【31】
少しさかのぼって、別館の屋根の上。マティアスが察した通り、そこにはシグリがいた。
「さすがシグリ。お見事です」
「そう褒められるものでもないが」
シグリは肩をすくめる。弓矢ではあまりない長距離とはいえ、魔法もあるし、彼女はずるをしているのだ。たぶん軍にいれば一般兵くらいには戦えるが、それだけである。双眼鏡を覗いていたエーリックがシグリを見上げる。
「このままうまく撤退……とはいきませんよね」
「だろうな。もう少しまともな手が打てればよかったんだが」
時間はあったのだが、何分手持ちのカードが少なかった。一応マティアスの耳には入れておいたが、あまり仲良く話しているといろいろと言われるのである。
シグリは目を細めた。彼女のアイスグリーンの瞳が揺らいで見える。彼女のささやかな魔眼、千里眼が使用されているのだ。別館からマティアスたちがいる渡り廊下まで、直線距離で五百メートル以上の距離がある。その距離を正確に狙撃できるのは、この千里眼のおかげだ。シグリの言う『ずる』である。
突然出てきた男がハーラルトと斬りあいになった。シグリはとっさに連続して矢を放つ。ハーラルトを狙った剣の軌道がそれた。
「うまくそれましたね」
「いや、本当は首を狙ったんだが」
「……」
さすがにエーリックも沈黙した。狙撃とはそういうものだが、不意打ちで倒そうとしたことにちょっと引いた。将兵ではないとはいえ、流石は戦場の最前線まで行った女。胎の据わりかたが違う。
一度撃ちそこなってしまえば、場所がばれる。ここから狙撃はできない。場所を変えようとシグリはエーリックの方を見て、彼の頭をつかんで無理やりかがませた。
「わっ!」
エーリックが悲鳴を上げ、妖鳥がシグリが掲げた弓を破壊する。それをとっさに投げ捨て、腰に佩いた剣を引き抜き、妖鳥を斬りつける。翼を切り落とし、エーリックを抱えて屋根から飛び降りる。滑空して降りてきた妖鳥にとどめを刺した。
「エーリック、行こう」
「わかりました」
シグリとエーリックは同時に走り出すが、すぐに距離ができる。肉体派ではないエーリックは、シグリに置いていかれてしまった。背丈はそれほど差がないのだが、体力がものを言った。
一気に駆けたシグリは、ハーラルトと斬りあっていた男の背後から、その剣を巻き上げた。正確には、巻き上げようとした。だが。
「っ!」
自分が串刺しにされるのが『視えて』、シグリはとっさに身を引いてしまった。この男、凄まじい反応速度だ。顔の上半分を仮面で覆っている。視界は狭いはずなのに、ハーラルトと互角に打ち合っていた。
「先生!」
「殿下の側を離れるな。こちらは引き受けた」
魔獣の方は生徒たちである程度なんとかできる。教師も出てきているので、大丈夫だろう。問題はこの男だ。
打ち合う前からわかっていた。シグリではこの男に勝てない。言い訳させてもらうなら、シグリは戦うのは本職ではない。一応、それなりには戦えるが、それだけだ。しかし、ある程度持たせることはできると思っている。シグリは剣を体の後ろに引いて構えた。
突きを繰り出す、と見せかけて手首をひねり、打ち合いになる。真正面からやりあえば絶対に負ける。背の高いシグリは、女性にしては力が強いが、それはアドバンテージにはならないだろう。
シグリの低いところからの攻撃が男の上着を裂いた。本当は腕を狙ったのだが、うまくよけられたのである。そのまま回し蹴りを繰り出すが、よけられた。やはり反射速度が半端ではない。
「え、シグリ先生すごい」
そうつぶやいたのはアレクシアだった。若干押され気味には見えるが、ハーラルトも苦戦した男相手に戦えている。やっと追いついてきたエーリックが「そりゃあそうですよ」とシグリを見てにこにこしながら言った。
「姉さんは帝国軍の上級士官と手合わせをするような人ですから」
