第18報 未象、納品しました
ギルドマスター執務室の重厚なオーク材のテーブルの上に、1つの薬瓶が置かれた。
〈魔力封じの瓶〉。
その中では、未だ事態を飲み込めていないらしい未象『解体糸』が、餌として与えられたムカデ型モンスター、ムカざぶろうを、芸術的な手際でバラバラに解体し、再生した脚をまた解体するという、不毛な作業を繰り返していた。
「……信じられん」
最初に声を絞り出したのは、副ギルドマスターのゴードンだった。
彼は、瓶の中の光景を食い入るように見つめ、額に脂汗を浮かべている。
「未象を……生きたまま捕獲したというのか? ありえん……こんな、でたらめな……」
「事実だよ、ゴードン」
ギルドマスターのエリフィアは、対照的に、心底愉快そうに目を細めていた。
彼女は瓶を持ち上げ、光にかざして観察する。
「報告書も読んだかい? この未象『解体糸』の特性、行動ルール、および弱点。全てが論理的に解析されている。完璧な仕事だ」
エリフィアが指差した先には、俺とネムハが提出した報告書があった。
俺が記述した『未象:解体糸 観察記録』の横に、ネムハが追記した別紙が添えられている。
そこには、独特な丸文字でこう書かれていた。
『糸の気配は、最初モワッとしてましたが、斬ろうとするとキュッとなって、最後はシュポでした! 現場からは以上です!』
ゴードンがその紙をひらひらと振るわせ、顔を真っ赤にして怒鳴る。
「なんだこのふざけた報告書は! モワッだのシュポだの、我々を愚弄しているのか!」
「おや、わからないのかい?」
エリフィアは、やれやれと首を振った。
「『モワッ』は魔力の拡散状態。『キュッ』は収束と硬化。『シュポ』は封印時の魔力断絶だよ。彼女は感覚で、現象の変化を捉えている。天才的な感性だね」
「はぁっ!?」
ゴードンが目を剥く。
隣で直立不動の姿勢をとっていたネムハが、敬礼の代わりになぜかセクシーなポーズを作った。
「恐縮であります! ボンキュッボンであります!」
「……」
「はっ……えっちなのはお断りです!」
「俺は何も言ってないぞ」
そもそも見てもいない。
含み笑いでこちらを見ているエリフィアに、手続きを先に進めるよう促す。
「さて」
エリフィアは報告書を机に置き、改めて俺に向き直った。
「約束通り、報酬を支払おう。13階層で発生した現象の原因究明、その契約報酬として金貨2万枚」
彼女は机の下から大きな革袋を取り出し、ドン、とテーブルに置いた。
金属同士がぶつかり合う、重い音が響く。
「それに、第5階層での緊急救助報酬として金貨5000枚。そして――」
エリフィアは、瓶の中で蠢く未象『解体糸』へ目を向けた。
「未象の生体捕獲および納品に対する報酬として、ひとまず金貨1万枚だ」
「ひとまず?」
「このような存在を生きたまま捕獲した前例がないんだ。研究対象としてどれほどの価値があるのか、現時点では計りかねる」
エリフィアは、心底楽しそうに瓶を眺める。
「正式な金額は、研究部門の評価が出てから改めて交渉させてくれたまえ。金貨1万枚は仮払いだよ」
「あとから減らす気じゃないだろうな」
「もちろん。追加で支払うための査定さ」
現時点で提示された報酬は、合計金貨3万5000枚。
さらに、解体糸の査定が終われば追加報酬が出る。
目の前の金貨と俺たちのやり取りに、ゴードンの顔色が土気色に変わる。
ギルドの予算管理も彼の仕事だ。
この出費は痛いだろう。
「……そんな額、認められるわけがない! たかが死体清掃員ごときに!」
「『特殊回収員』だ、ゴードン。それに、この未象『解体糸』の研究が進めば、新たな対モンスター用兵器や、防御結界の開発に繋がる。元はすぐに取れるさ」
