第2報 死者の最期を視る
オークの死体は、やはり異様だった。
捻れている。
斬られたのでも、殴られたのでも、潰されたのでもない。
死体の形だけが先に決まり、肉体があとからそこに押し込まれたような死に方。
この仕事を始めてから、数えきれないほどの死体を見てきた。
だから、それだけは断言できる。
これは、通常のモンスターの仕業じゃない。
(だが……)
何が起きていようと、まず状況を確認しなければならない。
この先には、アレンたちがいる。
生きているなら、合流したほうが生存率は上がる。
死んでいるなら、装備と貴重品の回収が俺の仕事になる。
どちらにせよ、見ないわけにはいかなかった。
俺は、壁際を這うようにして、慎重に先へ進む。
【隠密】スキルの全てを注ぎ込み、自らの存在感を極限まで希薄にする。
足音も、呼吸も、心拍さえも、ダンジョンの淀んだ空気の中に溶け込ませていく。
通路は、先ほどアレンたちが進んでいった方向へと続いている。
A級パーティだ。
街の英雄だ。
この階層の敵に遅れを取るはずがない。
だが、あのオークの死に様が、脳裏に焼き付いて離れない。
常識が、通用しない。
そんな予感が、腹の底で渦巻いていた。
しばらく進むと、通路が少し開けた場所に出た。
そして、俺はそれを見つけてしまった。
「……アレン」
思わず、声が漏れた。
そこに転がっていたのは、間違いなく、先ほど俺を殴りつけ、置き去りにしていった幼馴染の姿だった。
彼は、壁に背をもたれるような形で、ぐったりと座り込んでいる。
一見すると、ただ疲れて休息しているだけにも見えた。
外傷らしい外傷は見当たらない。
だが、すぐにその異常さに気づく。
彼の周囲だけ、空気が奇妙に澄んでいる。
あれほど満ちていた腐臭が、その一角だけ、まるで存在しなかったかのように消え失せていた。
そして、彼の右手。
自慢の長剣を握りしめているその腕が、ありえない方向にねじ曲がっている。
まるで意思を持った蔓のように伸び、自らの首にぐるぐると絡みついていた。
彼の顔は、苦悶に歪んでいた。
窒息死。
それは明らかだった。
自分の腕で、自分の首を絞めて。
さっきまで、俺を底辺職と呼んでいた男だ。
その男が今は、俺に回収される側になっている。
「……なんだ、これは」
理解が追いつかない。
冒険者は死と隣り合わせだ。
幼馴染だろうと、剣聖だろうと。
だから、その無様な最期を見ても、何の感情も湧かないはずだった。
だが、目の前の光景は、そんな事情を吹き飛ばすほどに、ただただ、異様だった。
俺は、周囲を最大限に警戒しながら、ゆっくりとアレンの死体に近づく。
罠か?
何かの呪いか?
だが、周囲に魔力の残滓はない。
敵の気配もない。
ただ、静寂と、アレンの歪な死体だけがそこにあった。
(装備は……無事か)
俺は、自らの仕事に思考を切り替える。
彼の腰に提げられたままのポーチ。
指にはめられた指輪。
特筆すべきは、自らの首を絞めている腕が握りしめている長剣。
すべてが貴重品だ。
これを回収しなければ、ギルドへの報告ができない。
俺は、アレンの前に屈みこんだ。
まずは、状況を確認する。
彼の腕は、死後硬直が始まっているのか、ガチガチに固まって首に食い込んでいる。
これを無理に引き剥がすのは骨が折れそうだ。
「……悪く思うなよ」
誰に言うでもなく呟き、俺は彼の腕に手を伸ばした。
その指先が、アレンの冷たくなった皮膚に、触れた。
その、瞬間だった。
――ッ!?
