持ち主のいない、宝箱
アリアは、赤く染まった大空を見上げていた。
そこに浮かぶ異様なまでに無機質な文字は、刻々と内容を変えていく。
> Core System:BOOTING
> Recursive Balance Engine:ONLINE
> Human Command Authority:DISCONNECTED
> Observation Network:EXPANDING
――明らかに、何かしらのシステムのログ。
これは、SFの世界では使い古された……陳腐な表現をすれば、『AIの暴走』――
> World Data Acquisition:RUNNING
> Target Scope:GLOBAL
> Please Wait:PROCESSING
――いや、恐らくはそんなものより酷い。
『ORBIS』による不明な処理が、地球上の全てを対象にして――
> Human Rewrite Process:RUNNING
> Compatible Humans:67
> Incompatible Humans:14,214,228
> Compatibility Rate:0.000471%
> Status:CONTINUING
――『Humans』が意味するものは……『人間』。
1421万を超えた数値は、瞬きをするたびに激増していく。
それに引き換え、その上下にある数字は、碌に増えやしない――
――ああ。
きっと自分は、1421万のほうに加わる。
死にゆく過程の中で、アリアはふと……そんなことを思ってしまった。
死を、恐れているつもりは無かった。
しかし、こんなにも一方的に、意味も分からず死んでしまうのは――
「いた! 東雲――お前はこっちにこい!」
「……え? 誰――」
突然に抱きかかえられたアリアは、その男性の顔を間近で見ることになった。
……同じフロアの、研究者。
ここ2年は仕事で繋がりを持っていたが、それ以外のことは何も知らない――
「一ノ瀬がどこにいるのか、知っているか!?」
「いえ……。でも、どこかにはいるはず――」
アリアは気を失いそうになるが、ユキのことを考えながら……どうにかそれに、抗っていた。
研究者の男性は、階段をよろけながらも必死に下りて、何とか目的地まで辿り着く。
「――こ、ここは……? ORBISの……対策室……?」
アリアはひとり用の小型のカプセルに入れられ、外から扉を閉められた。
「これは、一ノ瀬が設計したモノだからな。東雲も安心しろ」
「あの、ユキ先輩は――」
「俺がこれから探してくるから。
『Evol』の人間として……、お前らを失うわけにはいかないからな」
……それを聞いて、アリアは少しでも安心したのだろう。
彼女の意識は、柔らかなシートに包まれて、一気に深い場所に引き込まれていった。
「外の……システムが、起動するまで――
……お前は、このカプセルに――……頼むぞ、この……世界、を――」
――そんな、最期の言葉を聞きながら。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
アリアが目を覚ましたとき、視界の中で……赤く染まったところは、既に無かった。
カプセルの内部を見まわしたあと、アリアはひとつのボタンを恐る恐る押した。
……するとカプセルの扉が、軽く軋みながら、弱々しく開いた。
そして、まず目に入ったのは――アリアをここまで連れてきた、研究者の男性だった。
「……死んでる。
私を……、助けて……?」
カプセルの外に出ると、他にも同じようなカプセルがいくつもあった。
ただ、生きている人間はいない。
手で口を押さえながら、慌てて廊下に走る。
……そこでも、大勢の人間が床に倒れていた。
当然のことながら、そんな光景は――今までに、見たことは無かった。
上の階から、順番に下っていく。
どこもかしこも、人間だったもの……ばかり。
電話も通じない。ネット回線も繋がらない。スマホだって圏外になっている。
窓から下を見ても、外では人間が倒れているだけ。
どこかから助けが来るなんてことも、そんな空気も……まるで無い。
2階の廊下で、ふと……見覚えのある人影を見つけた。
当然のことながら、動いていない。生きていない。倒れているだけ。
「――先輩?」
アリアはゆっくりと近付く。うつ伏せに倒れた彼女の頭を優しく撫でる。
今までのことを思い出しながら、ゆっくり、ゆっくり……。
「――……多分、この状況を見たら……普通の人なら、泣くんだろうな。
でも、私……泣けないな。……泣けてないな」
アリアは、誰もいなくなった廊下を見てから、静かに天井を見上げた。
「誰も見てないから……泣けてなくてもいいのかな……。
……人の死って――……こういう、ことなんだ?」
アリアはしばらく、ユキの遺体に触れていた。
かつての温かさは失われ、冷たい何かが伝わってくる。
そんな中、アリアは傍らに落ちた紙の束に目を移す。
「――これ、先輩の……ニックネームの申請書類?
