【32】
翌朝、イルムヒルデは片づけを終えた校庭を歩いていた。片付けたと言っても、邪魔になるがれきなどを撤去しただけで、穴などは残っている。地面がぼこぼこなのは、魔法が乱発された証拠だ。ほとんどが魔獣を撃退した生徒や教師のものだが、いくらかはイルムヒルデの魔法だろう。あそこまで連続して人前で魔法を使ったのは初めてかもしれない。
先日の襲撃を受けて、気になったことがある。しかし、イルムヒルデだけでは判断しがたく、シグリに相談したかった。しかし、そのシグリはまだ目覚めていない。もう半日以上眠ったままだ。
柱の折れた渡り廊下に腰かける。膝に頬杖をついた。たぶん、マティアスに話した方がいいことはわかっている。だが、イルムヒルデの考えが正しいとは限らないし、悩ましいところだ。
「ああ、ここにいた。イル」
駆け寄ってきたのはアレクシアだ。ハイルヴィヒは医療班に駆り出されているし、マティアスが状況確認に乗り出しているのでフィリベルトとハーラルトもどいうこうしている。結果、イルムヒルデを探しに来るのはアレクシアしかいないわけだ。
「アレク……」
「もう、今一人で外に出るとか、危ないよ」
「大丈夫。今襲ってくるようなやつはいませんから」
「そうだけど、そうじゃなくて」
アレクシアがイルムヒルデの腕を引っ張って立たせる。周囲を見渡して、アレクシアが言った。
「しっかし、イルも派手にやったねぇ」
「そ、そうでしょうか……」
見た目の上ではシグリの方が派手だった。あれほど美人な、しかも戦闘職ではない女性が、文字通り身を削って戦っていた。視覚的にはかなりの衝撃だった。
「そうだよ。あたしは武術の覚えがあったんだけどなぁ。手を出す隙が分からなかった」
「私も、シグリ様に当ててしまうかと思って緊張しました」
だが、何もしなければシグリがやられていたので、イルムヒルデの判断は正しかった。結果論だけど。
並んで歩きながらアレクシアは尋ねた。
「何考えてたの?」
「何……というほどのことでもないですが」
イルムヒルデは小首をかしげる。本当に、何、というほどではないのだ。
「とりあえず、朝ごはんを食べに行こう」
そういえば、朝食もまだだった。
朝よりも昼が近い時間、やっとシグリは目を覚ました。たまたま様子を見に来ていたフィリベルトは包帯に覆われた叔母の顔を覗き込んた。
「目が覚めたか、叔母上」
「……フィリ」
シグリは自分の左側が見えていないことに気づき、包帯がまかれているのだな、と思った。鎮痛剤は効いているだろうが、全身が痛い。
「全治二週間だそうだ」
丈夫過ぎないか、とフィリベルトは突っ込む。なぜあれだけ怪我を負ってそれで済むのだ。そう思う甥に対し、シグリは平然としたものだ。むしろ、もう少し戦えたかな、と思っていたりする。
「……事後処理はどうした」
開口一番それか、とフィリベルトは思ったが、反論せずに答えることにする。何しろそれがシグリの仕事なのだから仕方がない。
「マティアス殿下とイルムヒルデが采配してくれた。後で確認してくれ」
「そうか……」
後で礼を言わなければ。救援に駆け付けた帝国軍の先遣隊は、あまり事務系作業の役に立たなかったらしい。まあ、そのあたりはシグリも期待していない。
マティアスとイルムヒルデが采配したのなら、問題はないだろうと思う。マティアスは必要なことをわかっているし、イルムヒルデはそれを聞いて実行に移せるように手配しただろう。マティアスは欲しがっていた官僚を手に入れたわけだ。
フィリベルトに一通りのことを聞いたシグリは、おもむろに起き上がった。手から点滴を抜く。その流れるような動作を眺めていたフィリベルトは、はっとして言った。
「いや、何無造作に起き上がってるんだ。一応重症なんだけど」
「一番重症なのは千里眼を使いすぎたことだ。問題ない」
いつも通りの穏やかな口調と微笑みを浮かべてそう言われ、フィリベルトはため息をついた。母とシグリはあまり似ていない姉妹だと思っていたが、そうでもないのかもしれない。話を聞かないあたりがよく似ている。
起き上がったことで、シグリは、己の髪が短くなっていることに気が付いた。腰元に届くほどの長さがあった淡い色の髪が、胸元ほどになっている。あまり惜しいとは思わないが、癖毛がすごいので少々厄介だ。爆発したように、とまではいかないが、現時点でかなり髪がくるくるうねっている。
「あー……髪はエーリックが切った。不自然な長さでちぎれてたから、整えたんだけど」
半分くらいになってしまった。フィリベルトもシグリの長い髪を見慣れているから不思議な感じだ。髪くらい惜しむ人ではないとわかっているが、だからこそなんとなく申し訳なくなる。いや、だって、長さが不ぞろいだったんだ。
「いや、それはかまわない。髪なんてすぐ伸びる」
思った通り、さほど気にしていなかった。それでも長い髪に慣れていたからか、違和感はあるようだ。
「アルベルトさんが死にそうな顔をしていたが」
正確には、「切るの? 本気で!? ローレンツが怒らないか!」と騒いでいた。その前のシグリが気を失った時点で、「間に合わなかった。締められる!」とおびえていたが。
ちなみに、アルベルト・フォン・バスラーは帝国軍の将軍の一人である。今回、少数を連れて学園に駆け付けたのが彼だ。寸前でシグリを助けるのに間に合っている。
帝国軍に救援を要請したのはシグリだ。事前に行っていたのだが、微妙に間に合わなかった。だから、彼女が時間稼ぎをする羽目になったわけで。
シグリが現場側にいることはほとんどない。いや、あるにはあるが、その時は軍幕僚として出てきているので、こんなに采配に苦労することはない。シグリが元帥府にいれば間に合ったような気がするのと、そもそもそうなれば襲撃に気づかなかったかもしれないという事実の狭間で微妙な気持ちになる。
つまりは今回、シグリだけが現場側にいたことが敗因なのではないかと思う。いや、負けてはいないが。勝ってもいないけど。
「ああ……それは恐らく大丈夫だろう。魔獣は殲滅できたか? 被害状況は?」
わかる範囲でいい、と言われ、フィリベルトは答えた。
「魔獣はおおむね殲滅できたと思う。逃がしたやつもいるかもしれないが、軍がその辺まで来ているので見つけ次第討伐してくれるそうだ。被害……まあ、建物が倒壊するほどの被害はない。地面は穴だらけだが。人的被害は、けが人はいくらかいるが、死者はいない。というか、叔母上が一番重症だ」
「ならよかった」
「何にもよくないだろ」
思わず突っ込んでしまった。どれだけ心配したと思っているのだ。六年前、突然結婚したと思ったら急に離婚した時もそうだった。いや、当時フィリベルトは十一歳で、それほど覚えているわけではないが、母たちがとても心配していたのは覚えている。フィリベルトも、子供心に「どうしたんだろう」と思ったものだ。シグリは、昔から、ちょっと変わっているがしっかりしたお姉さんのような存在だった。
そしてついでに、その元夫がこの学園の高等部の教師として赴任している。とても作為的なものを感じる……。
「イルムヒルデも叔母上も、自分がみんなに心配されているということをもっと自覚するべきだ」
九歳も年下の甥っ子に説教され、シグリは目をしばたたかせたが、すぐに微笑んだ。
「そうだな。とりあえず、眼鏡をとってくれないか」
千里眼の使い過ぎで目が痛かった。
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