【35】
アルベルトたちが撤収するころには、シグリの包帯も取れていた。その間三日。早すぎる、と各方面から突っ込まれた。しかしまあ、魔法治療を受けていればこんなものだと思う。
シグリも、イルムヒルデからライヒシュタイン辺境伯家の秘宝について話を聞いていた。そうなると、イルムヒルデの両親が殺された件についても怪しくなってくる。この件を調べるなら、シグリが動かなければならない。なにしろ、彼女はその現場にいたのだから。
前ライヒシュタイン辺境伯夫妻は、喉をかき切られて死んでいた。シグリは実際の現場を見ていないが、遺体を確認している。何度も言うが、おそらく生きている夫妻に最後に会ったのはシグリであるため、当初は彼女の犯行が疑われた。しかし、新任軍吏としてフリューアに赴く前は、ごく一般的な貴族の女でしかなかったシグリが、一息に人間の首をかき切ることは難しいという結論に至ったのだ。今ならできるが、当時ならできない。
だから、ある程度戦い方を知っている人間が下手人であることはわかっているのだ。あの場は戦場で、最前線に近かったから、殺し屋の類が紛れ込むのは難しくなかっただろう。むしろ、シグリとともに派遣されてきた中に、下手人がいる可能性が高かった。
「だとすると、当時、私の上司だった人物……」
当時の外務省長官、現在の宰相あたりが怪しいと思われた。彼ならば皇帝の甥であるローレンツに気兼ねせずに暗殺者を送り込めただろう。シグリが幕僚長になるまで、ローレンツの軍の管理は穴だらけであったから、そう難しくはないはずだ。宰相である今なら、学校に間諜を送り込むことだって難しくないだろう。学校は基本的に不可侵だが。
オスカーにも話を聞いた。彼が送り込まれてきたのは、シグリと同時期だった。単純に教員の数が足りなかったのだろうが、作為的すぎる。
一応、オスカーは教育省の所属になるそうだ。教育省に所属しているのは三年前からで、わざわざ異動になったわけではないらしい。では、手持ちのカードを切ったということだろうか。だとしたら、運がいいにもほどがある。こういう事態を予測していたのかもしれないが、そのあたりは考えても仕方がないので置いておく。
宰相シュトランツ公爵は皇族の流れをくむ。場合によっては皇帝位を狙える立場にあるが、シグリが視る限りそこまで皇帝という地位に執着しているようには見えない。そうなら、皇帝がとっくに排除しているだろう。うまく隠している可能性もあるが、反射の魔眼を持つマティアスに対していつまでも隠し立てするのは難しいはずだ。
たらればはともかく、理由がわからない。目的が分からなければ、対策を立てにくい。シグリが戦ったあの剣士。少々動きが不自然だった。彼女の処理速度を超える反射速度で応戦してきていた。まあ、そういう人間がいないことはないが。
あの時、あの男はイルムヒルデに魔法を使わせるように仕向けていた。ということは、狙いの一つはイルムヒルデ……シグリも彼女の体に刻まれた魔法陣を見たが、よくできた旧い魔法だ。代々受け継いできた、というのは本当だろう。
「落ち着け、私」
焦ると思考が鈍る。彼は秘宝をどうしたい? 秘宝があるとどうなる? おそらくあれば、ライヒシュタイン辺境伯領がまだ独立国家だったころ、防衛機能の一つとして作り上げたのだろうと思われた。ライヒシュタイン辺境伯家の歴史を紐解いてみたいところだが、現地に行かなければ詳しくはわからないだろう。
単純に考えれば、秘宝を持つイルムヒルデがライヒシュタイン辺境伯領の防衛を握っていることになる。……犯人は、それを知っている?
「ダメだ……わからない」
独り言が出るくらいにはわからない。何が狙いなのだろう。宰相が黒幕だと考え、仮説を立ててみる。
まず、宰相シュトランツ公爵は野心家だが、皇位を狙っているわけではない。何といえばいいのだろう。自分は表に出ず、他人を立てて「これは俺のおかげだ」と言うような人物だ。他人が自分の力でのし上がることに愉悦を覚えるらしい。権力者にその地位につけたのはお前のおかげだ、と言われて喜ぶタイプだ。自分の意に沿わないものは総じて気に食わず、執拗に攻撃して追い落とす。これもその一環なのだろうかと思ったが、どうも違う気がする。
では、自分の評価を高めるための行動なのだろうか。裏から手をまわして、権力を握るのが彼だ。宰相という地位は、ある意味彼にあっている。宰相は皇帝の考えを実行する役だ。……と、ここまで考えて気が付いた。話はそれるが。
「まさかの同族嫌悪か」
使える相手は違うものの、宰相とシグリは同じようなことをしている。主にあたる人物の意を受けて、それを実行レベルまで持って行くのが仕事だ。シグリはかつて、醜聞が原因で戦場へ追いやられたが、それだけが原因ではなかったのかもしれない。
話がそれた。ここではだれにも相談できないのが苦しいところだ。マティアスたちに話をすれば、動いてくれるような気はするが、彼らはあくまでも学生だし、そもそもシグリは管轄が違う。このあたりが面倒だ。
ひとまず、ローレンツに手紙を書いて、フリューアの状況を調べてもらっているが、まだ返事が来ない。
わからないことに頭を悩ませるのではなく、できることからしよう。そう結論付けたシグリは、とりあえず午後の授業の準備に向かった。数日前に魔物の襲撃があろうと、普通に授業は行われるのだ。
一方、先に報告を受け取ったのはイルムヒルデだった。シグリに関しては、ローレンツを経由してくるのでどうしてもタイムラグが生じるのは仕方がない。対して、イルムヒルデは一応フリューアの領主であった。
「東方に動きあり……これ、どうすればいいんでしょう。国に防衛を要請すればいいんですか?」
イルムヒルデが真っ先に飛び込んだのは、マティアスのもとだった。初めての事態で軽くパニックになっているらしい、とマティアスは察した。
「とりあえず、こういう事態には幕僚長の方が慣れているね」
それはそうだ。むしろ彼女は専門家である。イルムヒルデもはっとそれに気づき、「そうでした」と答えた。
「では、シグリ様のところに」
マティアスはもう少しイルムヒルデを落ち着かせた方がいい気がしたが、自分では無理だと高を括る。
「まあ、真っ先に僕を頼ってくれたのはうれしかったよ」
そう言った途端、イルムヒルデがうつむいた。
「すみません。ご迷惑を」
「あ、違う違う」
嫌味じゃないから、とマティアスは焦って弁明する。本当に、単純にうれしかっただけなのだ。
「足りないところは補い合えればいいから。だから、こうして話に来てくれてうれしいってこと」
マティアスの足りない部分を補うために、官僚が欲しかった。無理強いする気はないが、イルムヒルデなら十分可能だと思う。幸い、なついてくれているようだからこのまま行けるとよい。
「……はい」
イルムヒルデも目を細めて微笑んだので、きっと大丈夫だろう。
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