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154「心の中にあるものと」
舞台の上の俺たちを視界に収めた者たちから順に声が上がる。
驚きと興奮をもって上がる声の中には「黒翼の美少女天使様!」なんぞというふざけたものもあるが、それは無視をする。女。今の俺は女で、天使の正体は女。ジル・ド・レとは関係ない。ないのだからない。
「さて黒騎士さん。開幕の挨拶をビシっと決めちゃって」
同じく舞台の上の黒猫が俺に向かってそんなことを言う。
「は? 待て。俺が? 開幕? 劇のか? 何を言えと? いや、この状況で?」
黒猫がやりたがっていた劇の舞台を始めろという。その挨拶を俺にしろと。
世界のすべてを巻き込む大きな宗教戦争にもならんとする真面目で切羽詰まった論争の最中。そこに突如として割って入ってきた俺たちがいきなり舞台の上で劇を始めるとか。もう誰にとってもわけがわからなすぎるだろう。
「早く。視線が集まってるわよ。注目度は最高潮。今しかない。早く! 早く!」
「待てと言っている。いや、なぜ俺が……」
「はあー。駄目ね、黒騎士さん。今の舞台の上を見てごらんなさいな。客観的に。冷静に。小さな女の子と取るに足らない猫が一匹。どう考えても主役は御大層な鎧を着た美少女でしょうが。つまり君。もっと主役の自覚を持ってね。心構えがなってない。けど小言はここまで。ということで、さ、皆に向けて永遠に心に残るような舞台の開幕挨拶、ガツンと一発かましてあげて」
「無茶を言うなコラ」
何が主役の心構えか。わけがわからんわ。
いや。そもそも俺は具体的にどんな劇をやるのかも知らん。何も用意していない。
「言いたいことも何もないわ。そんなものがあるなら貴様が言え。貴様が」
黒猫と出会ってから以降、振り回されっぱなしの俺に何かの役があるなら端役もいいところだ。主人公でも何でも勝手にしろ。
「はぁー」
俺たちの登場を受けて人々は大いに混乱しているだろうが、今の俺ほどではあるまい。
わざとらしく溜息を吐き出した黒猫が、
「そういえば黒騎士さんたら、私たちが頑張ってる横で寝ているだけで、打ち合わせも何もしなかったわねえ。忘れてたわ。はー。やれやれ。皆が頑張っていた中でよくもグースカピーと寝ていられたものねえ」
「…………」
無言で踏みつけてやるが当然の様に避けた黒猫は少女クレアの腕の中に飛び込む。
おぼつかない動きで受け取るクレア。落としていいぞ、そんなもん。
「ふふ。安全地帯。人は無条件で非力な者に暴力を振るうことに心理的な壁を持つ生き物。少女と小動物。この最強の組み合わせを前にして暴力を振るえるものなら振るってみなさい」
「子供の腕の中が安全な場所だと思うなよ? ああん?」
腕を伸ばすが見えない壁に阻まれる。
「そして」
少女の腕の中の黒猫は声を一段低くし、
「その心理的な壁を乗り越えることに快感を得る性質もまた、人は持ち合わせているのだけど。心当たりは? 黒騎士さん?」
「…………」
神への反逆とばかりに非力な少年を殺していた男を俺は知っている。
苦々しい思いと共によみがえる映像の中、男は笑っていた。泣きながら、笑っていた。
「最終試験よ。黒騎士さん。心の中の暴力に言い訳を与えては駄目。言い訳を与えれば与えるだけ、それは増長する。いくらでも。いくらでも。しかし目をそらしても駄目。ないことにするのも駄目。それがそこにあることを知り、支配しなさい。支配のための要件は、拒絶ではなく、認めること」
遥か天より見下ろすがごとき金の瞳でもって、黒猫は言う。
「知ること、それ以外には存在しない」
俺が名前を捨てることになった原因。根本。この世界ではない世界で悪行を為した男はここに居る。ジル・ド・レは形を変えて、ここに居る。
「……ふん」
交差する俺の視線と黒猫の視線。何もわかっていない少女が背景となって息をのむ。
「黒猫よ。これは暴力ではない。いつもの……」
最終試験。そう言った。
この問答は俺が俺になるための、必要な儀式、なのだろう。そう思う。なんとなく、そう。
「……いつもの……そうだな、じゃれあいだ。本気ではないわ」
「ふふ。いいわ。それで。これからも仲良くケンカしましょ」
良いこと言ってやったとばかりの黒猫がニマリと笑う。
なんでもない。なんでもないことなのだ。
俺はもう、乗り越えている。誰かに言われるまでもないような、そんなこと。それでも。
心の中にある暴力の支配。
これは俺がこれからも考え続けなければいけないことなのだろう。
心の中に、あの男の姿が焼き付いている限り。ずっと。
「猫が喋るだと!?」
よくわからないうちに何かしら重要な案件が終わったような感覚。その感傷。浸る間もなく、横合いから声が響く。
縛られている男。ローマからの使者。
俺と黒猫の視線がそちらに向かう。
「何かしらのまやかしか!?」
黙らせようとする周囲を他所に、男は続ける。
「私は新たなローマ教皇エウゲニウス4世猊下の命を受けし二コラ・アルベールガティ。先代ローマ教皇マルティヌス5世の時より、フランスの地の動乱を収めるべく行動してきた!」
そういえば、よく見れば男に見覚えがある。
直接喋ったことはないが、シャルル王のもとで何回か見かけた。
戦争に明け暮れるフランスの地に心を痛めたローマ教皇の命で動乱を収めるべく動いていたというのは本当のことなのだろう。たしかそんな感じで動いていた。結局、何もできていないようだが。
「まやかしでないと言うのなら! 奇跡であると言うのなら! 汝らが本物の天使であると言うのなら! どうか私の言葉を聞き給え!」
黒猫は俺を見ようともしないで言う。
「まーた面倒くさそうな人ねえ。けど。黒騎士さんが開幕の挨拶してくれないし、彼も巻き込んでなんとなくで始めましょうか」
「劇を?」
「劇を」
よかったな。二コラ。貴様も巻き込まれることが決定したぞ。
短い。すまぬ。




