【34】
イルムヒルデはマティアスと向かい合っていた。彼女はまっすぐにマティアスの空色の瞳を見つめた。
「お話したいことがあります」
「うん。なんだろう」
「秘宝についてです」
きっぱりと言い切ったイルムヒルデに、ハーラルトがぎょっとした顔になる。フィリベルトは思わず彼の足を蹴った。
「痛ぇ」
イルムヒルデがびくっとした。フィリベルトが「気にするな」と手を振る。ハイルヴィヒも手を叩いて「気にしない」と言った。
「秘宝というのは、今噂になっている君の家の秘宝のことかな」
「そうです」
これを秘宝というのかはわからない。しかし、受け継がれてきたものではある。
「見ていただいた方が早いと思います」
イルムヒルデは袖をめくり上げると、その腕を掲げた。腕に紋様のような文字が浮かび上がる。
「ライヒシュタイン辺境伯家の秘宝と聞いて、私が思い浮かべたのはこれです」
青く輝くその紋様は魔法陣を文字として記録したものだ。これが、イルムヒルデの全身に至っている。彼女は全身が魔術書のようなものなのだ。ライヒシュタイン辺境伯領フリューアがまだ独立した都市国家であったころ、小さな国土を護るために国主が開発した定着型魔法陣なのである。これを、ライヒシュタイン辺境伯家は代々受け継いできた。
「つまり、私はノーモーションで魔法を繰り出すことができるんです」
「ああ……それで昨日の魔法援護」
アレクシアが納得したようにうなずいた。確かに、イルムヒルデの攻撃魔法は驚くほど正確で、しかもタイムラグがなかった。事前に魔法陣をこのような形で用意していたのなら納得である。
イルムヒルデの前にこの魔法陣を保有していた彼女の父は、六年前に亡くなっている。当時イルムヒルデは十二歳。この、秘宝と言われている存在のことは知っていたし、一部を引き継いでいた。父が死ぬと自動的に次の当主に引き継がれるようにもなっていて、自分に魔法陣が引き継がれたことで、イルムヒルデは父が亡くなったことを知ったのだ。
「これはライヒシュタイン辺境伯家の血を継ぐ者にしか定着しません。誰にでもではありませんが、大概の魔法は使えます」
「……それが、秘宝」
「……私が知る限りでは、他に該当するものはありません」
両親と死別した時、イルムヒルデはまだ十二歳だったので、すべてを知っているとは思わない。しかし、この魔法陣だけは話に聞いていた。なので、よほど大事だったのだと思う。
話を聞いたハイルヴィヒが、「見せてください」というので、イルムヒルデは素直に腕を差し出した。その腕をとってハイルヴィヒが見分する。
「普段はないですわよね、この紋様」
「魔力を通したときだけ浮かび上がります」
つまり、イルムヒルデが魔法を使っているとき、体のどこかに浮かび上がっているのだ。この紋様は顔にまで達しているが、そこまでの大魔法を使ったことがないので、誰も知らないだろう。イルムヒルデ自身もどうなるかわからない。魔力は足りると思うけど。
一方、イルムヒルデの腕を試すすがめつしているハイルヴィヒは目を細めた。
「もちろん、刺青なんかではないですものね……どういう仕組みなのかしら……疑似神経を通しているのかしら」
残念ながら、イルムヒルデも詳しいことはわからないのだ。
「それって切っても紋様が切れるわけじゃなんでしょ?」
アレクシアも興味深そうに尋ねた。あいまいなアレクシアの質問に、イルムヒルデは首をかしげる。
「魔法陣を切る、という意味ならそうですね。物理的につながっているわけではありませんから。ただ、腕を切り落とされたこの魔法陣の保有者がいたらしいのですが、その時は魔法陣がつながることはなかったとも聞いています」
さらりと怖いことを言ってのけたイルムヒルデに、五人は沈黙する。気を取り直したマティアスが言った。
「それってつまり、魔方陣がほぼ人体と融合しているってことだよね」
「おそらくは……古い魔法ですし、強力なのは間違いありませんわね。イルの体に影響はないのですわよね?」
「……今のところは……?」
必要最低限しか使ったことがないので何とも言えない。ちゃんと魔術を魔術として組み立てて使用することもできるので、よほどの緊急事態でない限りはそうしている。父も、基礎はおろそかにするなと言っていたし。
「……ちゃんと調べた方がいいんじゃないでしょうか」
「だね……まあ、秘宝のことを知れたのはよかった。ありがとう、イルムヒルデ」
「いえ……」
本当はもっと早くに言ってしまえばよかったのに、マティアスたちはそこを責めない。責めるほどのことではない。マティアスたちも、隠していることくらいある。
「あの、ちょっと疑問が」
と、手を挙げたのはフィリベルトだ。視線で促されたフィリベルトは口を開く。
「結局、ライヒシュタイン辺境伯家の秘宝の噂は、どうとらえればいいんでしょう? 探しているのは確かでしょうけど、イルムヒルデに定着している以上、奪うのは難しいですよね」
それこそ、イルムヒルデごとさらうしかないのではないか。しかも、さらってもイルムヒルデに言うことを聞かせられるとは限らない。
「……噂を聞く限り、噂を流している人たちも、秘宝の正体を知らないのでしょう。噂の発生源の人は、秘宝の正体を知りたいのではないでしょうか。しかもおそらく、かなり確信に迫っている……」
「どうしてそう思うのかな」
マティアスがイルムヒルデに尋ねた。彼女は思慮深げな表情のまま言った。
「昨日の襲撃、マティアス様を狙っているように見せていましたが、どちらかというと、私に魔法を使わせようとしているように見えました」
「つまり、イルムヒルデに魔法を使わせて、秘宝の正体を確かめようとした……?」
フィリベルトが確認のように口にしたが、確信に近い気がする。イルムヒルデの言う通り、噂の主がライヒシュタイン辺境伯家の秘宝について核心に迫りつつあるのなら、確かめるはずだ。イルムヒルデが、秘宝を継いでいるかどうか。
噂を流した張本人は、秘宝についてみんなに教えたいわけではない。だから、わざとあいまいな情報を流した。その人が秘宝のことをどこまで理解しているのかわからないが、ある程度知っているのであれば、今それがどこにあるのか確認しようとするはず。一番持っている可能性が高いのがイルムヒルデだった。試すなら彼女からにするだろう。
「つまり……つまり、どういうことだ……?」
ハーラルトが完全に理解していない。彼以外はなんとなく理解できていそうだ。この微妙な感覚をどう伝えればいいのだろう。
「……つまり、秘宝の噂に関しては、私をおびき出すための罠だった可能性が高いってことです」
極論であるが、イルムヒルデの言うことが一番しっくりくるしわかりやすい。
「じゃあ、俺たちはまんまと踊らされたということか!?」
ハーラルトの大声にイルムヒルデがびくついた。普通に会話はできるくらいにはハーラルトに慣れたようだが、大声にはやはりびくつく。これは男性恐怖症というよりも、彼女の元の性格が問題なのかもしれないが。
一瞬すくんだイルムヒルデであるが、すぐに冷静さを取り戻した。
「それは……どうでしょうか。むしろ、シグリ様や元帥閣下の掌の上、ということも考えられます」
「ああ……ローレンツの掌の上ってことは考えられるかな。正確には、舞台を整えるのは幕僚長だけどね」
マティアスも疑ってかかっているが、そんなことはない。むしろ、シグリは後手に回っていて焦っているほどだ。学校にいると、情報がなかなか手に入らない。
だが、それでも。
何かが近づいてきていることは、わかっていた。
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