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【37】












 イルムヒルデは約五年ぶりに自分が生まれ育ったライヒシュタイン辺境伯家の本邸を見た。最低限の手入れはされていたようで、四年以上誰も住んでいなかったにしては荒れていなかった。そこが今、緊急戦闘指揮所になっていた。

「来たか。ご苦労だな」

「お疲れ様です、閣下。一応領内を見回ってきましたが、一度戦闘がありましたか」

「ああ。小規模だが、攻め込まれたのでな」

 一応叩き潰したつもりだが、とローレンツ。イルムヒルデはシグリにしがみついたままあたりを見渡す。調度品はそのまま残っているが、美術品は撤去されていた。爵位を継いだ時に目録を確認したが、売り払われた形成はなかったので、フリューアがローレンツの管理下にあったことが大きいのだろう。つまり、美術品は一時的に片付けられているのだ。今、戦闘指揮所だから。


「あの……領民は……?」


 恐る恐るなんとか口をはさむと、ローレンツがこともなげに言う。


「全員避難させた。と、思う。確約はできないが」

「そうですか……」


 全員避難が難しいのは仕方がない。国境にある領地だ。領民も、攻め込まれたときの対処法はわかっている。と、父が言っていた気がする。

「さて。シグリが来たところで軍議に入ろう。地形図をこちらに」

 ローレンツの一声で、その場が軍議場に代わる。イルムヒルデは場違い感を覚えたが、一応領主である彼女がいないわけにはいかないのでシグリの隣から地形図を覗き込む。自分の領地であるが、地形図を初めて見た。

「まあ、五年前にも戦っている。おおよそは把握しているが」

「それは向こうも同じことでしょう。一応、地の利はこちらにありますが、シュトランツ公爵が支援しているのであれば、割と近くに拠点を構えているとみるべきでしょう」

 幕僚長は参謀も兼ねているのだったか。

「物資はすべて城内にありますか?」

「いや、外に義倉があるな。初秋のころから動きが怪しかったからな。できるだけ義倉に食料は入れてくれるなと触れは出していたんだが」

 一応、新しい領主の名で出した。イルムヒルデも許可を求められたので覚えている。それでも、習慣で義倉に小麦などを納めた者はいただろう。辺境伯家が把握しているところはともかく、それ以外の小規模の集落の義倉などは把握しづらい。


「秋の収穫が終わったばかりですし、そこから兵站を補給できるでしょう。想定より多くの兵力を連れているかもしれませんね。斥候は?」

「戻ってきている。野営地はここだ」


 地形図の廃村のあるあたりを指さす。水も確保できるので、野営には向いているだろう。

「こちらは師団が二つで兵員が約三万。向こうが三個師団で五万弱。かなりの規模ですが、勝つことが目的ではないでしょう。こちらも、勝つことが目的ではありませんので、何とかなるでしょう。戦力比が一対二ですが」

「大変だな、参謀。如何する」

 半笑いでローレンツが言った。笑っている場合ではないのだが、誰も指摘せず、シグリも華麗に受け流した。

「短期決戦としましょう。マティアス殿下の予想が正しければ、東帝国はシュトランツ宰相の意を受けて動いています。宰相とて、フリューアが占拠されるのは不本意でしょう。閣下の戦力を削ごうともくろんでいると考えるのが最も自然です」

「……そのためだけに、国一つ動かすか?」

「人によるのではありませんか。閣下はハルシュタットの軍事力のほぼすべてを掌握しておりますから」

 というより、宰相はローレンツとシグリを引き離したいのだろう。イルムヒルデは思ったが、言わなかった。


「逆に考えれば、閣下の能力をそれだけ評価している、ということでしょう。我々の活動限界は一か月半と言ったところです。それまでに、東帝国には撤収していただきましょう」


 きっぱりと言い切ったシグリに、できるのか? と思いつつ、だれも否を唱えないところを見ると、できるのだろうな、と思った。ローレンツの指揮能力と、シグリの処理能力があればおおよそのことは解決できるだろう。

 軍議中、イルムヒルデも何度か許可を求められたが、よくわからないことの方が多かった。そのたびにシグリが説明してくれるので、進行を止めてしまって申し訳なかった。

「髪、切ってしまったんだな」

「ええ。切るしかありませんでしたし」

 うなじでくくられたシグリの淡い色の髪にローレンツが触れる。腰元まであった髪は、胸元にかかるくらいまでの長さになっていた。本人の申告通り、癖毛が跳ねているが、よく手入れされているのだろう。爆発しているというほどではない。


 あまり気にしていなさそうなシグリに対し、ローレンツは残念そうだ。シグリの髪をいじるその手が優しく見えて、関係ないのにイルムヒルデは恥ずかしくて目をそらした。触られているシグリはけろりとしたものだ。

「髪なんてすぐに伸びます」

「それはそうだが……無茶をしたと聞いている」

「あの状況でそろえられる、最善の戦力を提供したまででございますよ。能力的には相性が良かったはずなのですが、私の処理能力を超えてきましたね」

 冷静に考えても、あれは異常だった。反射速度が速すぎた。あれに対抗できる人間となると、限られてくる。アルベルトか、最悪ローレンツをぶつけるしかない。


 だがそれはシグリの戦略がうまくいかなかった場合の話だ。正直、自分でもやりすぎだと思うが、マティアスにも簡単に作戦を話してきた。職域を侵している気がする……。

「……わかっているが、くれぐれも無茶はしてくれるなよ」

「善処いたします」

 からりと笑ってシグリは言ったが、ローレンツはこれは聞かないやつだな、とため息をつく。シグリにはこういうところがある。そして、彼女が聞かないときはたいていそれが最適解なのだ。


「イルムヒルデ」


 シグリに手招かれて、イルムヒルデは頬から手を放し、駆け寄った。シグリが首をかしげる。

「どうかしたか?」

「あ、いえ」

 頬が赤いことだろうか。単純にシグリとローレンツのやり取りに充てられただけである。

「辺境伯の嬢ちゃん、気にしてたら身が持たんぞ」

 軍人の一人に忠告され、イルムヒルデはびくっとしたが、同時に納得した。これが通常営業なのだな。シグリが「何を言うんだ」と苦笑しているが、シグリは自覚がないのだろうか。ローレンツは確信犯のような気がする。

「イルムヒルデ、ライヒシュタイン辺境伯家の成り立ちが分かるようなものはあるか?」

「あ、ええ。もちろんです」

 もともと一つの国だったのだ。そう言った歴史書のようなものは存在する。イルムヒルデがうなずくと、シグリは言った。

「では、秘宝について、わかるだけ調べておいてくれないか」

「わかりました」

 戦争では役に立たないので、イルムヒルデはうなずいた。ほかに役に立てるところがあるのならうれしい。それに、この地に来た以上、調べないわけにはいかないと思っていたことだ。辺境伯位を継いだものの、イルムヒルデにはわからないことが多すぎる。


「シグリ様は、これが戦争の役に立つとお考えですか」


 ふと尋ねた。シグリはローレンツの部下だ。彼への報告義務があるが、秘宝について話していない様子だった。何か考えがあるのかもしれないと思ったのだ。返答如何によっては、イルムヒルデも話さないでおこうと思っていた。

「不確定要素があると調べたくなる質なんだ。それに」

 シグリは微笑んで言った。

「私たちの仕事は戦うことではない。戦が起こる前に解決することだ」

 どうしよう。とても格好良かった。











ここまでお読みいただき、ありがとうございます。


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