表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
8/9

プレゼント

前回までのあらすじ。

一本堂でアルバイトを始めた絵奈。たくさんの本に触れるうち、本が歩んできた歴史の一部を垣間見た絵奈は、やがてローズから本の秘密を教えてもらう。結局、二日間の予定だったアルバイトは五日間に伸びることになる。それは向かった大型書店で、運悪く買えなかった本の代わりに見つけた『あるもの』を、仲直りの契機にするためだった。

 外は蒸し暑かった。

 雨が降ったせいだ。レンガの敷き詰められた通りは、降った跡が確認できるぐらいにまですっかり乾いてしまっている。あまり長くは降らなかったから、単に濡れてないだけかもしれないけど。

 でも、できるところにはできるんだなあ。

 水たまりを避けながら、絵奈えなはそんなことを考えていた。

 一本堂でのアルバイトは、結局絵奈の希望通り三日伸ばしてもらえることになった。仕事内容は相変わらずの打鍵作業だったが、なんどか接客もした。不思議と緊張はしなかった。むしろ楽しかったし、三日目の昨日に到っては、終わってしまうのが少し寂しく感じたくらいだった。

 それは店主も同じだったらしく、困ったらいつでも頼っていいのよ、呼べばすぐに飛んで行くわ、と子供を送り出すような顔で正義のヒーローのようなセリフをなんども口にしていた。

 そうして手渡されたお金と、以前にもらった分を合わせて、今日、それもつい先ほど、絵奈は結麗つづりへのプレゼントを買ったのだ。

 初めは謝る勇気を持つための勇気が――契機きっかけが欲しかった。それは今でも同じだと思う。そうでなければ、とっくの昔に謝っていただろうし、こんな風に鞄をお守りのように抱いて歩くこともしないだろう。

 でも。

 これが本当にその契機になるのかは、正直にいってわからない。勇気が持てるかといわれれば、答えられない。

 けれども、今自分の足はマギへと向かっている。もしも今日いなかったら、明日行こう。明日いなかったら、明後日行こう。

 もはや直接逢って謝らなければ絵奈の気が済まないくらいにまで、それは勇気を超えた、決意にも似たようなものを含んでいた。

 同時に不安もあった。

 契機や勇気を抜きにして、結麗にはプレゼントとしても喜んでもらえるようなものを選んだつもりだった。どう受け取るのかは結麗次第なのだが、絵奈はできれば喜んで欲しいと思っていた。

 急に陽がかげった。

 空を仰ぐと、分厚い雲が通り過ぎる最中だった。西にある雲は明らかにくすんでいる。先ほど降ったことを考えると、一ヶ月前と同じような夕立がまた来ないとも限らない。

 天気予報ではもう降らないといっていた。けど。

 絵奈は足を速めた。このまま通りに沿って歩いていたら、ターミナルの駐輪場へは少し遠回りになる。間道かんどうを抜けて近道をしようか。それなら、もうふた筋向こうのほうがいいかもしれない。

 絵奈は少しだけ迷って、結局脇道に逸れた。

 湿っぽくて陰気な雰囲気の路地だった。引き返そうかとも考えたが、そう長いわけでもないし、と絵奈はそのまま足を進めた。路地の半ばを過ぎて、いくらか余裕も出てきた時、絵奈はようやくその音に気づいた。

 しかし、気づいた時にはもうすでに遅かった。

「きゃっ」

 肩が触れたと思った途端、絵奈は突き飛ばされたようにちゅうに浮いた。アスファルトに身体を打ちつける瞬間に見たのは、自分の鞄を持っている男の後姿だった。

 起き上がった時には、男の姿は小豆ほどのサイズにまで遠退いていた。男は少しだけ迷って、通りを右に曲がった。

 鞄は。

 あの鞄には。

 プレゼントが入ってるのに。

 絵奈は慌てて追いかけた。追いかけながら後悔した。

 やっぱり通るんじゃなかった。遠回りでもいいから普通に歩いていればよかった。普通に歩いていれば今頃はこんなことにならずに済んだのに。

 ようやく通りを曲がると、信じられないことに男はすぐ近くにいた。どうやら中を物色しようとして、鞄を開けるのに手こずっている様子だった。

「絵奈の、か、鞄……返し、て!」

 突然走ったせいで息も上がり、襲われたショックでまだ足も震えている。けれども、声だけは出た。普段の絵奈なら、腰が抜けて立ち上がることすらできなかったかもしれない。

 でも今日は違う。

 あの鞄は。

 あの鞄に入っているあれだけは。

「返してっ!」

 絵奈は逃げる男を追いかけた。けれども男はぐんぐん絵奈から遠ざかっていった。当たり前だ。男と女では体力に違いがある。まさか絵奈も本当に追いかけられるとは思っていない。

