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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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153「時、音、流れ、留まる」



「私たちという異分子の登場によってさ」


 悪びれず。


「世界に変化が起きた」


 というよりは、無関心の体で。


「大小さまざま、否応なく、ここで信仰されてきた宗教が大きく変質する。世界は変革期に入った。そういうことでしょうね。わけがわからなくなったらすぐに武器をもって攻撃始めちゃうとか、本当に物騒な世界だこと。命が軽い軽い。とまぁ、そんなことは置いておいて」


 空を見上げて。


「さてさて、うかうかしていると雲が散っちゃうし、本当に時間がない。やることをササっとやって、パパっと退場しましょ。さあ、どうやって皆の前に姿を見せましょうか」


 俺を見て。


「仰々しく派手にいく? それとも、もうここに居ましたよ~、って体で、しれっーと居て、皆を驚かしちゃったり?」


 猫が言う。



 かつて黒猫は言った。世界というものは、それを知る者にとっては数を数えるのを諦めるほどに多くあり、それぞれの世界は少しずつ違うのだと。

 俺にとっては生まれ育った世界がすべてだ。

 世界のすべてと同等であったこのフランスの地ですら、広い広い大地の一部でしかないのだという。数多ある世界の一つの、そのごく一部を切り取った大地、その、切れ端の、切れ端。


 俺にとって、本当の意味で抗うことのできなかったものの一つ。


 宗教。神の教え。


 個人で信仰を失うことなどはあれど、個人が神に反発し、暴走をすることなどはあれど――宗教、それ自体が酷く揺れて変質することがあるなど、考えもしなかった。


 それをまざまざと見せつけられている。


 俺たちを……いや、プリュエルやリュミエラら、聖女とされてしまった者たちを核にして、大きなうねりが生まれようとしている。


 猫を見る。あまりにも複雑な思いで、猫を見る。


 一国の興亡どころか、長らく歴史を重ねてきた宗教そのものが変質したとして、さして何も困らない者を、人の善悪の基準で型にはめることが出来るだろうか。宗教の基準で型にはめることができるだろうか。


 ひとつの宗教が滅び消えたとして、はるか天よりの視点を持つ者にとっては、何ほどのことだろう。


 人から見ればネズミは小さく取るに足らない。それに巣くうノミならばなおさら。ノミよりも小さいものであれば、見ようともしなかったかのように。


 はるか天より下界を見下ろせば、人のひとりひとりなど顔も判別できないほどなのだ。


 ……極論の思考に囚われるな、物事を簡単に白と黒に分けるな、などと言われても、どうしても人は考えてしまう。善か、悪か。


「…………測れんな、つくづく」

「ん? なあに、黒騎士さん?」


 悪ではないのだろう。

 ただし、善でもない。


 神でもない、悪魔でもない人の言葉をしゃべる黒猫は、どうしたって俺の理解の範疇を超える。


「まーた、何か考え込んでるねえ。そんなに考えることある? それとも休んでいるのかしら? 下手な考え休みにしかり、ってね。ふふ」

「考えろと言ったり考えるなと言ったり貴様というやつは……」


 俺の小声のつぶやきには反応しない黒猫。その場その場で言うことが変わる黒猫。おかしいのは俺の方か、奴の方か。


 考えすぎ、か。


 本に描かれた物語を想像する。

 本を読む少女を想像する。


 想像の中で、黒衣を着た目つきの悪い少女は本を読んでいる。


 本の中の物語に登場する人物の生き死にに喜憂はすれども、本を閉じた瞬間に忘れて次のことをし始める少女がいたとして、そいつに対して人は善悪を持ち出したりしない。そこにそうした者がいる。それだけ。黒猫にとって人の世の中のことなど、それ程までに遠いのだ。