しれっと言ったエーリックに視線が集まったが、すぐにそれどころではなくなる。シグリが男の攻撃をもろにくらった。めきっと嫌な音がする。受けきれなかったらしく、右腕で攻撃を食らっていた。吹っ飛びはしなかったが、腕は折れたのではないだろうか。飛びのいて衝撃は緩和したようだが、音的に。
シグリは両手で剣を握った。右腕だけでは剣を保持できなくなってきたのだ。
よけきれなかった。食らうと腕が折れることはわかっていたのに。シグリは自分の千里眼がフル稼働しているのが分かる。これ以上負荷をかけると、脳が焼き切れる。
シグリの魔眼・千里眼はそれほど強い魔眼ではない。一般的によくある魔眼だし、単純に遠くを見晴るかす千里眼だ。しかも、計測したところ、シグリでは最大二キロ半までしか見透かせない。よくある、弱い魔眼だ。
しかし、彼女はそのよくある魔眼を変わった使い方をしている。理論上の話である。シグリが二キロ先のことを『視る』とき、それは現在の二キロ先の状況を見ている。普通に考えると、二キロ先の情報がシグリの目に入るまでに、通常はタイムラグが発生するはずだ。そう、地上から見える太陽や星が、何万年も前のその太陽や星の状態であるように。そう考えると、シグリたち千里眼の持ち主は、時間を超えて遠くの情報を得ていることになる。
そこで彼女は考えた。目の前の状況を千里眼で見れば、そのタイムラグの分、早い情報……つまり、今から起こる先のことがわかるのではないか? 未来が分かるのではないか? それは一秒二秒先の未来だろうが、それでも、先を知れるのではないだろうか。
シグリはその理論を成立させた。つまり彼女は今、千里眼で目の前の男がこの先どう動くかを見ている。そのたった二秒にも満たない先。選択肢が分かれる未来。それをシグリの脳内で『処理』して、一番『近い』未来を導き出し、対応する。ようは後出しなのだ。まぎれもない『ずる』である。だが。
その処理速度を超えてきた。ほとんど対応できなかった。どんな反射神経だ。動きが早すぎて、シグリの処理速度では対応しきれない。両手で放つ突きも、剣で受けられた。折れた右腕が痛い。さすがに倒れて頭を打った。
一番時間を稼げるのがシグリだと思った。事実、そうだったのだろう。しかし、一歩及ばなかった。さすがに殺されると覚悟した。
魔法の連撃が男を襲い、後退した。イルムヒルデが魔法を放ったのだ。要所要所での援護が的確である。シグリは左手をついて蹴り上げる。空ぶったがその足をついて起き上がり、勢いを乗せて突きを放った。距離的に入るわけがないが、代わりに魔法が放たれた。シグリの突きの延長線上が凍り付く。間合いの外ではあったが、男の左腕が凍った。
「伏せろ、シグリ!」
聞きなれた男の声に、シグリは反射的に従った。その場に身をかがめる。その頭上を飛び越え、その声の主は仮面の男に斬りかかった。シグリも立ち上がり、加勢しようとする。だが、劣勢に気づいた仮面の男が撤退を開始する。
「逃がすかよ!」
「待て!!」
追いかけようとした男の服の背中を、シグリがつかんだ。大した力ではなかったが、彼は足を止めた。
「追うな。追わなくていい。目的を見失うな。私は、ダメだ。学内の収拾を図ってくれ」
「え、あ、おい。大丈夫か、お前」
げほっと咳き込んで頽れたシグリを支える彼は、焦ったように尋ねた。イルムヒルデも駆け寄る。
「シグリ様!」
体格の良い男性にびくりとするが、それでもイルムヒルデは駆け寄った。シグリが血を吐く。内臓が傷ついているのだ。ついに、シグリの意識が闇に落ちた。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
シグリは剣術の基礎を知っているだけの軍官僚。千里眼で先読みして攻撃をよけているだけです。
処理できるのは数秒程度なので、物量攻撃や波状攻撃は避けようがないとのこと。




