で打ち付けられている。
どう見ても、ただの物置だ。
窓もない。
換気も悪そうだ。
「リカルド、入ってくれたまえ」
背後から声がした。
ゴードンだ。
先ほどまでの苛立ちはどこへやら、今は粘着質な笑みを浮かべている。
「君のような特殊な人材には、相応の場所が必要だと思ってね。地上で目立たれては、他の冒険者の士気に関わる」
「ドブネズミにはうってつけの場所ってわけか」
「何、機密保持のための特別室だよ」
「はい、我々はシークレット・ドブネズミであります! そう、ドブネズミはどんな状況にも適応でき、そして何より繁殖りょ……」
そこでネムハが絶望的な顔になる。
あれが来るぞ。
「えっちなのは、お断りです!」
「もはや俺のセリフだ」
鼻白んだ顔をしたゴードンが、部屋の中へと顎をしゃくった。
「早く入れ。君に新しい上司を紹介しよう。いつまでも素人判断で動かれては困るからな」
「上司、だと?」
ゴードンの背後、暗がりから、一組の足音が響いてきた。
その足音は、この薄汚い地下には似つかわしくない、カツ、カツ、という硬質で洗練されたリズムを刻んでいた。
現れたのは、部屋の汚さには似つかわしくない、純白の法衣に身を包んだ男だった。
金色の髪。
透き通るような青い瞳。
全身から漂う、鼻につくほどの清潔感と、聖法気のオーラ。
男は、手にしたハンカチで口元を押さえながら、まるで汚物を見るような目で俺たちを一瞥した。
「……遅いですね。時間は厳守していただきたい」
声まで美声だが、その響きには絶対的な見下しが含まれていた。
ゴードンが、勝ち誇ったように紹介する。
「紹介しよう。王都の聖騎士団より招聘した、対魔祓魔のスペシャリスト。ザイン・ルミナス卿だ。今日から彼が、この対策室の室長となる」
ザインは、ゆっくりと立ち上がり、俺の目の前まで歩み寄る。
そして、俺が差し出そうとした手を無視し、冷ややかに言い放った。
「君が例の死体清掃員ですか。……ふん、聞いていた通り、死体と汚泥の臭いが染み付いている。実に不快だ」
「……それはどうも」
「勘違いしないでくださいね。私は、君たちのお守りをするために来たのではありません。論理と聖法に基づき、未象を浄化しに来たのです。君のような、勘と運だけで生き残ったドブネズミの出番など、これからはありませんよ」
「ドブネズミは……むぐっ」
何かを言いかけたネムハの口を抑える。
ザインは、完璧な笑顔で、俺に引導を渡した。
「君の仕事は、私の荷物持ちと、私が輝かしい成果を上げた後の、後片付けだけです。……ああ、それこそ君の本職でしたね?」
ゴードンが、くくっ、と喉を鳴らして笑う。
俺の隣で、ネムハが「もごもごっ」と敬礼のポーズを取った。
(……厄介ごとが増えたな)
俺は、内心でため息をついた。
聖法で片付くなら、最初から未象などと呼ばれていない。
この男は、それを理解していない。
これなら、まだネムハのほうがマシだ。
「了解した、室長。あんたに従おう」
俺は淡々と答える。
これは仕事だ。
契約の範囲内。
そう、たとえこのエリートの死体を回収することになろうとも。
それが、俺の、死体清掃員の仕事だ。
俺が了承したのを見て、ザインは満足げに鼻を鳴らした。
そして、その冷ややかな視線を、俺の隣にいるネムハへと滑らせる。
瞬間。
ザインの瞳の色が変わった。
先ほどまでの潔癖な軽蔑の色が消え、ねっとりとした、品定めするような光が宿る。
「……ほう。君は、なかなか筋が良さそうだ」
ザインの視線が、ネムハの全身を、這うように舐め回した。
美術品を愛でるようでありながら、隠しきれない粘着質な欲望が透けて見える目だった。
「ネムハ君、と言いましたね。この薄汚い地下には似合わない上玉だ。どうです? 私の専属補佐として、個別に指導をしてあげてもいいんですよ?」
ザインが一歩近づく。
甘ったるい香水の匂いが漂う。
すると。
「……」
ネムハから、冷徹な気が発せられた。
俺は、とっさにネムハの手首をつかむ。
「おい」
こいつ、斬ろうとしやがった。
ザインは何が起きたのか気づいていない。
自分の首が、今まさに飛びかけたことにも。
「さすが超絶さん、我が剣閃を止めるとは、やりおるわい……」
「なんだその口調は。俺が止めるとわかっててやったな」
「当然です。あたしは貴方の剣です。貴方が止めない、すなわち、シュシュッと斬るべし! です!」
俺は頭を抱える。
ネジの外れた部下と、下衆なエリート上司。
両方いなして未象に立ち向かうことになるのか。
ゲラゲラと腹を抱えて笑っているエリフィアが想像できる。
(あいつめ、いつか死臭迷彩を施してやる)
何が起きているかわからない顔をしているザインに、改めて向き直る。
「室長殿。部下への指導はありがたいが、まずは仕事が先だ」
ザインは、自分が置いていかれていたことに不快そうに眉をひそめたが、すぐにフンと鼻を鳴らして、興味を失ったように視線を外した。
「……まあいいでしょう。楽しみは後に取っておきます」
彼は懐から1枚の羊皮紙を取り出し、俺たちに投げ渡した。
「初仕事です。第9階層、〈鏡の湖畔〉エリア。そこで冒険者が謎の死を遂げる事件が多発しています。目撃証言によると、何もない空間から斬撃を受けた、あるいは、冒険者の影に襲われた、とのことですが……」
ザインは、馬鹿にしたように肩をすくめた。
「くだらない。どうせただの幻覚魔法か、視覚を狂わせる呪いの類でしょう。私の聖法気で、一瞬で浄化して見せますよ。さあ、行きますよ、荷物持ち共」
ザインは優雅に踵を返し、出口へと歩き出す。
俺は、床に落ちた指令書を拾い上げ、埃を払った。
(……見えない斬撃に、冒険者の影、か)
俺は報告書の内容に、一抹の違和感を覚える。
それは単なる幻覚とは、どこか質が違う気がした。
だが、この段階でわかることは何もない。
「……行くぞ、補佐官」
殺気が霧散したネムハの手首を離す。
ネムハは、ハッとした顔で手首を引く。
手首をさすりながらジッと見つめたあと、サッと表情を変えた。
「まさか……ここが柄だったなんて……」
「だから剣は比喩だろうが」
ゴミ箱での初仕事は、予想通り、波乱の幕開けとなりそうだ。




