開花その116 清算 後編
「先生、今日は朝から穏やかな海ですよ。たまには外へ出てきませんか?」
「嫌だ」
すっかり引きこもりとなったプリスカには、セルカが何を言っても通じない。私はそもそも、面倒なのでこのままずっと影にいてくれれば助かると思っているし。
しかし、今朝は外の空気がちょっとだけいつもと違う。
「わかったぞ。これはスーちゃんの気配だ」
行方知れずの巨大ウミガメ、スーちゃんの気配を感じている。
「え、もしかして居場所が分かったのですか?」
「そうだ」
きっと、言葉も届く。
「スーちゃん、わかる?」
「ああ、姫様」
「こっちに来られるかい?」
「うーん、二、三日待ってください」
「え。二、三日で着くの?」
「ええ。体調がすこぶる良いので、全速力でそちらへ向かいます」
それから一転して、海が大荒れとなった。まさか、スーちゃんのせいじゃないよね?
私たちの乗るメタルゲート号は南の大陸の洞窟に隠しておいたので、航海中に必要な船内の装備や備品を含めて、そのまま残っていた。
二人が持っていた魔法鞄は消滅した肉体と共に失われてしまい、何も残っていない。私が使っていたエドの巾着には基本的に元から入っていた物と、最近入手した貴重な物だけを収納していた。
つまりどういうことかというと、私たち三人分の身の回りの細々とした物が、今回の一件で全て消えてしまったのである。それでも帰りの航海に支障が出るほどでもなかろうと考えていた。
しかし私の魔法収納に入っていた雑多な保管物資がそっくり消えてしまい、ちょっと不便を味わっている。
例えば着替えだとか、おやつ等の嗜好品とか暇つぶしに読む本だとかね。
重要なものは、エドの巾着に入れてある。しかし予備として持っていた大量のスプ石やバナ石、それにエチケットメダルや回収していた大量の金の針、その他試作した様々な魔道具類や魔法薬等、虚空に消えた物は数多い。
残念なのは、大量にストックしておいたポテチや、今まであちこちで集めた食材とかだね。
私の重要な持物や食料の一部は、唯一残ったエドの巾着袋に入っていた。ただ、圧倒的に魔法収納の物量が多かった。南国の果実や水産物など、帰り道で補充できる物は入手しておきたい。
結局のところ、突然荒れ始めた海に翻弄されながら、私は暇を持て余していたのだ。
「姫様、暇だからって、船の中で変な魔法を使わないでくださいよねっ!」
ぶつぶつと愚痴っていたら、セルカに釘を刺された。
まぁ、着替えに関してはルアンナの変身魔法と私の清浄魔法があれば、どうにでもなるだろう。
あとは暇つぶしに、スプ石やエチケットメダルでも作っておくか……
私はセルカに怒られぬよう、揺れる船室から出て甲板に建つ小屋に上がる。
波は高いが天気は良く、ルアンナの結界が全て防いでくれているので、濡れる心配はない。
ある程度集中してお仕事モードに入り、制作を続ける。揺れる船上でも、特に作業には問題が無い。
先ずは、プリスカ用の新しい剣と、魔法の鞄を造った。セルカにはもう作って、渡してある。
次に自分用の剣や、エルフの弓も新調した。盾はもういいかな。あとは大量のスプ石と、エチケットメダル。
あれ、エチケットメダルってエイキン親方の銅メダルが無いとできないんだよな。ではどうして何もない船の上で、こんなに沢山のメダルが……
「今更何を言っているのですか。スプ石だって同じ作り方ですよ」
呆れたように、ルアンナに言われてしまった。えっ、これってエイキン親方が失業してしまう案件か?
気分転換にふと思い立って魔力感知を広げてみると、おお、スーちゃんがすごい速度で接近してくるではないか。しかも、なんか以前より魔力が増している。
これ、やっぱり海が荒れまくっているのはスーちゃんのせいだったのかな?
いやでも、そんなことは無いよな。いくらスーちゃんがでかくて速いと言っても、それを追い越して先に波が来るのは変だ。これは単に、嵐に乗ってウミちゃんが接近していると考えるべきだろう。
北上する私たちに向かい、北から接近するウミちゃん。なんだ、私たちとは行き違いになっていたのか。
でも海が荒れ続けているおかげで、プリスカが出て来なくて平和だなぁ。
この時点で、プリスカはパンダとほぼ同列扱いとなっている。
その日のうちに、スーちゃんの巨体が見えた。
「あ、空を飛んでいますね」
意表を突かれたセルカが、強風の中を飛ぶウミガメをぽかんと見上げる。
そうか、スーちゃんは飛べるのだったな。
「早かったね。本当に三日で来るとは」
「お待たせしました。すぐ下へ降りますね」
スーちゃんの巨体がみるみる接近し、目の前に着水した。同時に、荒れ狂っていた海が突然静かになる。どういうこと?
