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死霊の黒騎士と黒猫のルル  作者: 鮭雑炊


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151

151「在り方こそが」



 足元から昇っていく闇色の炎がやがて全身を包み込む。熱くはない。


「お……おお……」


 目の前の男が後ずさるのを横目に、黒い甲冑を纏った自分の右腕を上げて顔の前に掲げる。手甲のわずかな隙間から覗いていた骨が徐々に変化していくのを見る。

 細く白い骨から、肉を伴った白い肌へ。

 死者のものから生者のものへ。

 その変化は腕だけではなく、頭部を含めた、全身に及ぶ。

 炎にまかれて変化していく俺を見ている者たちは、今のこの有様を見て、何を思うのだろう。


 昔の俺ならばその裏側にあるものを考えず、単純に奇跡の光景を見れたと喜ぶだけであろう。


 この黒炎の奇跡の裏側には、もったいぶった演出、という裏側が隠れている。そう、ただの演出。見かけだけのもの。見たものが変化を理解できるようせいぜいゆっくりと見せつけるように、と、俺がそう黒猫に注文した。


 天上かと疑うような白い空間から抜け出して、今は現実。黒猫の言った通り、時間の経過はなかった。そこで明かす、骨の騎士の真実。


 真実というか……うむ。


 さて、このもったいぶった演出の変化を見せつけられている者たちの心のうちは実際どうなのか。こういうものは実際に燃えている当人からの目線ではよくわからんものだ。後ろに下がり、よろめき、言葉を失い、それでも目を離そうとしない男の表情からその心の変化をうかがい知るのみ。


「…………」


 いや長いな。


 まだ燃えている。もったいつけて見せつけよとは言ったが、ちょっと長いぞ黒猫。


 さすがにもういいだろうという意思を込めて、上げた右腕でこぶしを強く握ると、炎が散って消えた。


「おお……」


 今のは少し恰好よくなかったか? こぶしを握って炎が散る演出。男につられて自分も声を出しそうになる。


 時間をかけ全身を焼いた炎は、消えゆくときには残りを惜しまず消える。炎が消えた後に立つのは、傷一つない黒い甲冑を着た若い女性。


 艶めく黒い髪を持ち、生気を持った白い肌の、まごうことなき女、と、そう見えていることだろう、今の俺の姿を見る男たちの目には。


 男に向かい、俺もまた仰々しく言葉をかける。

 自分の喉から発せられる女の声。違和感はあるが、それでも、せいぜい重々しく、せいぜい威厳ある天使らしく、言葉を紡ぐ。


「……男よ。帰って皆の者に報告するがいい。骨の天使……天使……まあ天使でもよいか……」


 天使ではないと否定し続けることも面倒になったしな、天使でもいいか、もう。


 天使と名乗っても悪魔と名乗っても、俺が俺であることは変わらない。自分の存在がどうであるかなどとこだわるのはやめだ。そもそもだ、こちらがどれほど否定しようがどうしようが、どうせ人は勝手に判断して好きな方を選ぶのだ。天使だろうが悪魔だろうが、好きにしろ。


「今、世界を賑わしている骨の天使は、実は女であってジル・ド・レなどという男ではない、とな」


 言葉をかけ終えると男はさらに目をむく。


「おんな……じょ……女性……男ではなく……では……」


 骨の天使の正体は、出現した天使と入れ替わるようにしてルーアンで行方不明となっている男ジル・ド・レではないか、ジル・ド・レならば家の縁がある、ならば、と話をしにきた男にとって、これはあり得ざる衝撃の事実。宣告を受けてなお数歩、よろめきながら後ずさる。


 気に入らない噂ならば違う噂で上書きしてしまえ、そういう作戦。


 なんと、世を賑わす骨の正体は女であったという事実……


 ……ここで男が知った事実は事実ではないが。俺は女ではないが。その正体は実は本当に噂通りのジル・ド・レではあるが。ジル・ド・レ本人そのものではなくとも、その男の記憶を持つ者ではあったが。