エリフィアはゴードンの抗議を一蹴すると、革袋を俺の方へと押しやった。
「受け取ってくれ、特任調査官殿。それと、これがもう1つの報酬だ」
エリフィアは、小さな黒い金属板を、テーブルの上に置いた。
「〈賢者の霊薬〉に関する、ギルド保有情報への閲覧許可証だ。これを使えば、保管庫の該当資料を閲覧できる」
黒い金属板には、ギルドの封印紋が刻まれている。
俺は、それを手に取った。
これだけは、受け取る。
だが。
「金貨2万枚は返す」
俺は、最も大きな革袋をエリフィアへ押し戻した。
「どういうことだい?」
「契約書を見ろ。金貨2万枚は『13階層で発生した現象を突き止める』ことへの報酬だ。だが、そいつは、未象『解体糸』は、13階のヤツじゃない」
「ほう?」
エリフィアの眼が鋭くなる。
それは、獲物を見つけた猛禽類のような、冷たく、美しい捕食者の目だった。
「詳しく聞かせてもらおうか」
「簡単な話だ。あの時俺が見た幾何学模様と不協和音。今回の第5階層では、それらが一切観測されなかった」
俺は言葉を区切ったあとに、続ける。
「それに、死体の質が違う」
俺は、瓶の中で蠢く未象『解体糸』を指差した。
「報告書の通り、こいつの本質は分岐の解体だ」
俺は、脳裏に焼き付いている13階層の惨劇を思い出す。
「だが、アレンとカイルは違った。アレンは自らの腕で首を絞め、カイルは自ら矢を突き立てた」
「13階層の未象は、分岐ではなく、違うものに執着していると?」
「いや」
そこで俺は、あの時の支離滅裂なイメージを思い出す。
吐き気が、込み上げる。
「執着とは、限らない」
「ふむ……」
シン、と部屋が静まり返る。
ゴードンが、馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「はっ! つまり何か? 貴様は未象を捕獲したと豪語しておきながら、結局、本命の13階層の化け物には手も足も出ず、たまたま見つけた別の雑魚を捕まえてお茶を濁しただけ、ということか?」
やれやれ、ゴードンらしい物言いだ。
適当に受け流そうとしたその時、冷たい声が響いた。
「いま、何と言いましたか?」
ネムハだった。
「未象『解体糸』は、〈鉄の斧〉のメンバーを1人死亡させ、2人を戦闘不能に陥れました」
「だ、だからなんだ!」
「それを、あなたは雑魚だと、言いましたか?」
「ぐ……」
ネムハから、仄暗い気が放たれた。
それは明確な――殺意だった。
「あなたも、バラバラになってみますか?」
ネムハが、いつの間にか手に未象『解体糸』の標本を持ち、ゴードンの眼前に突き付けていた。
「どうですか?」
「や、やめ……」
ネムハが鬼の形相になり、叫ぶ。
「この……ムカダイナマイトジョージのようにーッ!!」
「誰だそいつは」
俺はネムハから未象『解体糸』をひったくる。
同時に、暗い雰囲気が霧散した。
(こいつ、やはりただのギルド職員じゃないな)
チラリとエリフィアを見る。
エリフィアは、読めない表情で静観していた。
俺は軽く頭を振る。
ネムハも、ゴードンも、今はどうでもいい。
契約と報酬。
それが第一だ。
「ともかく、第13階層の未象は未解決、調査中だ。よって、金貨2万枚は受け取らない」
俺は金貨1万枚と5000枚が入った革袋だけを掴み、残りをテーブルの中央へと押し戻した。
「だが、前金の〈賢者の霊薬〉の情報。および、第5階層での救助活動と、この未象『解体糸』の捕獲・納品。これに関しては別件の依頼として処理し、その報酬としてこの1万5000枚は貰っていく。文句はないな?」
