【23】
イルムヒルデの肩をつかんだのは、義兄にあたるゲラルトだった。わかりやすく怒りの表情を浮かべている。
「お前、こんなところで何してやがる」
「あ……え……」
イルムヒルデはしどろもどろになる。心臓がばくばくと音を立て、彼に力づくで行われたことが脳裏をよぎる。つかまれた肩を振り払うこともできず、イルムヒルデはおびえた表情を浮かべた。
すっとかばうようにゲラルトとイルムヒルデの間に割り込んだものがいる。フィリベルトだ。
「いくらご家族とはいえ、流石に言い方がきつすぎるのではありませんか」
イルムヒルデがおびえています、とフィリベルトがゲラルトに言う。彼は自分より背の高いフィリベルトを見た。
「お前に言われる筋合いはない。アイクラー公爵家の問題だ」
多分、フィリベルトが自分より爵位の低い家の出だとわかったのだろう。というか、公爵家は貴族の中でも上位に位置するので、身分的には下に位置する人間のほうが多い。だから高圧的な態度に出たのかもしれないが。
「そうかもしれないが、友人が傷ついているのを見過ごすことはできない」
フィリベルトがゲラルトに相対している間に、ハイルヴィヒがイルムヒルデに近づき、手を握った。イルムヒルデははっとして少し肩の力を抜く。
「友人? その女に友人なんているわけないだろう」
ふん、と馬鹿にしたような調子に、フィリベルトは眉をひそめた。
「私がイルムヒルデを友人だと思っている。だから、彼女は友人だ」
小さな声でハイルヴィヒが「もっと言って」とフィリベルトをたきつける。彼女が前に出ないのは、子爵令嬢である彼女が前に出ると叩かれるからだ。ここは侯爵子息で、聡明な頭脳を持つフィリベルトに頑張ってもらおう。というくらいには、ハイルヴィヒも他力本願だった。
「……だから何だ。家にも戻ってこない、手伝いもしない。そんな奴は何をされても文句は言えないんだぞ」
と、ゲラルトはイルムヒルデをにらみつけた。彼女は顔をこわばらせてハイルヴィヒの腕をつかんだ。ちょっと痛いが、我慢。
ゲラルトが今言ったことはおおむね正論であるが、後半部分に納得はできない。せいぜい、説教するくらいだと思う。普通は。
ただ。ハイルヴィヒは言いたい。ここまでおびえているイルムヒルデを見て何も思わないのか、と。そもそもイルムヒルデは手伝いに行こうとしたのだ。全力で止めたけど。
フィリベルトが反論しようと口を開いたとき、突然悲鳴があった。ガシャン、と金属が落ちてガラスの割れる音がする。ざっとその空間が開いた。イルムヒルデたちは目を見開く。
「シグ……!」
叫びそうになったハイルヴィヒの手を引いたのはイルムヒルデだ。彼女はおびえたような表情を浮かべながらも、現状を冷静に把握していた。
「もういい加減飽きてんだよ! 俺らのことこそこそ嗅ぎまわりやがって……! この女、一息に殺してもよかったんだぞ!」
どうやら、シグリを人質にとってローレンツを脅迫している馬鹿な客がいるようだ。フィリベルトが小さく、「まじか」とつぶやいている。素が出ている。
「すごく不自然ですよね……?」
イルムヒルデがささやいたのはフィリベルトへの確認だ。思いっきり罠だと落ち着いたハイルヴィヒにも分かった。ナイフを突きつけられるにいたったシグリは、何というか、微妙な表情だ。おびえているというよりびっくりしている。
「何とか言えよ!!」
シグリを拘束している男がナイフを持つ手に力を込めた。その刃が彼女ののどに刺さり、赤い血が流れた。ローレンツがあきらめたように言った。
「わかった。話を聞くから、彼女を解放してくれないか」
「なら、武器を置け!」
言われてローレンツはこっそり構えていた剣を下に置いた。これはその辺の警備から奪い取ったものである。シグリが叫ぶ。
「閣下! お構いなく!」