「あ、それとも登場の仕方に悩んでいるの? なるほどそれならわかる。重要なことよねえ」


 軽く何度もうなずく黒猫。


「登場の仕方で印象はだいぶ変わっちゃうからねえ。慎重になるのもわかるわかる」


 …………問題は。


 本を読んでいるその人物が、描かれた物語に入って好き勝手に跳ね回り、自分好みの文章を付け加えて、すべてを台無しにしてしまえる力を持っているということ。


 今にも物語の中心に飛び込まんと長い尾を振る黒い獣を、俺は複雑な心境で見ることしかできない。


「アドバイスするけど、こういうのはね、勢いが大切。最初にドカンといって、後は流れで適当に、程度のもので十分。んじゃあ、それでいきましょうか。じっくり時間をかけて悩むよりも、まずは行動することね」

「ええい、さっきから! 登場の仕方で悩んでいるのではないわ!」


 この透明人間状態がどういう仕組みで行われているのかしらないが、仰々しく登場するのも密やかに登場するのもどうでもいい。


 世界規模の騒動の中心、宗教戦争の引き金、張本人でありながら、世の中の事柄にまるで関心がない様子に頭を痛めるのは、俺が悪いのか。そうだな。俺が勝手に頭を痛めている。


 これから俺たちという謎の存在を巡って世の中じゅうの知識人、宗教家、王族貴族などが頭を悩ませることになるのだろうに、この猫のあまりの軽さに釣られて俺まで思考を放棄したくなってきた。


「これはな、ただの再確認だ。俺の中での気持ちの整理。つくづく貴様にとって人の世のことなどどうでもよいことなのだなと再確認していただけだ」

「あらなにひどい」


 猫は気にした様子もなくうそぶく。


「どうでもいいなんて思ってないわよ。どうなってもいいとは思っているけど」

「何が違うのか」


 何も違わない。


 ここで透明人間になっていた俺たちの中でも、一言も発せず完全に空気の様になっていたクレアに問う。


「クレアよ、この状況についていけているか?」

「なにがなにやらさっぱりわかりません!」


 ……答えに勢いがある。


「わたしは、バカですから! 今は!」


 拉致同然に連れてこられた少女。

 空間の転移。誰も自分たちを認識しないという透明人間状態。子供の理解を超える事態に突然放り込まれてしまったであろうに、なぜかこの少女は屋敷に居た時よりもはるかに元気だ。

 今わからなくとも、これからわかればいい、屋敷で黒猫にかけられた言葉を、そのままなぞるかのように言っている。


「けれど、わかるようになりたいと思います!」


 泣いているよりはいいんだが。


「クレアよ。わからないことを認めるのはいいが、無知を誇るのはやめたほうがいい」

「はい!」


 わかっているのかいないのか。


 どうやら少女は黒猫の手によって飽くなき知の求道者へと変えられてしまったらしい。

 人の技術の発展、知の蓄積の果てに、何があるものも知らずに……まぁ俺もだが。


「やはり悪か」

「私が!? 何がどうなって!? 頭の中に何が詰まってるの!?」


 黒猫をじっくり見てからの発言。当然、言葉の向かう先は黒猫。


 神を信じろ。教会を疑うな。

 それ以外の余計な知識を求めることすら悪で、ましてやそれが女性であればなおさらな世界。そんな世界でこれからクレアに降りかかるであろう苦難。それを背負わせることを思えば出てくる発言。


「クレアよ。これだけは言っておくが、知の探究は自身の命にかかわるほど重いことだと覚えて置け。この世界では宗教に反する事柄はすべて黙殺されるか異端とされてしまうからな」


