【30】
帝都からの情報に、マティアスは思わず眉をひそめた。
「どうなさいました」
隣で課題をしていたフィリベルトがそれに気づいて声をかける。マティアスは持っていた手紙をフィリベルトに渡す。失礼します、とフィリベルトはその中身を読んだ。
「……研究施設から魔獣が大量脱走したとありますが」
「そうなんだ」
「方角的に、こちらへ向かってきている気がするのですが」
「そうなんだよね……」
はあ、とマティアスはため息をついた。教師陣の方にも連絡がいっているだろうが、果たして実際に学内まで逃げ込んできたら、対処できるだろうか。今は教員として帝国軍幕僚長のシグリが赴任しているが、戦力のほぼない状態で対処しろと言われても難しいだろう。
それでも、彼女はできる限りの対応を考えてくれた。そもそも、魔獣を敷地内に入れなければいいのだ、というそもそも論を展開され、防御が厚くなった。
「何というか、視点が違うんだなって思います」
イルムヒルデにシグリの印象を尋ねたところ、そんな返答があった。状況に対応するには何をすべきで、何が必要かわかっている。だてに長くローレンツの幕僚長を務めていない。帝国軍元帥であるローレンツの幕僚長であるということは、帝国全土のことを理解し、起こった事象に即座に対応できなければならないということだ。起こった事象は戦争かもしれないし、災害かもしれない。こちらの状況も整っているとは限らない。
どんな状況でも対応できるのがシグリ・フォン・カウニッツ幕僚長なのだ。そう思い知らされた。
結局、魔獣が学園に到達することはなかった。その前に討たれてしまったためだ。その情報は、マティアスだけではなくシグリの元にも届いていた。
魔獣はすべて討伐。事後処理、被害確認に移行。
簡単な事務連絡であったが、うん、とシグリは考える。
すべて討伐した、と言っても、魔獣の遺体をすべて確認できるわけではない。シグリの経験上、数えるのは難しいと思う。取りこぼしがあっても不思議ではない。そのための確認作業ではあるのだが……。
そもそも、研究所から逃げ出した、というのが気になる。同じく研究所の所長である姉リーザに尋ねたところ、「そんなやわな管理はしていないわ!」とのことだった。シグリもそう思う。
では、誰かが故意に脱走させたのか? その狙いは? 手引きした人物がいたのなら、脱走させた魔獣の一部を自分のもとに引き取っていても不思議ではない。魔獣を飼い慣らすのは難しいが、できないわけではない。ある程度の魔力があれば、魔力を元に脅しつけることもできる。狙いはわからないが。
「……よし」
シグリは立ち上がると、おもむろに着替えだした。
一方、討伐完了報告に違和感を覚えたのはシグリだけではなかった。マティアスとイルムヒルデである。
「すべての魔獣を討伐したと、確認するのは難しいと思います。誰かが、何らかの目的のために魔獣を奪って、それをごまかすために魔獣を逃がしたのかもしれません」
学園の渡り廊下だった。イルムヒルデの言葉に、マティアスがうなずく。
「そうなんだよね。不自然だ。魔法生態学研究所も宮殿の敷地内にあるけど、だからこそ、管理はしっかりしていると思うんだ。それに、逃げ出したにしても、一斉に同じ方向に逃げるものかな?」
「……故意の可能性が高そうですね」
フィリベルトも認めざるを得ない。これくらいの推測は彼の叔母もしているだろうが、だからと言って何か手を打てるだろうか。
ふと動いたのはハーラルトだった。マティアスの護衛ということで帯剣を許可されているハーラルトは剣の柄に手をかけ、瞬間的に引き抜いてそれを斬った。ビクッとほかの五人が反応する。フィリベルトがハーラルトが切り捨てたものを覗き込む。
「鳥……ではなさそうだな」
大きさ的には鷹ほどの翼のある鳥に見えるが、違うものが混じっている気がする。
「例の魔獣の一種でしょうか」
ハイルヴィヒものぞき込んで首を傾げた。ハーラルトが言う。
「とりあえずこの場を離れましょう」
一体いた以上、これだけとは限らない。マティアスがいるので、早く建物内に撤収しようとしたのだが。
「あ……すみません」
ものすごい衝撃音がしたが、イルムヒルデが攻撃魔法を放った音だった。光線にも似たその攻撃魔法はこちらに向かってきた魔獣を足止めしていた。そこにどこからか矢が飛んできて、魔獣を連続して射抜いた。少し離れた別館からの狙撃だろう。マティアスがその方向を眺めて、「シグリ先生かな」とつぶやいた。
「あの人、戦えるのか……」
フィリベルトが驚いたように言う。マティアスは「新人訓練に同行したことがあるらしいよ」と答えた。何してるんだ、あの人。
「今のうちに」
ハイルヴィヒが訴える。校舎の中に入ろうと身をひるがえす。が。
「きゃあっ!」
アレクシアに引っ張られたハイルヴィヒが悲鳴を上げた。彼女の首があったあたりを、直剣が通過するのを見た。気がした。
「下がれ!」
鋭く言ったのはハーラルトだ。現在、武装しているのが彼だけなので、従わざるを得ない。
仮面で顔を隠した男が立っていた。長剣を片手にしているので、彼が攻撃してきたのだろうと思われた。きわめて体格がいいわけではないが、武術は護身術程度のフィリベルトたちですら、不用意に動けば即座に斬られる、と思った。いや、剣は刺すものだともいうけど、そういう問題ではない。
鋭い攻撃をハーラルトがなんとかはじいた。彼は年齢の割に剣術に長けた青年ではあるが、所詮は学生だった。上には上がいるし、本職にはかなわない。
ザンッ、とハーラルトを斬りかけた剣の軌道が、飛んできた矢によってそらされる。マティアスの言うことを信じるのならシグリだ。角度的に見えにくいはずだが、的確に援護射撃が来る。これが本職。違うか。
そして再びイルムヒルデが攻撃魔法を放った。魔獣が迫ってきているのだ。校舎内にいた学生や教員たちも気づいて戦えるものは外に出てきている。そして、フィリベルトたちも渡り廊下から降りて校庭のほうへ出ていた。追い詰められていると気づいてぞっとする。
ハーラルトを通り越してマティアスに切っ先が向かった。マティアスは魔眼で対抗しようとするが、彼の魔眼は物理攻撃にも効くんだったか……?
「殿下!」
叫んだのは誰だったか。結局、マティアスに切っ先は届かなかった。
その前に、背後から男の剣がはじかれたからだ。
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