 なぜこんなことをするはめになったのか。


 骨となって節操もなく動き回り世をかき乱す正体不明な存在の正体がジル・ド・レであった、などと知れたら、その家族、生前の妻であったカトリーヌを含め、弟ルネなど縁者ら大勢の者が何らかの厄介なことに巻き込まれるだろう。それを恐れた俺は、嘘をつくことに決めたからだ。


 嘘をつく以外、他に考えが及ばなかった、が実態に即しているだろうか。


 残された妻や子に何かしてやれないかと考えた。考えて何も思い浮かばなかった。何も思い浮かばなかった俺は、とりあえずでも天使とジル・ド・レは無関係であることを示さねばならないと決めた、ゆえに、


「ジル・ド・レなどという者は知らぬ。そう周囲の者に告げよ」


 嘘をつく。


 黒猫と出会わなかった世界の俺を想う。悪鬼ジル・ド・レ。途中までは俺と重なる人生を歩み、途中で違えて辿ったその最期と、さらにその後の世界を想う。


 ジャンヌ・ダルクと共に戦いし救国の英雄の一人でありながら悪魔の殺人者として汚名を残し死んだジル・ド・レを想う。


 その世界では残された家族も悪魔の家族として相応の扱いをされたのではなかろうか。土地と遺産を狙う者どもは大勢いた。そうした周囲の目の中で、残された者たちが楽な生き方はできなかったに違いない。しかし、今のこの世界。この世界では幸いにも、黒猫と出会った。黒猫と出会い、殺され、死んだ。救国の英雄ジル・ド・レは救国の英雄のまま、輝かしい救国の英雄の肩書だけを持ったまま消える。


 殺されたことを、幸い、などと感じるのは腹が立つ。汚名が残る前に消えてしまいたいという、あの世界の奴めの願い通りになっていることにも。だが、これならば、残された家族におかしな害は及ぶまい。


 妻や子供を上手く愛せなかった、という負い目がある。何ができるかを考えて、関わらないのが一番だという結論しか出てこなかった。関わらない以外の選択肢がない。無言で距離を置く、それが、今の俺ができる精一杯の誠意。


 骨の天使がジル・ド・レなどという噂がどれほど浸透しているのかは知らないが、当の本人が変身を実演してまで否定してやれば、これに勝るものはあるまい。天使の正体が実は女であった、は、それはそれとして問題も生まれる。プリュエルのところではさんざん女ではなく自分は男だと否定していたしな。この後、思いもよらぬおかしな噂なども生まれるかもしれない。が、それはそれでいい。おかしな噂が広まったとて俺とは無関係。知らぬ存ぜぬを突き通す。


 骨の正体がジル・ド・レなどという噂の出どころであろうリッシュモンやアンドレにも、次に会った時に強く言っておかねばな、そう考えながら横に視線を落とすと、黒猫の金の瞳と目が合う。


 少女クレアの手からいつの間にか降りた猫は、こちらを見上げている。


 ふ。こやつの目にも俺が見えているのだろう。恥知らずにも女の体を利用している、哀れでみじめな男の姿が。


「滅びろ黒猫」

「何でっ!?」


 おっと。心の底からの願いが漏れた。


 俺を見上げる黒猫の瞳に宿る感情はいつにも増して楽し気で、さんざん世の中をかき回しておいて家族だけは別で平穏でいて欲しいとかどうなの、とか、結局責任取れなくて逃げてて笑える、とか、名前を手に入れて最初にする仕事がこれなの、とか、便利に女を使うようになってうれしいわ、とか、いかにも奴めが言いそうなことが言葉の波に乗ってこずとも思考の波となって流れてきて、つい。


