開花その115 赤い迷路 前編
赤い宮殿の入口前で、立ち止まる。
「ここから先は何が起きるか分からない。二人は武器を出しておいてね」
そう言いながら、私も槍かエルフの弓でも出そうかと思ってから、止めた。私の場合は魔法が封じられれば、何を持っていてもあまり役に立ちそうにない。
せめて丈夫な盾でも持っていれば、気休めになったかもしれない。でもそんな物を持っていないし、そもそも一度も使ったことが無いしね。
じゃ、今作るか?
私は実家の居間の壁に利用した透明金属、ハイリスもどきで透明な盾を作ってみた。前世で警官が持っているような、湾曲した縦長の盾である。
「姫様、何ですかそれは」
「自分だけズルいです」
「あんたたちも要るか?」
声を掛けると即座にプリスカが私の手から奪い取り、セルカと二人で検分している。
「意外と軽いですね」
「セルカ、ちょっと構えてみろ」
「オイバカ、ナニヲスル、ヤメロ」
私の制止も聞かずにプリスカが自身の魔剣を一振りすると、新品の盾が真っ二つになる。
「ふふん。これでは役に立ちませんね」
プリちゃんに鼻で笑われて、私は頭に血が上った。
「じゃ、これならどうだ?」
私は見た目がほぼ同じ盾を、もう一度作製した。
今度は物理的な性能向上だけでなく、魔法障壁や精霊の祝福に加えて攻撃を反射する呪いの力と、カタツムリ由来の魔法無効化結界まで、全部乗せしておいた。最早物理攻撃に対する盾というよりも、敵対する攻撃力を無効化する最強の防御結界そのものである。
「よし、セルカ。私がもう一度斬り飛ばしてやる。しっかり持っていろよ」
嫌がるセルカに新しい盾を押し付けて、プリスカが剣を構える。盾を構えるセルカの顔が、みるみる青ざめていた。
プリスカが剣を一閃すると、キンと音を立てて剣が二つに折れた。
「えっ?」
自分の手に残る折れた剣を見てプリスカの顔も青ざめ、がっくりと膝をつく。
「まさか、姫様に戴いた剣が折れるとは。私はもうダメです……」
セルカもぐったりとして、力なく膝をつく。私は慌ててその手から、盾を引きはがした。
そうだ。この盾には二人の魔剣に追加してある魔導石のような、予備の魔力供給源がない。装備者の魔力を強制的にごっそりと持って行く、鬼畜仕様になっているのだった。
「あ、ゴメン。私以外には使えない盾だわ、これ」
私たちを誘うように開いている門の前で、二人の従者が早くも崩れ落ちている。
「セルカが回復するまで休もうか」
「姫様、私に新しい剣を……」
「はいはい」
プリスカの精神状態も、回復まで少々時間がかかりそうだ。それにしても、あの謎金属の剣が折れるのは初めて見たな。プリスカの心も折れるわけだ。
まあ、今更急いでもしょうがないかぁ。
私たち三人は不気味な入口の正面で、それぞれ勝手に迷走しているのだった。
それにしても、こんなところでコントをやっている場合でもないんだよなぁ。
結局、私たちは門前の石畳の上で一晩野営することになる。その間に、プリスカの新しい剣も作らされた。前のと同じだよ。たぶん。
「この開いた門の奥から、その嫌な気配が漂っているというのか?」
「違いますよ。この大きな建物自体が、禍々しい気配を持っているのです」
「姫様は、本当にこれを感じないのですか?」
「うん。どちらかと言えば建物全体よりも、この門の中がヤバそうに思うけど」
やはり、二人の感覚は私とはちょっとズレているようだ。
「で、時間稼ぎに二人でつまらないお遊戯をしていたのか?」
「違います。この建物の近くにいるだけで、嫌な気分になるのですから」
「姫様の感覚は、一般人からズレ過ぎです!」
私が二人に言いたいことを、先に言われてしまった。
翌朝、ついに門の中へ足を踏み入れる。
緊張で食欲が無いと言いながら、二人の従者は私の作った朝食をバクバク食べていた。やはり私は、二人にからかわれているのだろうか?
薄暗い建物の中に、照明は無い。
迷宮慣れしている先頭のプリスカが、ライトボールを前方に浮かべて周囲を照らした。火属性魔法の応用で、圧縮された高温の熱源が空中で青白い光を放っている。小型ドローンのような使い勝手で、遠隔操作が可能らしい。でも、カメラは搭載されていないぞ。
私がうっかり光魔法など使うと閃光で同行者の目を焼く恐れがあるので、これは助かる。
広い建物内には何もなく、ただ石の床が続いている。
例によって、その広さがおかしい。
「はぁ。これはちょっと、建物内の広さではありませんねぇ」
ライトボールの光が届かぬ先を見て、プリスカがため息を漏らす。
やはりそうか。と思う間もなく、入って来た門が後方で閉じた。というか、門自体が消滅した。
「どうあっても、この先へ行かせたいらしい」
「もう諦めました」
「行くしかないですね」
思えば長い旅だった。ここからが本番、なのか?
