157
157「どんな願いでも」
凍り付くような空気を溶かす、どこか抜けた声。
声の主はリュミエラ。
「あ、さっき、ルル様が舞台に現れた時、私にえこひいきするって言ってました。そう聞こえました」
「耳ざとい子ね!」
一転して図々しく、切羽詰まった様子からいくらか雰囲気を変えたリュミエラがクレアの腕の中に納まる黒猫に問う。
「……祈れば光るようにしてください。こう、なんか、天使様の力で」
「おや、リュミエラさん、光りたいの?」
「光りたいっていうか……」
「本当に? 本当にそれが貴女の望み? 本当に?」
「あの……それは……その……」
神の奇跡を願うほど図々しくなったかと思えば、それが本当に望むものかと問い返されて即座に弱弱しくなり口ごもるリュミエラ。
光の聖女であることを証明してみせよと、周囲の者から光れ光れと言われ続けるのが嫌なのだろうに、何やら自分が光れば問題は解決できると思っているらしい。
光りながら説教すれば、あらゆる者はひれ伏して自分の言葉に従うなどと……
……ありうるな……それはありうる。
神と教会の言葉に従え、決して疑うな、などと言われ続けて育ってきた者たちに、光であれなんであれ、奇跡とともに行われる説教なんぞは、とんでもない劇薬だ。ゆっくりと体を蝕む鉛の毒どころではない。口にした途端、一瞬で毒が回る。これはあらゆることがリュミエラの望み通りになるかもしれんぞ。
リュミエラは愚かな悪人というわけではないが、まだ世の中に満ちる善も悪も何も知らない小娘だ。怖い。それは。
「手を組んで祈るだけで発光する仕組みとか、まぁ簡単だし、叶えてあげてもいいけど、ふふ、私にえこひいきを期待するにしてはささやかな願いよねえ、それは」
黒猫が口の端を上げてリュミエラを見る。おお……よくない笑顔だ。こういう時のこいつはたいていよくないことを口にする。気を付けた方がいいぞリュミエラ。
「今の私なら、人の想像しうる願いならたいてい全部、叶えてあげられるのに」
「そ……想像?」
「そう。空想の物語に語られるような荒唐無稽なことまで、全部」
息をのむリュミエラ。
――どんな願いでも叶えてやろう。
そんなことが出来る者は、もう全知全能だと評されても構わんのだ。
それは神か、神でなければ。
――詭弁を用いて人をたぶらかす悪魔。
黒猫の金色の瞳が怪しく光る。
「例えば、自分と自分の気に入った者たちだけを助けて、気に喰わない他の人全員を海の底に沈めて欲しい、なんて願いでも」
ノアの箱舟。神話。究極の神罰。それすら黒猫にとっては、容易いと。
「貴女はそれを望むだろうか……」
「望みませんっ!」
黒猫の言葉にかぶせられるように発せられる強い否定。即座の否定。
「そ、そういうのは、怖いというか、なんかよくないかなって……」
「ふふ。ふふふ」
強気になったり弱気になったりを繰り返し幼さの残る顔の表情を変化させるリュミエラ。自分の言葉を途中で遮り強い否定をされても、その後に出てくる言葉が理知的でなくとも、黒猫の気が害される様子はない。むしろ一層に楽し気に目を細めて笑う。
やつ的に、気に入る答えだったのだろう。
自分の気に喰わない大勢の命を海に沈めてしまえなんていう、いわば暴力の極致のような願いを、当たり前のように否定できる。黒猫がこの娘を気に入るわけだ。
何でもない娘だったはずだ。
ルーアンで攫われて、黒猫に見つかり、俺が助けなければどうなっていたかもしれない娘。
「そうねえ。それがいいわ。それでいい。正解。正解よ、リュミエラさん」
「え? 正解? えへへ、よくわからないけど」
黒猫はリュミエラを試したのかどうか。
リュミエラは自分が試されているのを自覚しているのかいないのか。
その一挙手一投足、吐き出されるその言葉。
王、貴族、平民、聖職者、ここに集まるすべての者の注目を浴びても怯まない。自分であることをやめない。
強い娘だ。そう思う。そこはかとない敬意なんてのも、俺の中で生まれ始めてくるくらいには。
「あ、けど、戦争が、戦争が」
「ふふ。了解了解」
まるで劇の一幕のよう。もう舞台は始まっているのだろうか。
「……だから」
幼い少女の腕に抱かれた猫が言う。
「……特別に」
黒猫は特別大きな声を出しているわけではない。だが響く。
「……人類が積み重ね、重ね、重ねて得るはずの真理をひとつ、貴女に教えてあげる」
黒猫は少女の腕から抜け出し、地面に降り立つ。
「戦争に向かう力の方向を、少しだけ変える奇跡を」
ゆっくりと周囲を見回して宣言をする。
「劇を始めましょう」
よく響く声は、すべての者の耳に届く。意味だけが届けばよいとばかりに。
そうして黒猫は。
「答えは劇の中に」
口の端から牙を覗かせる。




