【39】
「非常によろしくない」
そう言ったのはローレンツだ。シグリも苦笑して、「よろしくありませんねぇ」と同意した。どこかのんびりしている上官二人に、下士官たちは不安げだ。
「で、どうすんだよ。お前たちのことだから、何の策もないってことはないと思うけど」
アルベルトが言った。もう一人の将軍と交代して戻ってきたのだが、全然全く東帝国が引いてくれないのである。
「東帝国の幕僚は何をしているのでしょうか。指揮官を説得できないのでしょうか」
「お前くらいの能力がなければ無理なのではないか?」
シグリが本気で不思議そうに言うので、ローレンツは笑ってそう答えた。
「単純に、指揮官が無能なのかもしれませんが」
「おお……」
さすがのローレンツも、シグリから飛び出した容赦ない言葉に引いてしまった。無能だと、ローレンツは切り捨てられるのだ。この優秀な幕僚に。
すでに膠着状態が続いて二週間以上が経過している。今は冬に入ろうとしている時期で、やや南方にあるフリューアであるが、それでも寒さが堪えてくる時期だ。シグリならすでに撤退を進言している。これ以上戦っても消耗するだけで、何にもならない。
ならば、誰かが撤退するな、と指示を出していると考えるのが妥当だ。マティアスがうまく経済封鎖を行っているので、東帝国も動きづらいだろう。シグリは、こちらの武器などが東帝国に流出しているのだろうと考えていた。その流出を押さえられれば、ある程度東帝国の動きを押さえられる。
「その制限下で奇想天外な策を弄する輩がいるかもしれんぞ」
「完全にないとは否定できませんが、可能性は低いでしょう」
バッサリ斬られて心が折れそうになるローレンツの肩を、アルベルトが叩いた。さっきからいたのだが、口をはさんでいいのか迷っていたイルムヒルデも、ついに口を開く。
「あの、結局どうしましょうか。兵法書に習うなら、こちらから仕掛けるんでしょうけど……」
もともと一国家であっただけあり、ライヒシュタイン辺境伯家にはそう言った書物も多く残っていた。関係ありそうなものは一通り読んだので、イルムヒルデも大体のことは頭に入っているが、聞いてみるだけで本職に任せるつもりである。
「長引けば長引くほど、不利になるのはあちらなのですが。理解できないようなので作戦変更も致し方ありませんね」
以下、シグリが提案した作戦は、もう一度将軍や幕僚たちに精査され、実行されることになった。幕僚長と参謀を兼ねているというのは本当だったらしい。時代によっては、この二つは同じ意味をさすこともあるのだが、現在のハルシュタットでは分けられていた。
領主としてイルムヒルデもいくらか準備を手伝ったが、一日もかからずに準備が終わったので驚いた。曰く、スピードが大事なのだそうだ。
第二師団がまず、野営地に側面から奇襲をかける。そのまま、東帝国軍を二つに分断。後方を囲いこみ、押さえる。もう一方はこの屋敷まで攻め込ませる。周囲の農作地が気になるところだが、冬には耕作を行っておらず、領主であるイルムヒルデも許可を出した。荒れるのは必至だが、そのあたりは軍の皆様にならしていただこう。
問題は、うまく分断できるかだ。シグリによると、理論上はできる、とのことだが、こちらは人数が少ない。いや、兵は追加されているが、まだ東帝国側の方が数が多いらしい。
シグリはおおむね正統派な戦術家であるらしい。本人曰く本職ではないので、それは当然の帰結なのかもしれない。奇策を弄するには才能がいる。
シグリは、第二師団に大きな戦力を割いた。屋敷に残っているのは八千だ。一個師団にもならない。
フリューアが帝国に組み込まれて百年近く。すでにみんな忘れているだろうが、フリューアはずっと、小国ながら独立を守ってきた都市国家。ほとんどが外交交渉で安定を保っていたのだろうが、攻め込まれることもあっただろう。