 クレアに視線を戻してゆっくりと話す。


 大貴族であった俺ですら、異端の書物を集めるのも密やかにしていたくらいだ。

 少女は空気を変えて重くうなずく。


「知の探究をやめることはないが、せいぜい軽々しい言動は慎めよ」

「クレアさんを軽々しく研究にさそった黒騎士さんの発言には、さすが重みがあるね」

「おのれ黒猫め、反論できぬ嫌味を言いおって、滅せよ」

「さっきから何その悪口!? 滅されたくはないんですけど!?」


 軽々しく研究に引き込んだ俺も悪い。黒猫も悪い。半々で、いや、おおよそ黒猫が悪い。


 喋る猫と動く骨が少し歩き回った程度で世界がこれほどまでに混乱するのであれば、神が姿を現さないのも当然だ。奇跡を乞い願った俺の浅はかさすら再確認させられる。


 しかし、黒猫がいなければ、俺はあの世界の俺になる。

 俺にとっては、黒猫の存在は、良きものとなっているのも確か。

 世界の混乱と引き換えにして、だが。


「……黒猫よ、貴様は一体、何なんだ」

「私?」


 答えを期待しない再びの小声のつぶやきであったが、今度は黒猫が拾う。


「黒騎士さんがクロと名乗ることになったので、改めましての自己紹介」


 続く人の世の混乱を他所にして、黒猫は俺に向き合い頭を垂れる。


「クロの響きに意味があるように、私の名前の響きにも意味がある」


 それがさも重大な秘密であったかのように、猫は語る。


「トキネ、ルル。ルルが名前、名字がトキネ」


 突如に変わった空気に少女クレアが戸惑うのを横に感じる。


「トキは時間を意味する響き。ネは音。併せて時の音」


 ルルだけが全部の名前ではないと言ってた。


「ルル、それにも意味がある。私の源流が生まれたその国では、違う意味の言葉でも、同じ発音をすることがある。ルとル、最初のルは、流れる意味を持つ言葉、続くルは、留まる意味を持つ言葉」


 よく響く綺麗で透明な少女の声。しかし、纏う空気が今までとは違う。言葉から感情を消せば、このような響きになるだろうか。


「時は虚構。そして音は実在」


 時間とは人が頭の中で創り出した物語なのだという。


 存在しないもの。虚構。しかし、音は?


「…………音も実在しないだろう」


 言葉を差しはさむ空気ではなかったが、それでも聞いてしまう。気になったら聞いていしまう。追及せねば気が済まない。俺の生来の癖。音は音。目に見えない。


 黒い猫は俺に金の瞳を向ける。


「いいえ、黒騎士さん。音は実在している。世界は波で出来ている。音は世界に動きを与えている実在するもの」

 

 説明というにはあまりにも簡潔な言葉で反論される。まだ納得が出来ないが、それは俺が理解するための土台がないから。なさすぎるから。見えなくとも、そこにある。


「時は虚構、音は実在。トキとネ、相反する二つを重ねてトキネ。流れると留まる、相反する二つを重ねてルル。トキネルル。相反する二つを重ね重ねることで、込められる祈りの意味は……」


 呼吸を一度置き。


「世界のすべて」


 猫は言う。


 反する意味を込めて。

 大天使にして堕天使。上向きの三角と下向きの三角。ルル。ルシフェル。

 光。闇。合わさって最強に見える。


 頭の中で単語たちが夜空の星のように散らばる。


「世界のすべてを把握し、理解し、支配するために、人によって生み出された機械、その果ての果て。あなたに会いに来たのが私。……時の流れに身を任せ、時に流れ、時に留まる。あまねく世界に響く祈りの歌声、時音流留」


 そこで黒猫の声は感情を取り戻して。


「黒騎士さんと最初に出会ったときにしようとして面倒になってやめた自己紹介。ふふ。実はちょっと気になってたのよねえ。やり残した仕事みたいで。ふふ、ようやく言えた」


 名前に込められた意味。あの時言われても、そうかと言って終わりだっただろうな。

 ルル。ただのルル。それでよかった。あの時は。


 こいつと出会い、そして学んだいくつかのことを経て、ようやく意味がわかる。そういうもの。


「さて、じゃあ、これが本当に最後。もう一つやり残した仕事を済ませましょう。別れの覚悟は良い?」


 天に雷鳴が響き。


 人々が天を仰ぎ。


 光も音もなく。


 俺たちは舞台の上に立つ。


「リュミエラさん。あなた偉いわ。見ていて感動しちゃった。心を、揺らされちゃった。だから、ちょっとばかり、えこひいき、させてもらうね」


 急ごしらえで作られたと思えないほど上出来の舞台で。


 最後の幕が、静かに開ける。





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