「文句はないよ」
エリフィアが即答した。
「第5階層の緊急救助、未象の捕獲、標本の納品。その分として金貨1万5000枚。安いくらいだ」
あまりに淡々とした俺とエリフィアのやり取りに、ゴードンは毒気を抜かれたように口を開閉させている。
金に汚い底辺職だと思っていた男が、目の前の大金を、自らの職業倫理のために突き返したのだから。
エリフィアは、しばらく俺の顔をじっと見つめていたが、やがて、うんうんとうなずいた。
「さすが私の想い人だよ。金に意地汚い顔をしているくせに、契約には汚くない。相変わらず、面倒なくらいプロフェッショナルだね」
「褒めてるのか」
「褒めているよ。そこがモテるんだ」
「心当たりがないな」
「それがまた腹立たしいところだね」
俺は冷ややかな目でエリフィアを見る。
「13階のヤツとは別だって、お前も気づいていただろ」
「おやおや、私がキミのために不正を働いたとでも? まあ、相手がキミなら不正の1つや2つといったところだけどね」
エリフィアは、押し戻された金貨を、大切そうに自らの手元に引き寄せた。
「では、キミが真に13階層の未象を解明し、攻略するまで、これは預かっておくよ。消えるわけではない。キミが本命を片付けた時、改めて渡す」
「期待しないで待っておけ」
「だが、それでは今後困るね」
「何がだ」
「13階層の未象とは別に、今回のような未象が現れる可能性がある。そのたびに救助だ、捕獲だ、納品だと、終わってから報酬を決めていては面倒だろう?」
エリフィアは新しい紙を取り出し、条件を書き始めた。
「幾何学模様の原因究明契約とは別に、今後の未象案件について、調査基本報酬を金貨1万枚とするのはどうだい?」
「業務範囲は」
「現地での現象確認、性質の解析、生還、および報告書の提出まで。救助、討伐、捕獲、標本の納品といった追加成果については、その都度別に支払う」
「それでいい」
俺が答えると、エリフィアは満足そうにうなずいた。
「正式な契約書はあとで用意しよう。今回は契約前だったが、同じ条件を遡って適用する」
エリフィアは机の下から、さらに革袋を1つ取り出した。
「未象『解体糸』の調査基本報酬、金貨1万枚だ」
ドン、と重い音を立てて、革袋が俺の前に置かれる。
「いいのか?」
「キミは未象の特性を解析し、報告書を提出した。これから契約する内容を、すでに完璧に果たしている。払わない理由がないよ」
俺は革袋を受け取った。
これで今回受け取るのは、調査基本報酬1万枚、緊急救助報酬5000枚、解体糸の捕獲・納品報酬として仮払いの1万枚。
合計、金貨2万5000枚。
俺は3つの革袋と、〈賢者の霊薬〉に関する閲覧許可証を懐へしまい、執務室を出る。
背後で、ゴードンが忌々しげに吐き捨てる声が聞こえる。
「フン、いい気になるなよ。13階層の件も、これからの未象案件も、本職のエリートに対処させる。貴様のような掃除屋の出番など、もう金輪際ないと思え」
「そいつはありがたい。エリート様が綺麗に片付けてくれるなら、俺は楽をして死体だけ回収させてもらうさ」
俺は肩越しにそう言い捨て、執務室を後にした。
(だがそうだ。解体糸は、雑魚だった……)
俺の脳裏に、あの時の記憶が蘇る。
理解不能なイメージ。
制御不能な身体。
じっとりと脂汗がにじみ出る。
(幾何学模様……)
あれを放置すれば、いずれこの街にも、妹の日常にも、害が及ぶかもしれない。
だから、始末する。
金のためだけじゃない。
これは、俺の生活を守るための仕事だ。
俺は、無意識にポケットの中の銀のチャームを握りしめ、ギルドの喧騒の中へと戻っていった。




