【36】
さて、ややこしいことになった、と思ったのはシグリである。彼女に帰還命令が出ていた。冬に入りかけたこの時期。彼女が学院に派遣されてから三か月ほどしかたっていない。そんな短い派遣があるか、と思うが、実際に召喚状が届いたのだから仕方がない。
警戒地域がフリューアなので当然と言えば当然なのだが、イルムヒルデも一緒に帝都に帰還することになった。さらにマティアスも一緒ということは、護衛のハーラルトとフィリベルトも一緒だ。ハイルヴィヒとアレクシア、エーリックがうらやましそうに見送ってくれた。
「あの……これ、五年前のことと関係があるんでしょうか」
馬車で移動中、イルムヒルデが向かい側に座ったシグリに尋ねた。
「裏で糸を引いているのは同じ人物かもしれない。それを今から確かめに行く」
いつもより事務的な口調だった。仕事をしているときの彼女はこんな感じなのだろう。
「具体的に、誰?」
マティアスが恐れずに尋ねると、シグリも怒っているわけではないのであっさりと答えた。
「おそらく、宰相シュトランツ公爵」
「ああ……イルムヒルデの嫌がらせの首謀者もシュトランツ公爵令嬢だった」
そちらは放置しているが、そうなればなんとなく理由もわかろうというものである。ただ本当に気に食わなかった、というのもあるだろうが。
「五年前、当時外務省に所属していた私の上司が公爵でした」
「つまり、幕僚長を戦場に行かせたのが彼なんだ」
「そういうことでございますね」
前回も今回も裏で糸を引いているのがシュトランツ公爵だとして。イルムヒルデとしては公爵の顔はさすがにわかるが、自分に嫌がらせをしているという娘の方は記憶になかった。たぶん、顔は見たことがあるだろうが、顔と名前が一致していない。
「……では、宰相はシグリ様を私の両親殺害の犯人にしたかったのですね」
イルムヒルデの言葉に、シグリとマティアスは虚を突かれたような表情になった。変なことを言ってしまっただろうか、とイルムヒルデは不安になる。
「いや、なるほどと思って……幕僚長を犯人役として派遣したのか」
「そこまで恨みを買っていた記憶はないのですが。今ならわかりませんけど」
二十一歳シグリ女史はいたって普通の官僚だったので、そうそう恨みを買っていたとは思えない。いや、オスカーの母からは恨みを買っていたかもしれないが、追い払えてせいせいしていただろう。いや、それはともかく。
「犯人役にしては、私は頼りなかったでしょうね……」
だが、まあ、事件を迷宮入りさせないのなら犯人は必要だろう……。まあ、その代理犯人は思いのほか現地に来ていた皇帝の甥に気に入られてしまって、黒幕にとっては計算外だっただろう。
「……あれ? シグリ様、狙われてません? 大丈夫ですか?」
「私にはローレンツ様の後ろ盾があるし、戦力的にも問題ないから心配はない」
むしろ自分の心配をしておけ、とシグリ。イルムヒルデは素直にうなずいた。まだヒヨコのイルムヒルデは、自分のことをまず心配しなければならない。
シグリも、イルムヒルデに言われて自分が犯人役だったのだろうと気づいたが、口封じされるだろうとは思っていなかった。宰相にとって、シグリはそれほどの価値はない。幕僚長という立場を除けば、彼女はただの侯爵令嬢に過ぎないのだ。今はライヒシュタイン辺境伯を継いだイルムヒルデの方が目障りだろう。
……なぜ?