「いやらしい笑みを浮かべおって。貴様から見て今の俺の姿はさぞ面白かろう。滑稽でたまらんだろう。笑うなら声を上げて笑ってもいいのだぞ? あん?」

「被害妄想と自虐がひどいねえっ!」


 今の俺のみじめさは言葉では言い表せない。嘘を取り繕うために結局黒猫の用意した女体を使うしかない俺を知ったら、残された家族どもは何を思うだろう。泣いてくれなくてもいい。憐れんでくれ。せめて。


「ネコに向かって美少女がすごんでいる絵面とか笑えるけど、別にそれで笑っているわけでないし」

「笑ってはいるのだな? 滅せよ黒猫」

「言葉尻をとらえて攻撃的にならないで!」


 謎の超越者たる黒猫には剣は絶対に届かない。そうした者には言葉の攻撃が一番効く。学んだことだ。


「笑っているというか、まあ笑っているのかもしれないけど、今笑っているのだとしても、悪意とかはないからね。単純に楽しいだけで」

「無力な人間の無様な様を見て楽しんでいると、そういうわけだな」

「わけでないから!」


 その気になれば俺など火のともった蝋燭に息を吹きかけるよりも簡単に消してしまえる力を持つ超越者は、意外にも己に向けられる悪口に対して寛容だ。

 出会った頃よりかなりの暴言など黒猫に向かって吐いてきたが、それをもって何かされるということはなかった。奴めの怒る線引きを見誤らない限りは、こうした悪口などは他愛もない軽口の内と流される。


 コーションは人でない者が人の言葉を真似てしゃべるなと言って、奴の怒りを買った。

 猫殺しなどには、無垢な子供に悪意を伝えるなと言って、怒った。


 人によって作られた人を模した道具。人の言葉や行動を真似て育つ存在。そこらあたりに黒猫が本気で怒る線引きがあるのだろう。俺は触れない。怖いから。


「私はねえ……」


 黒猫が何か言いかけたとき、別の方向から違う男が近づいてくる。這うようにして頭を低くし、形相は必死。


「こ、この屋敷の本来の主です! 天使様! 私は! 私どもは死後、天国に入れるでしょうや!?」

「あん?」


 屋敷の前をうろついて、遠巻きにいた男たちの中の一人。それが近づいてきて俺に向けて放った言葉。自分たちは天国に入れるかとか。

 答えあぐねていると男はさらに続ける。


「こ、こ、この屋敷には我が家のすべてがつまっております! 祖先から続き、延々と積み上げたそれを、献上いたしました! すべて!」

「…………」

「聖女ジャンヌ・ダルク様のことでは、過ちを行いました! ゆ、赦されざることを行いました! ですが! 貴族としての過去の栄光をすべて、屋敷と共に、神へと献上いたしました! それが贖罪となりますれば! こ、これでも足らないならば、し、しし、死を、こ、この身に賜りますれば……! ああっ! 罪と、罰を、すべて受け入れます! 私は心から神を信じております! だから! 私と、私の家族たちは、死んだ後、て、天国に……天国にぃ……」


 最初から腰は低かったが、俺の目の前でついに跪き、祈り始めた男。滂沱の涙と共に言葉を吐き続ける。


「すべてぇ……すべて失ったんですぅ……すべてぇ……だからぁ、天国にぃ……天国には……ああ」


 祈りでも懺悔でもなさそうな男の言葉は、やがて意味を持ち始めなくなる。死んでも構わない、天国に行きたい、自分と家族が、それだけだ。


 この屋敷の本当の主。


 ルーアンで貴族として生きて、ジャンヌの処刑に関わり、俺という死者の復活に恐れ逃げて、戻ってきて屋敷ごと財産を接収された男。


 この男をここまで追い詰めたのは誰だ?


