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28話 不思議な青年

 澪は素早く左右に首を振り、再び正面を向いて体を縮こませた。 


 「迷っちゃった……。どうしよう……」


  廊下は先が見えず、いくつも同じような大扉が並んでいる。

 周りには誰の姿も見えなかった。



 澪はその場から動けず、そのまま五分が過ぎようとしていた。


 

 その時、遠くから扉の開く音がして、クリーム色のスーツを着こなした律と同じぐらいの年頃の青年が歩いてくるのが見えた。 

 澪は勇気を出して声をかける。


 「あ、あの……お忙しいところ大変恐縮なのですが……」


 「ん? どうしたんだい?」


 男は不思議そうに目を細めて、澪を眺める。


 「その、私、道に迷ってしまいまして……。

本日の夜会に同行しているのですが……」


 「今日の夜会ねぇ……。俺の記憶では三つ開催されてるんだけど」


 「三つもですか!?」


 思わず聞き返した澪を見て、青年は耐えきれないように吹き出した。

なぜ笑い出したのかわからず、澪は不安な気持ちで彼を眺める。


 「はははっ! おっと失礼……。

ここでは一晩に複数の夜会が開催されるのが当たり前なんだよ」


 「そ、そうなんですね……」


 「ああ。

君、見たところ使用人だろ? 仕えている家を言ってくれたら、もし俺が同じ夜会の参加者だったら連れてくぜ?」


 

 ――そうだ……この人が別の夜会の参加者の可能性もあるんだ。

でも五大名家の桂木家の名を出しても大丈夫かしら?



 澪は言おうかどうか迷って、口元を震わせる。

そんな澪の様子を見て青年は顎に手を当てると、少し首を傾げた。


 「ん? そう簡単に言わないってことは、そこそこ名のある家に仕えているのかな?」


 「は、はい……」


 顔を覗き込まれるように見られて、澪は顔を少し逸らした。

先程味わった、まるで品定めされているような感覚を思い出して、

額にじんわりと汗が浮かぶ。


 ――だけど、言わなきゃずっとここで立ち止まったまま。

桜井さんも心配しているだろうし、後で叱られてもいいから、言おう 



 澪は覚悟を決めて青年の目をまっすぐ見ると、早口にならないように慎重に口を開いた。


 「私は、桂木家に仕えている者です」


 「おお、桂木家か。

はははっ! そうかそうか! 君、運が良かったな。俺はそこの参加者だ」


 青年は一瞬目を見開いてから、何か納得したように笑い出した。

その声の大きさに、澪は思わず肩を震わせた。


 「案内、して頂けませんでしょうか?」


 「もちろんするさ!

さ、俺の後についておいで」


 澪は知り合ったばかりの青年の後を緊張した足取りで進み、どうにか会場に戻ってこれた。

 相変わらず賑やかな室内に、澪は安堵しながら青年に深々と頭を下げた。


 「本当にありがとうございました」


 「どういたしまして。

ついでと言ってはなんだけど、テーブルにお邪魔してもいいかな?」


 「え? お、おそらくは構わないとは思いますが……」


 ――この人も身分の高い家の方!? でなければ、普通は五大名家のテーブルにお邪魔するなんてこと仰らないと思うんだけど


 澪の返事を聞いた青年は笑顔を浮かべると、穏やかな声で言った。


 「よし、じゃあ向かおう。大丈夫、俺テーブルの位置は把握してるから」


 「は、はあ……」


 彼は宣言通り、迷わず桂木家のテーブルに辿り着いた。

テーブルには桂木律のみが着席している。

桜井は用事なのか不在だった。

 

 桂木律が二人に気づいて腰を上げた瞬間、青年が先に声をかけた。 


 「この娘、律のところの使用人って?」


 「ああ、そうだ。しかしなぜお前が……」


 「少し席を外してたんだ。

そしたらこの娘が迷子になってたから、送り届けただけだよ」


 「そうか……。感謝する」


 お礼を言う桂木律の声は低かった。

彼らしいといえばそうかもしれないが、澪からは少し目つきが鋭くなっているようにも見えた。


 ――律様、少し怒っていらっしゃる?


 桂木律と澪を交互に見ながら、青年が茶化すように口を開く。 

 

 「でも帰り道ぐらい教えておこうぜ。

俺が居なかったらずっと迷ったままだったかもしれないんだからさ」


 「そうだな……。すまなかった、颯人(はやと)



 ――お互いお名前を呼び捨て? 親しい仲なのかしら?


 

 「あ、あの……お二人はどのようなご関係で?」 


 おそるおそる尋ねた澪を、颯人と呼ばれた青年は面白そうに目を細めて見た。


 「俺と律は幼馴染だよ。そういえばまだ名乗っていなかったね。

神崎颯人(かんざきはやと)。以後、よろしく」

 

 「か、柏木と申します……。こちらこそ――」

  

 しかし、澪の言葉を桂木律が遮った。  


 「その辺にしておけ、颯人。使用人相手にわざわざ名乗ることもないだろう」


 「冷たくないか? 律の家訪ねた時に会うかもしれないだろう?」


 神崎颯人が少し笑いながら言っても桂木律の表情は険しい。


 「もし家で会ったらその時に名乗れ。社交場で名乗る必要はない」


 「はいはい。失礼致しましたっと。

じゃあ俺はこの辺で」 


 神崎颯人は軽口で言うと、丁寧にお辞儀をしてからテーブルを去っていった。

 澪は彼の後ろ姿を呆然と眺めていた。



 ――不思議な方



 「柏木」


 「は、はいっ!?」


 いきなり名前を呼ばれて、澪は小さく飛び上がった。

それから素早く桂木律の側に向かう。


 「何かご入用でしょうか!」


 「いや。

 すまなかった。俺も桜井も帰り道のことを見落としていた。

確かに一本道ではあるが、扉が全て同じ造りであることをお前に伝えていなかった。不安にさせたな」


 「い、いいえ。律様が謝ることではございません。

こうして無事に戻ってこられましたし」


 澪が一所懸命取り繕っても、桂木律は真剣な表情で見つめてくるだけ。

そんな彼に、場にそぐわず澪の気持ちは高鳴ってしまった。



 その後も桂木律は変わらない様子で来客対応をしていたが、

澪の目にはまだ機嫌が悪そうに映っていた。

次回は6月6日更新予定です。

よろしくお願いします。

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