私は入れ替わるようにメタルゲート号を宙に浮かせて、着水したスーちゃんの背に向かう。
三年ぶりに見るスーちゃんの変貌ぶりに、私たちは驚いた。
「スーちゃん、一段と大きくなってない?」
「そうかもしれません。最近ずっと水面に浮かんで陽に当たっていたので、とても調子が良いのです」
この巨体で、まだ育っているのか。末恐ろしい。
それに海中へ潜らないせいなのか、甲羅の上がすっかり緑に覆われている。こりゃ完全に浮島だな。
私は船を、カメの背の中央部分に下した。以前石碑のあった辺りなのだが、すっかり草に埋もれて分からない。
それどころか、周辺には結構な高さの樹木が育っていて、すっかり熱帯の森林である。
「スーちゃん、この辺りに家を建ててもいいかな」
「ぜひお願いします。立派な家を建ててください」
よし、地主の許可を得たので、家を造るぞ。
私は土魔法で頑丈な基礎を造り、その上に石造二階建ての広い家を建てた。平坦な屋上はテラスにして、その一画にメタルゲート号を乗せた。
給水設備はスプ石で、排水にはブラックホールバケツを新たに置いた。
あとは適当に部屋割りしてハイリスモドキで透明な窓をあしらえば、建物はほぼ完成。細かい部分は後回しでテラスにテーブルと椅子を並べ、好きな場所にハンモックを吊るせばもう暮らせそうだ。
「地面が揺れないから、プリスカも出ておいで」
セルカは先に林へ分け入り、食べられそうな食材を探している。
「海が大荒れだったのは、ひょっとしてスーちゃんの力なの?」
「はい。姫様のいる海域と私の居場所を結ぶラインを高速で飛行するために、ちょっと無理をしました」
なるほど。だから私の周囲はこの三日間ずっと、荒れまくっていたのか。普通の船ならひっくり返るぞ。
「危ないから、これからは人の近くでは使わないでね」
「そうでしたか。気を付けます」
プリスカが恐る恐る出て来た。
「あ、揺れませんね」
「うん。小島にいるのと同じだよ」
「あ、これは最高です」
「ほれ、新しい鞄に必要そうな物を入れておいたから」
「あ、ありがとうございます!」
と言いつつ、早速新しい剣を抜いて振り回し始めた。
「言っておくけど、前のと変わらないよ」
「いえいえ、ひと振りすればわかりますとも。これは名剣です」
そうかなぁ……
「あのさぁ、プリスカ。セルカにも聞いたんだけど、生きていた時と何が変わった?」
「くっ、生きていた時とか言わないでくださいよ」
「でもさ、やっぱりずいぶん違うんじゃない?」
妙にすっきりとした表情なのが、かえって怖い。
「そうですね。何か憑き物が落ちたような、煩悩から解き放たれたような気分です」
「そうか。ではもう人斬りは卒業だな」
「それはまた別の話でしょう」
すぐに言い切るな。おい、剣を持つ手が震えているぞ。ヤメロ。怖いわ。
ダメだ。こいつは何も変わっていない。
「じゃ、スーちゃん。このままゆっくりと海上を北へ進んで。行先はウミちゃんと出会った、中継点の島だよ」
あれ、あの島は何という名前だったかな?
「さあ、ソラちゃんの待つ島へ行こう」
「私が、スープさんを誘導しますね」
ウミちゃんのナビで、新たな航海が始まった。
僅か三年の間に、スーちゃんの背中には豊かな生態系が育まれていて、小動物や海鳥が住み着いている。
「姫様の加護のおかげか、生き物が良く育ちます」
いや、育ちすぎだよ。もしかして植物が繁茂しまくっているのは、エルフの力が発現しているから?
こうなるともう、簡単に潜水できないだろうなぁ。
「姫様、この島には不快な害虫が少なくて快適です!」
「ああ、確かにGとかフナムシとかは見ないな」
それで二人とも、妙に生き生きしているのか。今はあの妖との記憶が薄れるのなら、何でも歓迎だ。
それから私は連日、プリセルの剣術の稽古を見る羽目になった。
しかも調子に乗って暴れまわり始めると、とんでもないことが判った。恐ろしいことに、こいつら手足を斬り落とされても、一度私の影に入って出て来るとしっかり再生していやがる。
恐怖のゾンビ剣士が二人で闘う姿は、この世のものとは思えない。ひょっとして、G細胞が混じっているのでは?
首をはねたりする実験は、まだ怖くてできないそうだ。まだ、ということは、そのうちやる気なのか?
止めてくれ。
街へ戻り、こいつらを人前に出すのはとても危険だと感じる。いっその事、この場で封印してしまうか。それとも屋敷に帰ってから、パンダと一緒に地下牢へぶち込むか。
うーん、いざとなれば、二人が使うのは幻影魔法だとかなんとか、適当に誤魔化すしかないだろうなぁ。
あれ、そう言えば私の使い魔たちってみんな、この二人と同じ状態なのか?
ヤバい。無敵の魔王軍は既に誕生していたのか。バレたらマジでまずいことになりそうだ。
私の魔力が続く限り何度でも蘇って戦い続ける不滅の魔王軍。これ、シャレにならんぞ。
今まで、私の使い魔たちがそんなにボロボロになるまで戦う場面は無かった。
そもそも怪獣大決戦みたいな事態は、避けているからね。
でも普通の人間として活動するウマシカとかこの二人の身に何かあれば、その異常な体質がバレる可能性が高い。下手をすれば王宮に捕えられ、錬金馬鹿どもに解剖されてしまうぞ。
いや、こいつらを捕らえるなんて、王国騎士団でも無理か。
「仕方がない。その時には忘却魔法だな」
私は今すぐにプリスカを実験台にして、忘却魔法の練習をしたい誘惑に駆られる。
あ、それなら二人揃って、南の大陸での記憶を消してしまうか……
二人にとっても、きっとトラウマが消えて楽しく暮らせるぞ。
これはすごく魅力的な考えに思えて、とても困った。
終