だが、多少の出来事の忖度や脚色はあるだろうが、フリューアが陥落したという記録はない。歴史だけ見るのなら、ライヒシュタイン辺境伯家は、長く続く家系なのだ。その長い時の中で生み出された魔法が、イルムヒルデの体の中にある。これは、彼女の先祖がフリューアを護るために生み出したもの。最後の防衛機能なのだ。魔法に関してはただの副産物に過ぎない。
とはいえ、さすがのシグリも使ったこともない防衛機能を使用してみようなどとは言わなかった。本当の本当に、最終手段だ。イルムヒルデが調べた限りでは、この魔法陣を引き継いでいるかが問題なのであって、それ以上でも以下でもない。イルムヒルデがここにいるだけで、フリューアの防衛機能は機能しているということだ。
不確定要素の多いものは省く傾向のあるシグリは、数の少ないところにおびき寄せて、一気に爆破する方法を選んだ。ちなみに、ローレンツは出撃している。学院でイルムヒルデたちを襲ってきた剣士に対処するためだ。最高指揮官であるが、迎撃要員でもある。ローレンツとアルベルトがいれば、まず死ぬことはない。
「近づいてきたな」
シグリがアイスグリーンの目を細めて言った。シグリが指揮所として使っている部屋には窓があるが、たぶん、そこから覗いているわけではないだろう。千里眼で見透かしているのだ。戦場はもう少し先である。
イルムヒルデはそう思っているが、シグリの千里眼はせいぜい二キロ先までしか機能しない。千里眼としては力が弱い方だ。何が言いたいかというと、ローレンツたちの姿は、彼女の千里眼では見えない場所にいる。シグリが判じたのは、伝令からそう報告があったからだ。テレパシーで届いたので、イルムヒルデには聞こえていないが。
「……奥に行かなくていいんですか」
シグリが強いことは知っているが、せいぜい一般軍人程度だということは、イルムヒルデも理解していた。普通に考えればすごいことではあるが、殺し屋などに対応できるわけではない。下がったほうがいいと思ったのだが。
「いい。退路がなくなってしまう」
「はあ……」
そのあたりは、まだイルムヒルデには難しい。そう言うと、シグリは「官僚がやることではないな」と苦笑を浮かべた。確かに、これは軍師の仕事である。
イルムヒルデはシグリから離れないように言われているので、彼女が下がらないのならイルムヒルデもまたここにいるしかない。怖い、と言ったらどうなるだろうか。言わないが。
わかっている。イルムヒルデとシグリは生き残ることが仕事なのだから、シグリが大丈夫というのなら大丈夫なのだ。シグリ自身も、イルムヒルデに事情を説明せずここに残すのは可愛そうかな、と思わないでもなかったが、自分から離れるほうが危険だと認識していた。
前線の部隊から水路が爆破されたとシグリに報告がある。報告は、逐次シグリの元へ届いていた。戦況は刻々と変化する。水路を爆破されては、農業用水も飲み水も確保できない。井戸もあるが、それだけでは賄いきれまい。
それくらいなら想定の範囲内である。シグリは作戦通り、あふれた水をそのまま東帝国軍の方へ流させ、自軍には距離をとらせて遠距離攻撃をさせる。これで、おとり部隊とは分断できたわけであるが、彼らが孤立してしまったのもまた事実である。
ふと、シグリはイルムヒルデの手をつかんだ。強く引っ張る。「わっ」と声を上げてイルムヒルデがつんのめる。つんのめったイルムヒルデは、シグリに突っ込んだ。先ほどまでイルムヒルデとシグリがいた空間が薙ぎ払われた。
「!?」
命の危機を感じて、イルムヒルデはシグリにしがみついた。見たことがある、仮面をつけた男。学院で襲ってきたのと同じ男である。
「シ、シグリ様」
「大丈夫。想定の範囲内だ」
もはや、何が起こっても想定の範囲内のような気がした。
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