「これって、砂漠を延々と歩いたり湖の上を船で進んだりするのと、結局何も変わっていない気がするんですけど……」
何も言わずに小一時間暗闇の中を歩いたところで、ついに先頭のプリスカがそう言った。
「まさか、こんなのがまた何日も何週間も続いたりしないですよね?」
セルカの不安は十分に理解できる。
「ヤメロ。どう考えても、そうなりそうな予感しかしないだろ」
ここまで、私たちでなければ何十回も死んでいるような過酷な旅であった。
「もう嫌です。速くおうちに帰りたい……」
セルカは泣いているのだろうか。
「セルカ。お前の言うおうちとは海辺の故郷ではなく、王都の魔王城の事か?」
プリスカが呆れたように問う。
「だって、私の帰る家はあそこしかないのですから」
「うう、不憫な子だ……」
「いや、プリちゃんも同じだろ。私には谷間の故郷があるけど」
それにしても、私の屋敷を魔王城呼ばわりは酷いぞ。魔王城とは、例えば今私たちがいるここのような場所ではなかろうか?
おお。それならば、ここはセルカのおうちも同然。既にセルカは自宅へ帰ったようなものではないか、安心せよ。……とは言えないよなぁ。
「プリスカ、ライトボールの魔力が尽きかけているのか?」
青白かった光が、いつの間にか薄赤く変化している。光の届く範囲も、狭くなった印象だ。
「いいえ。この程度の魔法なら、何時間でも持続できますが」
「まさか先生、魔力が阻害されているのでは!」
セルカが不安そうに叫んだ。
こんな場所で魔法が阻害されたら一大事だ。
「いや、違う。これは私たちを覆う闇が濃くなっているんだ……」
プリスカの声は、絶望的に歪んで消える。
「確かに、周囲の空気が重くなったような気がするな」
外の赤い湖水が闇に染み入って来るような閉塞感を覚えて、私は深呼吸をした。
それでも、私たちは歩みを止めることはできない。
「この大陸は、どうなってしまったのだ?」
何度も重ねた根本的な問いが、プリスカの口から漏れる。
やがてその答えを表すような、一つの変化が現れた。
それは、前方の暗闇に立つ一体の彫像であった。光に照らされて、赤く、黒く輝く。
幻のように現れたそれは、足を前後に開き、槍を構えた兵士の姿である。
「これは、赤い闇の塊のような」
恐る恐る手で触れたプリスカが、そう表現した。私も続いて手を延ばす。
「確かにここにあるのだが、手触りがおかしい」
それはプリスカの言う通り、まるで気体を無理やり型に押し込めて圧縮したような、存在感が不安定で不思議な手触りである。
「あっちにもあります」
自分のライトボールを発現させたセルカが、前方に別の彫像を発見した。
それは全力で走っている大型犬である。しかも獲物を追うのではなく、何かから逃げるように尾も耳も垂れ、恐怖に歪んだ口の横から舌が飛び出している。
その先には子を抱え跪く母がいて、立ち上がろうとする脚の折れた馬がいて、枯草の中で横たわる子羊がいた。
剣を構えた鎧の騎士や、杖を持った魔導士と祈りを捧げる僧侶がいる。誰もが同じで、ある一方向にある何かを見て、感じて、怯え、怒り、或いはそれから逃げ、或いは拳を振り上げていた。
彫像は、どれも赤黒い。
これはきっと、千年前にこの大陸で起きた出来事なのだろう。私は自然とそう思った。だが、一つ腑に落ちない点がある。
彫像には、獣人やドワーフがいない。長耳エルフも見つからない。微妙に姿を変えるエルフはともかく、この大陸には獣人やドワーフは住んでいなかったのだろうか?
ぽつぽつと立ち並んでいた彫像の群れが一時途切れたが、その先の闇にも新たな彫像の影が赤く滲んでいる。なんだかそれは、魔物の群れのようにも見えた。
「姫様、背中の方から妙な気配が……」
前方に気を取られていた私は、繊細なセルカが怯えながら振り返るので我に返る。プリスカと私も、セルカに倣って振り返る。
私たちがその横を通り過ぎた彫像たちが、後方の闇に溶けている。これは、光が届かず視認できないという比喩表現ではない。セルカが移動させた光源にくっきりと、闇に呑まれ消える赤い彫像が見えていた。同時に、私たちの脳裏に鮮烈なイメージが流れ込み、猛烈な勢いで通り過ぎて行く。
「こ、これは……」
それ以上の言葉が出なかった。
私たちは立ち尽くしたまま、その波に飲み込まれる。
これは、この大陸の奥地に生まれた最初の一撃。栄える人間の村落や街を襲った、最初の悲劇。人も獣も、何が起きているのかを知らぬまま一掃された。その怒りと悲しみと絶望の残り香が、ここで静かに眠っていた。
イメージの暴風雨が通り過ぎた後、私たちにはもう赤い彫像が見えない。だがもう一度振り向けば、その先には新たな彫像の赤い影が見えた。
行かねばなるまい。
私たちは無言で、再び歩き始める。
次に現れた赤い彫像群は、やはり魔物たちだった。どこかの迷宮か、魔物の森にいたのか。大小様々な魔物が右往左往する姿が現れては消える。
そして最後には巨大な魔獣が数体、重なり合うように倒れていて、再び赤い彫像は途切れた。
私たちは魔獣の暴れるイメージから逃れるように、決して振り向かず足早にその場を離れた。
中編に続く




