開花その115 赤い迷路 中編
魔物の群れから離れた後は、前方に新たな彫像が見えなかった。
この暗闇の中では臭いも風もなく床は平たんで、私の魔力感知でも我々一行以外の魔力は捕捉できていない。
つまりこの闇の中、視覚以外に頼りとなる感覚が無いのだった。それでは、もっと強い光が必要だろうか?
(ルアンナ、周囲を照らして)
(了解)
強烈な光源が頭上に生まれ、周囲を明るく照らす。しかしどんなに目を凝らしても、見渡す限り灰色の世界が続くばかりで、他には何も見当たらない。
(私の光はここの闇に吸収され易く、しかも光に当たる範囲内では空間に相殺されて無しか生まれないようです)
ルアンナの言っている意味が私にはよく分からないが、とにかくこれ以上やっても無駄なことだけは理解できた。
(ありがとう。もう光を消して)
「ルアンナの魔法では、ダメみたいだね」
「それではもう一度、私の魔法で調べます」
気を取り直して、プリスカが右に左にとライトボールを移動して捜索を始める。そして、ついに見つけた。
左前方に、新たな彫像が現れていた。
「行きましょう」
プリスカを先頭にして、足早に向かう。
現れたのは、様々な獣人の姿であった。その彫像たちが発するイメージの奔流は、多くの土地を飲み込んで迫る得体のしれない虚無の世界への恐怖に満ちている。獣人たちの多くは逃げ場を失い、恐怖の中で闇に呑まれたようだ。
既に広大な荒野と化している周辺の大地を見た彼らの絶望は、私たちが不毛な大地に閉じ込められたときの感情に近い。
次に現れたのは、闘うドワーフたちだった。絶望に立ち向かうドワーフは、その強力な魔力で困難に立ち向かい、そして力尽きた。
その横に並ぶ木立と弓を持つ人々は、エルフだろう。
彼らは魔法を武器に最後まで運命に立ち向かい、一方的に敗れ去った。
彫像から溢れる無力感と絶望の念は、その戦いが一世代も耐え切れずに終息したことを語っている。
そして最後に残っていた彫像は、物言わぬ多くの植物や野生の生き物たち。
赤い植物園と動物園と水族館のような彫像が並び、そしてついに何も残らない無へと大地は帰った。
「これが、千年前の出来事なのか?」
絞り出すように、プリスカが呟いた。
「趣味の悪い彫像の群れは、死んだ大陸の記憶だったのだろうか……誰かに見せるために残されていた記録。まさか、本当にここは最後の博物館なのか?」
不気味な考えに囚われた私の肌は、粟立っている。
「そんな。千年の間にここまで辿り着いた人は、他に誰もいなかったの?」
セルカの声が震える。
「まさか、次は」
「それ以上言うな」
「でも……」
そして自分の足元を見下ろしたセルカが、悲鳴を上げて飛び跳ねた。私たち三人の足元にある床が、あの彫像のような赤味を帯びていた。
「まさか、私たちを次の展示物に加えようとしているのでしょうか?」
その場から逃げ出すセルカを追いかけながら、プリスカが私を振り向く。
走るセルカの後を追うライトボールの光が、セルカと共に移動する赤い床を照らしている。自分の足元に目を転じれば、私もプリスカも、同じく不吉な赤い影を有していた。
三人が彫像にされる前に、何か対策を考えねば。
「セルカ、こっちへ来い!」
私は収納から出した無敵の盾を床に置いて、その上に乗った。すぐにプリスカも隣に乗る。
「姫様、私も!」
全力で走るセルカが大ジャンプの末、盾の上に無事着地した。湾曲した盾が不安定に揺れる。プリスカが手を延ばして、セルカの腰をがっちりと掴んだ。
しかし透明な盾を通して、赤い床が見えている。大丈夫なのか、これ?
とりあえず、三人が横に並んで小さな盾の上に立っている。こんなに広い場所なのに密着して、変な気分だ。暫く様子を見ているが、特にそれ以上の変化はない。
一息ついたついでに、あの彫像群から流れ込んだ断片的なイメージによって伝えられた情報を、ここで一度整理しておこう。私は並んでいる二人に向けて、静かに語り始める。
私が受け止めたのは、概ね次のような一連の出来事であった。
この大陸全土を襲った異変は、その中央部から始まった。恐らく、それがまさにこの場所だったのではなかろうか。
全ての命を枯らして乾いた荒野へと変える異変が周囲へ広がり、人間の暮らす街を幾つか飲み込みながら進んだ。
それが一体何なのか。異変の中心地点にいると思われる今の私たちにも、正体は不明のままだ。
ただ後に人々はこれを妖と称し、その力を妖気と呼んだ。それは出所不明の巨大な呪いである、と考えられていた。
当時魔法を使う者の少なかった人間や獣人の街は、抵抗する事すらできずに消えた。魔物たちもまた組織的な抵抗もできず逃げ回り、その過程で近くの人里を蹂躙し壊滅に追いやった後に、自らも異変に呑まれた。
残った大型の魔獣は知性の高い個体を中心に異変に抗っていたが、基本的に個体での抵抗には限界があり、連鎖的に倒れて行った。
その状況に気付いたドワーフやエルフは、精霊とも連携して対抗措置を取り抵抗を続けたが、徐々に人口を削られて壊滅した。
残された天然の河川や森林、野生の生物も大陸から一掃されて、ついに生命も精霊も一切が消えた。それが今のこの状態だった。