 後ろを振り向き医者を見るが、医者はあわてて首を振るだけ。

 まぁ俺の言った通りに動いただけだしな、医者は。

 鼠を殺す噂を流せ、目に見えない小さいものを見る研究用の費用を集めよ、逃げて戻ってきた恥知らずの貴族どもから財産を取り上げろ、と、医者に命じたのは俺だ。


 屋敷ごと貴族としてのすべてを失って膝まづく男を見下ろす。

 そして今度は命すら放り投げると言っている。


 天国に行きたい、か。

 この世界に生まれて教会の教えを受けて育った者ならば、誰もが願うようなことだ。


 しかし、どうだ? 天国というものは本当にあるのか?


「黒猫よ……」

「ん? なあに、黒騎士さん、じゃなく、改め、クロさん」


 クロ。俺の新しい名前。

 むずがゆい。慣れるまでは時間がかかりそうだ。


「クロでいい。いや黒騎士呼びの方が楽でいい」


 ずっとそう呼ばれていたからな。今更呼び方を変えられるのはどうしてか辛さを感じてしまう。


「それより、質問だ」

「ほい」


 天国。愛に満ち、神と共にあり、永遠の安らぎを約束された場所。


「天国は存在するか?」


 人は死後、地獄に落ちるか、天国へと至れるか。


 その疑問もまた、俺の子供の頃よりずっと、心の中にあった疑問。

 しかし。

 今ならその答えが、なんとなく、おぼろげに、自分の中に存在しそうだと感じる。


「えーとね……」


 黒猫は上を向く動作と首をひねる動作を一緒にやってのける。質問をしたが、ここで黒猫が返す答えも俺には予想ができる。


「天国ねえ。あなたたちが言うような天国って話なら、ちょっとわからないわねえ。行ったことがないもの」


 知らない。行ったことがない。

 そうだな。貴様はそう答える。


 神も、悪魔も、天国も地獄も、人の創作した物語の中だけにしか存在しないのかもしれない。


 だが。


「男よ、聞け」


 今は子供の様に泣きじゃくる屋敷の元の主に向かって言葉を放つ。


「積み上げたものを失った悲しみは理解できる。だが、囚われるな」


 奪ったのは俺だが。憎むべきは俺であり……いやそういうことを言いたいわけではなく。


「人が天国に行けるかどうか……」


 言葉を探す。

 いつもながら、その場その場に適した言葉を探すのは、剣を振るよりも難しい。


「それを決めるのはきっと、在り様、なのだ」


 涙ながらに俺を見あげ、在り様、と言葉を繰り返す屋敷の元の主。


「俺は、俺たちは……」


 さりげなく黒猫も巻き込む。


「貴様が天国へ行けるかどうかなどわからん。天国へ行けるだろうと言って慰めてやることも」

「そんな……」

「だが」


 絶望をしかけた男を強く遮る。


「諦める必要もない」


 天国なんてものがあるのかどうか知らないが、実際に天国があり、そこは人が辿り着ける場所にあるならば、辿り着くためのその方法は。


「進む意思。それを持ち続けることが、天国へと至れる鍵なのだ」


 高く積まれたレンズ豆は高く積まれた塊のまま。しかし、一粒づつでも増やしていけるのならば、その方が高く積まれることになる。停滞したままのものと、進むものとの違い。


 今、どうであるか、ではなく、どういうものであるか、こそが。


「いつか、でもなく、昔は、でもない。今、だ。今、この瞬間、どういう者であるかが重要なのだ」


 過去も未来も、時間というものが人の想像の産物でしかないのなら、大切なものは今、この瞬間しかない。今この瞬間にどう在れるのかが問われる。いつも。常に。その在り方こそが、人の価値を決めるのだ。


「男よ。生きよ。今、この瞬間こそを大切に生きよ。正しく生きて、生きて、そうして生き続けられるのならば、天国の門はきっと貴様にも開かれている」


 色々な意味で、俺が何かこの追いつめられた男に言葉をかけるのは間違っているかもしれない。


 目の前の男は、ジャンヌの処刑を止めるどころか手を貸したかもしれない。しかし、俺はもう赦している。ルーアンの街の住人を許している。イングランド、は、今もまだ赦し切っているとは言えないが、それでも、前の様に臓腑を焼く復讐の心は消えている。