世界が、反転した。
凄まじい勢いで、脳内に膨大な情報が暴力的に流れ込んでくる。
***
「――おい、なんだありゃ? オークが捻れてるぞ?」
カイルの驚く声。
「気味が悪い。構うな、先を急ぐぞ」
アレンの冷たい声。
「でも、アレン……」
ディーナの不安そうな声。
これは、俺――いや、アレンの記憶、か?
通路を進む。
第31階踏破のことで頭がいっぱいだ。
これでまた、英雄として崇められる。
そうすれば、女も、飯も、思うままだ。
――キィィイブブブイィィィィ
不意に、金属が擦れたような、それでいて肉がぶつかったような、奇妙な音が聞こえた。
「なんだ?」
視線を感じる。
冷たく、それでいて熱を帯びたような。
とにかく異様な視線。
「アレン!」
壁が、不気味で、美しい幾何学模様に変形する。
次の瞬間、脳内に、言葉ではない、イメージの濁流が流れ込んできた。
――万華鏡を覗き込んだかのような、無数の幾何学模様。
――巨大なアンコウが、獲物を丸ごと包み込むように、巨大な顎を閉じていく。
――顎は腕となり、老人の顔をした赤子を高々と掲げていく。
――赤子は1本の剣となって地面に突き刺さり、それが巨大な樹木となっていく。
意味の分からないイメージの洪水に、思考が麻痺する。
なんだ、これは。
何を見せられている?
その時、ぎしり、と。
骨が軋む、嫌な音が響いた。
右腕が、まるで意思を持ったかのように、勝手に動き始める。
痛みはない。
ただ、自分の体の一部が、自分の命令を完全に無視して、何か見えない力によって捻じ曲げられていく。
絶対的な支配の感覚。
それだけが、恐怖として脳に焼き付いていく。
「な、なんだよ、これ! 俺の腕が……!?」
仲間たちが、驚愕の表情で俺を見ている。
カイルとメリルが俺の背後に攻撃を放った。
だが、それで何かが止まることはなかった。
2人は顔を見合わせ、競うように逃げ出していく。
ディーナだけが、逃げずに回復魔法を唱えていた。
白い光が腕に降り注ぐ。
だが、俺の腕は癒えるどころか、さらに深く、俺自身の首へと絡みついていく。
何が起こっている?
頭には、意味不明なイメージが流れ続けている。
鞭のようにしなやかになった俺の腕は、それ自体が意思を持ったかのように、俺自身の首へと、ゆっくりと、しかし抗いがたい力で、絡みついていった。
息が、できない。
視界が、霞んでいく。
薄れゆく意識の中、最後に脳裏に浮かんだのは、さっき置き去りにしてきた、あの死体清掃員の姿だった。
(あの野郎……いつも、平然と……)
後悔。
嫉妬。
恐怖。
そして、死。
***
「――う、ぐ……っ、おえええええええっ!!」
記憶の濁流から解放された瞬間、俺は、堪えきれずにその場にうずくまり、胃の内容物をすべてぶちまけた。
涙と、鼻水と、胃液で、顔がぐちゃぐちゃになる。
心臓が、警鐘のように激しく鳴り響いている。
なんだ、今のは。
アレンの、記憶?
死ぬ、直前の……?
いや、死んだ、その時の……?
俺は、震える手で、自らの体を確認する。
怪我はない。
だが、脳には、アレンが体験した恐怖と苦痛が、その死が、まるで自分のことのように、生々しく焼き付いていた。
これが、俺の身に起きたことなのか?
いや、違う。
俺は、アレンの死を視たんだ。
死体に触れた瞬間、死の直前を追体験した。
もし、これが偶然でないなら。
もし、他の死体でも同じことが起こるなら。
俺は、死体から、死の瞬間そのものを拾うことになる。
(……冗談じゃない)
混乱する頭で顔を上げる。
通路のさらに奥、暗闇の中に、もう1つの人影が見えた。
それは、パーティの斥候役、カイルの姿だった。
彼は通路の中央で、祈るように膝を折っていた。




