↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

11/48

第11報 痛みのない解体

 第5階層。


 昇降機を降りた瞬間、俺とネムハは、その異常な静寂に包まれた。


 本来、この階層は、低級冒険者たちが日々の稼ぎを求めて行き交う、活気のある場所のはずだった。


 ゴブリンや大型の鼠。

 時折、上層まで迷い込んだオーク。

 壁や床には地下茎がそこかしこに伸び、薬草や苔を採取する駆け出し冒険者の姿も珍しくない。


 いわば、新人たちの登竜門。


 その喧騒が、今は嘘のように消え失せている。


 聞こえるのは、ネムハの歩く靴音。

 そして、俺自身の冷静すぎるほどの心音だけ。


「超絶さん。これ……」


 ネムハが、魔力探知機を見せてくる。


 ギルドの教本であれば、魔力の流れからおおまかな攻略方針を立てる。

 魔力溜まりには強力なモンスターがいるなど、ある程度の指針になるからだ。


 だが、彼女の持つ魔力探知機は、一切の魔力の揺らぎを検知していなかった。


「教本は役に立たないと思え」


 そう、いつもの手段は役に立たない。

 だが、やっておくに越したことはない。


「なるほど、気合が足りないんですね。気合いだーっ! 気合いだーっ!」

「……」


 ネムハを無視し、俺は腰の皮袋から、あの特製の死臭迷彩(ししゅうめいさい)ペーストを取り出した。


 首筋と手首、耳の裏など、気配が漏れやすい場所に、腐臭を塗り込んでいく。


 強烈な臭気が、周囲の淀んだ空気に混ざった。


「は?! くっっっさ! 何ですかそれ!」

「……モンスター避けだ」

「そりゃモンスターも寄ってきませんよ!?」


 ネムハが、顔をしかめて大げさに鼻をつまむ。

 大声をあげているようで小声なのは、優秀と言っていいのか。


「緊張感のないやつだ」

「だって、臭いものは臭いじゃないですか!」


 彼女は続けて、信じられない言葉を口にした。


「まあいいです。早く私にもください!」

「……は?」


 思わず、素っ頓狂な声が出た。


 こいつは、何を言っているんだ。

 さっきまであれだけ臭いと騒いでいたのに。


「……正気か?」

「私はいつも正気です! あ、臭いのはイヤなので、その鼻のやつもください」


 ネムハは、きっぱりと言い切ると、俺の手からひったくるように皮袋を受け取った。


 勝手に匂い止めのペーストを鼻に詰める。

 そのあと、死臭迷彩(ししゅうめいさい)を顔中に塗りたくった。


 そして、ケロリとした顔で、にっこりと俺に微笑んだ。


「はい、完了です! これで、超絶さんとおそろいですね!」


 その笑顔は、あまりにも場違いだった。


 死地で、死の匂いを身にまとい、それを平然と「おそろい」だと言って笑う。


 やはりこいつは、ただの優秀なエリートじゃない。

 どこか、根本的な部分のネジが外れている。


(……なるほどな、エリフィア)