この異変が求めたのは何なのか、それは不明のままだ。だが恐らく迷宮の魔物を生む地脈の澱みや迷宮のコア、それに対する精霊や生物の持つ魔力、いや生命力と言うべきか。そういった力を根こそぎ吸い上げたのが、今回の異変のようだ。
しかし最終的に、この異変には想定外の出来事が起きる。
恐らくこの異変がそのまま放置されていれば、いつか海を越えて我らの暮らす北の大陸にも押し寄せていたであろう。
では何故、そうなっていないのか。
皮肉にもその浸食を抑えていたのは、陸を追われ海に逃れた大量の魔物の末裔たちであったようだ。いや、魔物だけではない。見慣れぬ人型の魔物たちは、きっと変異した人類の子孫なのだろう。
赤い彫像のコレクションに加えられなかった最後の精霊や、エルフを中心として抵抗した魔術師たちが自らの肉体を変異させてまで、この異変の元である妖を大陸内部に封印したのだ。
私たちが海から南の大陸に近付くにつれて増えた、人型の魔物。
人魚、セイレーン、半魚人、これらは過去の大陸に住んでいた人間の成れの果てだったのか。
かつて大洋には、これほど多くの魔物は存在しなかったらしい。
どこからか侵攻する妖気に対抗するために変異した魔物たちは、凶悪な姿となり海で猛威を振るう。
それが、現在大海に溢れる魔物の群れの原型となったのだ。魔物は妖を内陸に留めるとともに、外部からの侵入者をも阻んだ。だからこれ以上の侵攻を止めたまま、異変はこの大陸に今も留まっている。まぁこれは、私の推測に過ぎないが。
「では、我らの存在がその妖とやらにバレると、大変なことになるのでは?」
私の話を聞いていたプリスカが、不安そうに顔を上げた。
「でも、もうバレていますよ」
「そうかもしれない」
「ああ、やはり私たちはここへ来るべきではなかったのですよ!」
セルカの言葉に対する答えは、まだ無い。
異変の目的は、大な湖を作ることだったのか?
あの赤い水はこの赤い影と共に、何らかの意味を持つのだろう。そしてその水は、周囲の乾ききった大陸中から意図して一か所に集められたものだ。
この大量の真水が何に必要なのか分からない。ただ、大陸を囲んでいる海水には用が無いことだけは確かだ。
千年間この場に閉じ込められていた赤い水に、何の意味があるのだろう。
私たちがこのままここで赤い彫像と化した時、異変は私たちの足跡を辿り北の大陸へ向かおうとするのだろうか。それとも今まで通りに、海と魔物が阻み続けるのだろうか。危険な賭けだ。
しかし頭の悪いプリスカでも、そんな賭けには乗らないだろう。
「私たちがここまで来てしまった以上、何が何でもこの異変の元に辿り着き、それを抑える使命がある。のかなぁ……」
ちょっと口に出してみた。
「無理です」
「私たち、とか言わないでください。それは姫様にお任せします」
だよね。
一応専門の道具として作った盾を媒介にしている分、魔法の結界よりは効率が良いのだと思っている。私の魔力は吸われているが、許容範囲内だ。
どうせなら、盾をもう少し大きく広げておくか。ずっと並んで立っているのも辛い。
だが、すぐにそうも言っていられなくなった。
「ひ、姫様、足が!」
盾の端に乗っていたプリスカの足先が、赤黒く染まっている。いや別に、盾から足先がはみ出ているわけじゃないぞ。
(ルアンナ。盾を止めて、結界を張るよ!)
(了解。対魔法と物理障壁以外は、姫様にお任せします!)
(分かった)
「結界を広げるよ!」
私は盾に付与したような、祝福やら呪いやら魔法無効化対策やら、考えつく限りの防御力を持つ結界を周囲に張った。およそ半径二メートル。小さな結界だ。
「も、戻りましたぁ」
プリスカが腰を抜かしたように、盾の上へ座り込む。
「こら、次は尻が赤く染まるぞ」
脅かすと、慌てて立ち上がる。
「ううう、いつまでこの状態が続くのでしょう……」
確かに、こんなのが長く続いたら耐えられない。
だが、そんなに悩む時間は必要なかった。
「あああ、また足がっ!」
プリスカの足先が、再び赤く染まり始めていた。
回復魔法や治癒魔法、それにあらゆる魔法薬を使っても、止まらない。
これ以上の防御は、私にも無理だ。
不思議と、セルカと私はまだ平気なのだが。
じわじわと、赤黒い色がプリスカの足を侵食している。これに対抗するには、この異変の元凶を突き止める必要がありそうだった。
私は防壁の中から全力で周辺の空間を探知し、何らかの異常を探している。
「姫様、治癒魔法を!」
プリスカがそう叫ぶと、腰を落として変色した自分の両足を剣で切断した。膝から下の変色部分が切り離されると、鮮血が噴き出す。私は即座に治癒魔法を使い、傷口を癒した。
「……」
切り離された足は消え失せて傷口は塞がったが、足は元には戻らない。清浄魔法の効果で血痕も消えたが、もう自分で立つこともできない。
「無茶をするなっ!」
私はプリスカの体を抱き上げる。その手から剣が落ちた。
「でも、彫像化は止まりましたよね」
プリスカがそう言いながら、無理やり笑う。しかし二人が終始無言で立ち尽くしているセルカに気付いてその姿を見ると、既に両足が足首まで赤黒く染まっているのだった。
後編へ続く