宮殿に到着し、シグリはまず元帥府に駆け込んだ。マティアスは政庁に向かい、どちらについて行けばいいのか迷ったイルムヒルデは、フィリベルトに手を引かれてマティアスに同行することになった。
「シグリ様!」
「幕僚長! お戻りで!」
留守を任されていた軍吏たちが声を上げる。心なしか、将兵たちもうれしそうな顔をしている。ざっと顔ぶれを見渡し、シグリは言った。
「ただいま。すぐに状況を報告してくれ。元帥はアルベルトの隊を率いてすでにフリューアへ発ったか」
「はい。つい昨日、出発いたしました。一応、電報は送ったのですが」
「受け取る前に私が出てきたのだろうな。では、後発には第二師団を当ててくれ」
「了解しました」
てきぱきと軍吏たちが手配を進める。ローレンツがある程度差配してくれて行ったようだ。シグリが来てからは頼りきりだが、もともとは彼自身が差配していたのだから、できて当然であるが。
「カウニッツ幕僚長」
尋ねてきたのはマティアスだった。イルムヒルデも一緒である。フィリベルトとハーラルトが一緒なのはいつものことである。
「マティアス殿下。そちらはいかがでしたか」
「うん。よくないね」
シグリは広げていた資料をまとめ、机に押しやる。その間にイルムヒルデがお茶を入れていた。シグリの屋敷にいる間に鍛えられたので、慣れたものである。
「東帝国が攻めてこようとしている。ここ最近は落ち着いていたのだけど、どうやら内通者もいるみたいだね」
「戦争を含む外部交渉では常套手段でしょう。しかし、この半端な時期に」
普通、冬に足を踏み入れたこの時期に戦争はしない。場合にもよるが、戦争は春から秋に行われることが多かった。昔は農民が戦闘員を兼ねていたので、作付けと収穫の時期を避けていたそうだが、今は軍人は専門職。作付けも収穫も関係なく、冬に戦争が少ないのは、単純に雪が深くなるからだ。寒いとそれだけで人の動きは鈍くなる。また、秋の収穫を終えたばかりで食べるにも困らないはずだから、食料を奪う必要もないはずだ。
「今年のフリューアや東帝国の収穫高や気候を確認しましたが、特に変事があった様子はありません。ですから、誰かにそそのかされた、のでしょうか」
確定情報ではないので確かなことを言えないが、その可能性は高い。しかも、そそのかしたのはハルシュタット側の人間の可能性が高かった。
「こちらも、宰相の動向を確認してきた。表立っては特に動きはない。ただ、最近、アイクラー元公爵と接触した形跡がある」
イルムヒルデはうかがうようにマティアスをシグリを見た。この二人は何というか、合理的な人だ。親と子は別の人間であるし、家族の犯した罪によってその家族が非難されるいわれはないと言う人たちだ。優しいというよりは、合理性が過ぎていると言った方がいい気がする。
「イルムヒルデを曲がりなりにも養育していたアイクラー元公爵なら、フリューアの情報もある程度持っているでしょう。通常、領地の情報は領主にしかわかりません。フリューアはこの四年、ローレンツ様が代理統治していましたから、情報があるとしたら大公邸ですが」
それを、シグリは引っ張り出してきていた。ローレンツは出征中であるが、かの大公邸の使用人たちは、彼女を笑顔で出迎えてくれた。この信頼は何なのだろう、と思う。先ほどの『変事なし』はそれに基づく発言だ。
「現地からの情報が欲しいですね。まだ到着していないでしょうが」
「……そもそも、なんでこちらの人間が戦争を起こす必要があるんでしょうか」
ふと疑問に思ってイルムヒルデは尋ねた。これが正解とは限らないが、限りなく正解に近いのではないか。イルムヒルデもそう思う。
「戦場になるのはフリューアですよね。なら、今はこちらの領地です。自分の国の領地を荒らすようなこと、わざわざしますか?」
「ハルシュタット帝国の領地ではあるが、シュトランツ公爵家の領地ではない」
きっぱりとシグリが言いきった。
「戦争など、結局は自分たちとかかわりなどない、遠くで起きている事象だ、という思いがあるのだろうな。帝国は広い。東の端で起きていることなど、帝都にいる人間にとっては些末なことに過ぎない」
「そんな……」
それで両親を亡くしたイルムヒルデは青ざめる。フィリベルトが咎めるようにシグリをにらみ、彼女はにこりともせずにため息をついた。
「戦争になれば巨額の金が動く。戦争商人にとってはかき入れ時ということだが、基本的に、経済疲弊の方が大きい。三十年前の大戦では、経済規模が戦争発生前の三割に落ち込み、人口は三割減少したそうだ」
「……」
多分、幕僚長として必要な知識だったのだろうが、ちょっと引いてしまった。
「それらを提示して人を動かすことができる。さらに、宰相には被害を受けない自信があるんだ……」
マティアスも落ち着いて言った。
「……それどころか、自分で戦争を始めて、自分で収めて見せれば、宰相の評価は高まる。シュトランツ公爵は自分が表に出ようというよりは、黒幕でいようという人だけど、裏から手をまわして戦争を収めたのが自分だ、という評価を得たいのかもしれない」
「ありえますね。では、そちらの証拠をつかむのが急務です。軍吏であるわたくしが手を出すことはできませんので、殿下、よろしくお願いいたします」
「わかった。代わりに、イルムヒルデを任せてもいい? フリューアへ行くんだろう?」
「ええ。構いません。イルムヒルデは覚悟はいいか?」
「は、はい」
イルムヒルデはどきどきしながらうなずく。彼女がライヒシュタイン辺境伯で、その領地が戦場になりそうな以上、彼女が行かないわけにはいかない。
だが、シグリがいるなら大丈夫かなという気もするが、幕僚長バージョンの彼女は合理的すぎるので、ちょっと不安にもなるイルムヒルデだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
そういえば、もうすぐ完結なのです。