 あの女が、こいつを俺の相棒につけた理由が、少しだけわかった気がした。


 普通の神経の持ち主では、この仕事は務まらない。

 少なくとも、こいつは普通ではない。


「うわっ、なんかウジ虫みたいなの寄ってくるんですけど! 臭いのに! こんなに臭いのに! あ、臭いからか」

「……行くぞ」


 俺は、さっきのネムハの評価をいったん保留し、歩き始めた。


 ネムハは、「はい!」と元気よく返事をすると、もう匂いを気にする素振りも見せず、しっかりと俺の後ろをついてくる。


「でも、どうやって〈鉄の斧〉のメンバーたちを見つけるんですか?」

「見ろ」


 俺は、C級パーティが残した痕跡を示す。


 床に散らばった枝と、それを踏み折った跡。

 壁際に群生しているはずの苔の、不自然な途切れ。

 泥の薄い場所だけを選んで進んだ、靴底のかすかな擦れ。


「はー。言われればわかりますけど……」

「補佐官には無用な特技だ」


 俺は、探知機には頼らない。


 あれは、効率よく戦うための道具だ。

 俺のように、他人の死に潜み、逃げ延びる者は、こういう泥臭いやり方で、慎重に、臆病に進むしかない。


「……こっちだ」


 俺は、肌に感じるわずかな違和感を頼りに、ネムハを先導する。


 しばらく進むと、通路が少し開けた場所に出た。

 そこは、かつて小規模な野営地として使われていた場所だった。


 焚き火の跡が、黒い染みとなって残っている。


 そして、その中央に、それはあった。


「っ……!」


 ネムハが、息をのむ。


 俺もまた、その光景に、思わず眉をひそめた。


 そこに転がっていたのは、パーティ〈鉄の斧〉のメンバーであろう、屈強な戦士の死体だった。


 いや、死体というよりは、無残なパーツ(・・・)の集合体だった。


 右腕。

 左腕。

 両脚。

 指。

 指。

 指。

 胴体。

 頭部。

 耳。


 それらが、まるで子供が玩具を並べるように、しかし、どこか恐ろしいほどの正確さをもって、床に整然と配置されていた。


「……これが、未象(みしょう)……」


 ネムハが呟く。


 俺は、彼女に短く告げた。


「周囲を警戒しろ。何かあれば呼べ。無闇に斬り伏せるな」

「生存者を追わないんですか?」

「情報なしで突っ込めば、次は俺たちが並べられる」


 まずは、情報を取る。

 このほうが生存率が上がる。


 俺は、そのおぞましいオブジェへと近づき、屈みこんだ。


 切断面は、刃物で切られたものではない。


 まるで、最初から分離していたかのように、不自然なほど滑らかだった。

 血も、ほとんど流れていない。


 切断面には付着物もない。


(さて)


 ネムハをチラリと見る。


 抜け目なく周囲を警戒している。

 なるほど、優秀というのは嘘ではなさそうだ。


 彼女に背中を任せて、情報を引きずり出すことにする。


 この、意味不明な死体から。


 俺は、犠牲者の、虚空を見つめたままの頭部パーツに、そっと指先で触れた。


 ――ッ!


 世界が、歪む。


***


 木。

 川。

 血管。

 乾いた根。

 白い線。

 どこにも繋がらない地図。


「……!」


 全身が、まるで金縛りにあったかのように、まったく動かない。

 仲間たちの背中に叫ぼうとしても、声さえ出ない。


「え……?」


 振り返った仲間たちの戸惑いの声が、遠くで聞こえる。


「ねぇ、どうしたの!?」


 仲間たちが駆け寄り、俺を揺さぶろうとする。

 だが、体はピクリとも動かない。


 視界の端で、自分の腕が、意思に反して、ゆっくりと、しかし抗いようのない力で、肩から外れていくのが見える。


 痛みはない。

 ただ、奇妙な浮遊感。


 仲間たちの叫び声が、響く。


 続いて指が、脚が、次々と、まるでパズルのピースが外れるように、ゆっくりと分離していく。


(やめろぉぉぉぉおぉ!)


 最後に、視界が、頭部が、胴体から切り離され、床に転がる。

 転がった頭部から、自分の体が、パーツごとに、整然と並べられていくのを、ただ、ぼんやりと眺めている。


 意識が、ゆっくりと、しかし確実に、遠のいていく。

 最後に浮かんだのは、あいつらとの――。


***


「……かはっ……!」


 現実へと意識が引き戻される。


 顔中ににじむ脂汗をぬぐう。


(……慣れないな)


 他人の死を、その最後の絶望を、自分のことのように味わうこの感覚。

 何度経験しても、魂が削られるような不快感が、全身を駆け巡る。


 俺は、込み上げてくる吐き気を、奥歯を噛み締めて、なんとか飲み込んだ。

 吐き気は残っている。

 だが、情報は拾えた。


 まず、身動きを制限される。

 そうなったら、物理的に動かすのは不可能。

 それから、ゆっくりと解体される。

 痛みはない。

 おそらく、対象は1度に1人。


 そして、最初の抽象的なイメージは――。


 その時だった。


「――誰か助けてぇぇぇぇっ!!」


 通路の、さらに奥。

 先ほど俺たちが通り過ぎてきた方向とは逆の、暗闇の中から、甲高い悲鳴が響き渡った。


 間違いない。

 〈鉄の斧〉の、残りのメンバーの声だ。

 まだ、生き残りがいた。


 そして、今まさに、そいつが、次の死体(・・)にされようとしている。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。