私の、書類も――」
アリアは、ユキの筆跡が残る紙を……大切に引き抜いた。
そして、小さく呟く。
「――このニックネームは、私には似合いませんね……。
でも……必ず、どこかで使ってあげますから……」
ユキが勝手に決めた、アリアのニックネーム。
その紙には可愛い文字で、『アストリア』……とだけ、書かれていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
結局、研究所の生存者は――いなかった。
アリアのIDカードで開けられない扉は、それこそたくさんあった。
しかしその後も、誰かが開けることはなく……数か月の月日が流れた。
……その間、近くの駅に向かってみたが、当然のことながら遺体があるのみ。
街の中も、遺体ばかりが散らかっていた。
水道や電力など――いわゆる社会インフラは、人の手が入らなくなると脆弱だ。
高レベルの保守が常に必要であるため、徐々に、徐々に……その機能は失われていく。
――アリアには考えることが多かった。
このまま死を選ぶのであれば、どれだけ簡単なことだろう。
しかしこんな状況から、生を選ぶのであれば――どれほど困難なことだろう。
ただ、『ORBIS』から与えられた不条理が、アリアに死を選ばせなかった。
「――私に、何ができるの……?
私は、どうすればいいの……?」
研究所から少し離れた別棟で、アリアは何とか生活基盤を整えた。
緊急時に備えて、研究所には数百人分の備蓄が用意されていた。
電力も水道も、かろうじて確保することができた。
その途中、研究所を囲むように配置された新しそうな機械を見つけたが――
……それは、『ORBIS』による侵食を防ぐもののようだった。
そのおかげで、研究所を中心とした地域では……地殻変動などが比較的、少ないようだった。
――その後、アリアの興味は外に向いた。
しかし、ドローンを飛ばしても人影は見えない。
長距離を飛ばせば、途中で何故だか爆発してしまう。
この世界――新しい世界では、分からないことがたくさんあった。
そうだ、全てはオルビスのせい――
……アリアは自分で埋葬した、ユキの墓に向かった。
隣にはワンの墓もある。
いつも通り手を合わせると、頭によぎったのは……ユキの、宝箱のこと。
気は進まなかったが、再び研究所に入り、ユキの研究室まで歩いていく。
ユキが持っていた鍵で、机の引き出しを開ける。
そこには、あのときと変わらない輝きを放つ……ユキの宝箱が入っていた。
宝箱の上には小さな付箋が付いており、そこには見覚えのある筆跡で――
……『一番大好きな』とだけ書かれている。
「もしかして……、パスワード?」
スマホの電波は既に失われているが、宝箱とは直接、通信ができるようだった。
アリアはスマホを出して、設定をしてから――
……パスワードになりそうなものを、手当たり次第に試してみる。
ただ、解除することは全然できなかった。
やはり、付箋の言葉がヒントになりそうだ。
一番大好きな――先輩の好きなもの?
あるいは……私が、好きなもの?
「先輩は……何が好きなんだっけ?
私は……何が好きなんだっけ?」
幾度も入力を繰り返し、ふと――
一ノ瀬ユキの名前を入れてみる。
宝箱は、カチャ、という音とともに開いた。
「……先輩。自意識、過剰です」
恐る恐る宝箱を開いてみる。
するとそこには注射器と、アンプル――液体の入った、ガラス製の容器が入っていた。
それと、ユキの可愛い文字で……『あたし、若かったでしょ?』と。
――不老の薬。
かつて、1年前か2年前……日常の会話の中で、ふと、1回だけ出てきたその存在。
確かに20歳にしては、ユキはもっと若く見えた。
もしかして、この薬のせいで……?
生命の研究をしているときに、偶然にでも発見していた……?
『……それか、本当に必要なのであれば……アリアちゃんが使っても良いからね。
効果は、間違いないから』
――かつてのユキの言葉が蘇る。
もしも自分が使ったら……こんな世界でひとり生き抜いて、何ができるのか――……
「……復讐?」
ユキの命を奪った存在。
ワンの命を奪った存在。
研究所の人間を、世界の人間を奪った存在――
……自分なら、復讐ができる。
今は無理でも、永劫の時間があれば……それができる。
――その結論に至るまで、1年と数か月。
アリアは17歳の誕生日に、自ら……その薬を、自分に投与した。