 あのままでは駄目だったのだ。復讐の心は、誰かだけでなく自らの心をも苛む。だから、これでいい。


 よく知りもしない男だが、それを赦すことは、きっと、俺の為になった。


「ありがとう……ありがとうございます……美しき天使様……」


 男はまだ泣いている。泣いているが、泣き方が変わった気がする。自暴自棄の涙から、よくわからん涙へと。どういった涙になったのか、少し考えてみるが、やはりよくわからん。


「う、ぐすっ」


 後ろにいたクレアも、男につられてか涙を流している。小さい体なのに、人はどれだけ涙を流せるようにできているのか。


「お、おんな、おんなでも、進み続ければ、えらくなれる、うう、女の天使様」

「クレア、俺は女……ではある」


 クレアの言葉につい俺は女ではない、男だ、と返そうとしてしまったが、そうだった、今だけは女でなくてはいけなかった。


「女とか男とかにも、拘るのはやめるのだぞクレア。そもそも偉くなるのに女も男も関係ない」


 医者にあずけられて、いずれは医者にならねばと気負っていた生真面目なクレアは、何かと抱えすぎている。それも俺のせいだから、俺が何を言うのか、というやつだが。


「骨の天使のお方が女の方でしたとは、驚きました。あ、しかし、天使に性別はない、なんて話も聞きますが、どうなんでしょう」

「うるさい。黙れ、医者」

「ええ……」


 天使に性別がなければ男のジル・ド・レが女になってもおかしくはない、などと思われたら、今の俺がこうして女の姿になってまで取り繕おうとしている嘘が台無しになってしまうではないか。黙れ。


「はいはい。一段落? ところで、もう本当に時間がないわよ? このままじゃ面白いところを見逃してしまう」

「は?」


 先ほどからニヤニヤし続けていた黒猫が、無理にでも話を止めてくる。

 面白いところを見逃す?


「黒猫、なんだそれは。パリで何かあるのか?」

「そうそう、もうのんびりと空を飛んで帰る時間もないから、転移でぱっといっちゃいましょうか。ここではもういい? クロさん、クロ、えっと、黒騎士さん」


 黒猫の奴も俺の名前を言いにくそうだ。結局前と同じ黒騎士呼びすることにしたようだ。まぁそれでもいい。


 周囲を見る。

 最初に屋敷の前で俺を待っていた男。妻の血縁の貴族。

 もういいだろう。俺はジル・ド・レではなかったと報告してくれることだろう。


 屋敷の元の主。いまだに跪いて祈っているが、もう俺からしてやれることはない。


 結局いつも、俺たちの周囲には人が集まる。近寄らず、遠巻きに見る大衆。知らん。


「ああ、いいぞ」

「じゃあ、パリへ転移するね。おっと、クレアさんも来る? リッシュモンさんに会わせてあげる」

「は、はい!」

「わ、私は……」

「医者。お前はここにいろ」

「ええ!?」


 医者もパリへと同行しようとしていたが、それを止める。


「貴様はここでやることがあるだろう。屋敷の元の主とじっくりと話しておけ。確執が生まれてしまっているではないか。腑抜けた貴族どもから財産を接収しろと言ったが、やりすぎは良くない、そう、やりすぎは良くないのだ」