「動くな!」
体を引っ張られ、シグリの顔が流石にゆがんだ。びくりとイルムヒルデが震える。
「おい、彼女を返してくれ」
ローレンツが苦言を呈したが、男はシグリを引っ張った。
「俺が無事にここを出られたらな」
そう言った瞬間、人質シグリの目がローレンツを見た。イルムヒルデの見間違いでなければ、彼はうなずいた気がする。ずるずると引っ張られているシグリは、評するなら「マジで?」というような表情をしていた。彼女でもこんな顔をするんだな……。
「フィリ」
「殿下」
マティアスがハーラルトを連れてやってきた。ちゃっかりマリーナがついてきていて、思わずイルムヒルデはハイルヴィヒの手を握る。
「幕僚長は大丈夫だ。ローレンツが追いかけてる」
「いや……叔母上のことはそんなに心配してないですけど」
と、フィリベルト。イルムヒルデが避非難がましくフィリベルトをにらんだが、たぶん、シグリはけろっとして戻ってくるきがする。
それよりも、マリーナがイルムヒルデに絡みだした。
「ちょっとイルムヒルデ。ちょっかいをかけないでくれる? 殿下が迷惑していらっしゃるわ」
マリーナの発言に、イルムヒルデがびくりと震えた。本当に、マリーナやゲラルトのことが怖いのだ。
「むしろ殿下は、あなたに迷惑していらっしゃるのだと邪推しますけれど」
にこっと笑って言ったのはハイルヴィヒだ。本当は口をはさみたくなかったが、ハイルヴィヒはマリーナのような女性が嫌いだった。そして、友人をここまでおびえさせる彼女を許すまじ。
マリーナはハイルヴィヒを見下すようににらんた。小柄なハイルヴィヒは、文字通りマリーナに見下ろされることになる。だが、ハイルヴィヒも負けじとにらみ上げた。ハイルヴィヒのほうがやや目力が強いだろうか。
「ふん。成金の子爵家風情が。調子に乗らないで」
「あら。確かにわたくしは子爵令嬢で成金ですけれど、爵位は父が持っているものであって、わたくしが誇るものではないという分別くらいはありますわ」
遠回しに公爵家の出であることで威張っているマリーナとゲラルトに嫌味を言っている。イルムヒルデが「ハイル」と小さく呼びかけた。ぱん、と手を叩いたのはマティアスだ。
「お話し中悪いけれど、フロイライン・マリーナ。君は事態の収拾を手伝いに行くべきじゃないかな。君のお兄さんは行ったようだけど」
「……ご忠告、痛み入りますわ。でもそれは、イルムヒルデも同じですわよね」
「いや、イルムヒルデにはローレンツを追ってもらう」
マティアスがきっぱりと言った。それも一応、事態の収拾の一つだ。むしろ、マティアスはローレンツに合流しようと思ったらアイクラー公爵家の誰かを連れて行かなければならない。いくら彼が皇子であろうと、ここはアイクラー公爵邸。家の者に同行してもらうのが筋だ。この家の兄妹がイルムヒルデを『アイクラー公爵家』の人間だというのなら、彼女を連れて行けば問題ない。
というわけで、五人の団体となった彼らはシグリが連れていかれたと思われる庭の方に出た。ほどなくシグリとローレンツは見つかった。
「ローレンツ」
「ああ……大所帯だな」
ローレンツがさすがに驚いたようにマティアスたちを見て言った。イルムヒルデはシグリに駆け寄る。
「大丈夫ですか、シグリ様」
「ああ、ええ。心配をかけたな」
微笑んでシグリはイルムヒルデの頭を軽く撫でた。イルムヒルデはほっとした表情になる。
シグリは、もともと着ていた濃い紫のドレスの上に、ローレンツの上着を肩から掛けていた。ドレスが破れているようだ。少し離れたところには男たちの体が転がっていた。
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シグリはローレンツを、「何言ってるんだこいつ(極訳)』という顔で見ている。