 それに怖くて今にも泣き出しそうだった。

 けれどもここで諦めたら一生結麗と仲直り出できないと思うと、そっちのほうがよっぽど怖かった。

 だから絵奈は、怖さをまぎらわすために叫んだ。

 叫んで叫んで、叫んだ。

「返して! 絵奈の鞄、返してっ!」

 絵奈の声に反応して、通りを行く人たちもことの次第を察したようだったが、止めようと立ちはだかった人を、男はひらりとかわして逃げていった。

 もうずいぶん遠くに逃げられたと思った時、視界のずっと先に見憶えのあるシルエットが浮んだ。

 ピチピチのタンクトップに、今日は青い短パンを履いている。

 絵奈は思い切り声を張り上げた。

「ローズさあああんっ! その人、捕まえてええええっっっ!」

 その声が届いたのか、ローズは持っていた買い物袋を天高く放り投げると、男に向かって突進した。

 絵奈は以前テレビで、ライオンがシマウマを追いかけている場面をたまたま目にしたことがある。必死で逃げるシマウマにピッタリくっついて、徐々に間合いをつめて行くライオンの姿を、絵奈は勇ましいと思いながらも恐怖の目でもって見ていた。

 ローズはまさに、そのライオンだった。

「待てやごるぅあああっ!」

 おまけに雄叫びまでついている。その声に周囲の人が一斉に道を空けた。その空間で、シマウマは舞うようにライオンから逃げていた。

「はっ!」

 伸ばした手を男にひらりとかわされ、ローズは勢いあまって転がり込み、止まることなくそのまま電柱に向かって突進した。

 想定される惨事に周囲の誰もが息を呑む中、当の本人は、

「いやあん」

 とおよそ置かれた状況に似つかわしくない声を上げて、次の瞬間には、鈍い音を響かせて電柱にぶつかった。

「ろ、ローズさんっ!」

 絵奈は駆け寄ろうとしたが、あまりのことに腰が抜けそうで、一歩も動けなかった。

 これを好機とばかりに男は逃げ出そうとしたが、何かを踏みつけたらしく、強かに身体を地面に打ちつけた。よく見るとそこら中に野菜や調味料、そして無数の卵が落ちている。

 どうやらローズが先ほど放った買い物袋の中身らしかった。

 肩に手をあて悶える男の目の前で、ローズはむくりと起き上がった。

「やあね、服がボロボロじゃないの」

 あれだけの衝撃になんともない身体もさることながら、ボロボロどころかまったくといっていいほど服が汚れていなかったのも驚きだった。

「ちぃ、バケモノめっ」

 肩を押さえたまま、男はこちらに向かって来た。逃げることに必死で、絵奈がいることを忘れているようだった。男が去り際に体当たりでもすれば、あるいは鞄を手放すかもしれないと、絵奈はそう思っても、さすがにそんなことは怖くてできなかった。

 もう、立っているだけで精一杯だった。

 先ほどとは違い、男の顔が徐々に近づいてくる。

 怖い怖い怖い。

 怖い。

 とっさに目をつむりそうになった時、再び雄叫びが聞えた。

「誰がバケモノじゃあああああ」

「う、うわああああああっっっ」

 悲鳴を上げた男は次の瞬間、ローズとひとつになって。

 宙を飛んだ。

 絵奈は人が飛ぶ姿を初めて見た。

 腰のあたりから覆い被さるようにしてローズに抱きしめられた男は、地面から一メートルほどの高さで、綺麗に重なり合って真横を向いたまま飛んでいた。

 男の手から放たれた鞄が、絵奈の頭上を通り過ぎるような軌道を描く。受け取ろうとしたが足が思うように動かず、絵奈は後ろに倒れるようにして鞄に手を伸ばした。

 ショルダーをつかんで抱き寄せる。

 猛獣と獲物が仲良く地面に転がるのと、絵奈が誰かに受け止められるのはほとんど同時だった。

 桃のような匂いがする――と思った。

「大丈夫?」

 絵奈はそっとまぶたを開き、声のするほうを向いた。

「絵奈、ねえ、絵奈ってば」

「網代……さん?」

「絵奈! 気がついた? 大丈夫なの?」

「大丈夫、だけど」

「本当に、本当に大丈夫なの?」

 結麗は泣きそうな顔で、なんども大丈夫なのと連呼していた。

「大丈夫だよ。それより網代さん、旅行は……その、どうしたの?」

「うん。アタシだけ先に帰ってきた」

 どうしてと絵奈がいう前に、結麗は絵奈を抱きしめて、震えた声でこういった。

「ごめんね、絵奈」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