 町の鼠を殺すことは、死病の対策として有効ではあれど、殺しつくすようなやりすぎは良くないように。


「猫殺しをやめさせて鼠殺しに変える計画も、あれもよく考えてやりすぎないようにな、頼んだぞ。ではな」

「そうねえ、恨みを買うのは良くないわね。お屋敷も接収とかじゃなく、借り受けるとかの形にした方がいいんじゃないかしら。じゃあね、お医者さん」

「そんなぁ……」


 医者は捨てられた猫のような声を出すが、もう事態は動き始めた。

 黒猫は少女クレアの肩へと飛び乗り、俺とクレアを囲むように再びの黒い炎が生まれる。


 一瞬のこと。視界が黒く染まり、そして、次に視界に映り込む景色は。


「どういう状況だ?」


 焼けた大聖堂の広場。そこにいる見知った面々。マロ―司教。クレマンやリッシュモン。他にも。


「――だからっ!」


 大勢を前に、木に磔にされた見知らぬ男をかばう少女。リュミエラ。

 その横には、血を流し、治療をされた後であろう姿のもう一人の少女。プリュエル。


「そういうのがよくないのっって言ってるの!」


 怒れる形相の見知った面々を前に、リュミエラが声を張り上げている。


「おい黒猫。これは何だ?」


 この状況もだが、俺たちがいきなり現れても誰も驚いていない。


「俺たちに気が付いていない?」

「そうね」


 事も無げに黒猫は言う。


「ちょっと位相をずらして、えっと、うん。今、私たちがいることは、気が付かないようにしている」

「何のためだそれは?」

「何のためって?」


 黒猫はあくまで気楽に、楽し気に、周囲見る。

 まるで、面白い劇を見守る観客のように、楽し気に。


 黒猫が視線を固定したその先には声を張り上げるリュミエラ。


「そうやって戦争戦争って口にしないでっ! 私もプリュエルさんもそんなこと望んでいないっ! 私はこう教わったの! 汝の隣人を愛せよって! わたしは頭は良くないけどっ! だからっ! 汝の隣人っていうのは、すぐ近くにいる人って意味だと思ってるっ! 今っ! 剣を向けている相手だって! 隣人でしょっ! 愛さなきゃ!」


 顔を真っ赤にして怒っていた男たち(主にマロ―司教)に向かって、堂々と意見を言うリュミエラ。


「ふふ」

「何がどうなっての今だ? 状況を説明しろ」


 あくまで観客気取りで事態に介入しない黒猫に重ねて問う。


「ざっくりとした説明。そこに縛られている人はローマから調査に来た人。んで、なんだかんだのすったもんだで、プリュエルさんが傷ついて、んで、それに怒った人たちが彼を縛りあげて、そしてなんだかんだでローマ教皇相手に戦争も辞さず、って感じになって、それを止めようとしているリュミエラさん、って感じ。説明終わり」

「なんだかんだ……」


 かなり端折られたような気がするが、なんとなくは理解できた。

 そうか。ローマ教皇が動いたか。遅いくらいだ。


「汝の敵を愛せよ、ね。ふふ。偉いもんじゃない? リュミエラさん」


 大勢の息巻く大人たちに向かって、争いを止めようとするのは、まぁ確かに偉い。大勢に流されて意見をまともに言えない者は多い。


「私はね、成長していく人を見るのが好き。単純に好き」


 リュミエラから視線を外さずに黒猫は答える。


 シャルル王のもとで口減らしと正当な聖女であるためにと唯々諾々と戦争に向かわされたリュミエラの面影はない。


「好きなものを見ると、それだけで楽しくなる。笑顔にもなる。さっき言いかけた言葉。っふふ」


 黒猫は笑う。リュミエラを見て笑う。俺を見て笑うように。


「さあさ、黒騎士さん」


 リュミエラを見ていた体はそのまま、黒猫は俺の方へと首を傾け、問いかける。


「この後どうしようかしら? なんでも言ってみて? ご希望に沿うように頑張るから」


 その金の瞳が怪しげに光る。


 観客が舞台に飛び込み、何かをしてくれようかと不敵に笑むように。


「今の私は上機嫌よ?」


 その瞳に宿る剣呑さは、この後の波乱を予想させるのに十分なものだった。






読んでくれてありがとう! 心よりのメリークリスマス!

…………もう一年が経った? もう一年!? 早い! 一年が過ぎ去るのが早いよ!



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