相性
数日後の午後、エレナは仕事へ出る前に、カイルを診療所へ連れていった。
町の中央にある診療所は、家から歩いて十分ほどの場所にある。白い壁の小さな建物で、入口の横には薬草を乾かすための棚が置かれていた。
カイルは以前にも何度か来たことがある。
母親が働いている場所だからだ。
ただ、今日は患者として来たわけではなかった。
「この前、精霊との相性を調べる話をしたでしょう」
エレナが受付の奥から小さな箱を持ってきた。
「うん」
カイルは箱を覗き込んだ。
木でできた細長い箱で、蓋には簡単な模様が刻まれている。
「これで分かるの?」
「簡単なことならね。正式な検査は学校や専門の施設で受けるものだから、今日は遊びみたいなものよ」
「遊び?」
「そんなに緊張しなくていいってこと」
エレナが笑いながら箱を開けた。
中には五つの小さな石が並んでいた。
赤。
青。
緑。
茶。
透明。
それぞれの石の下には細い金属線が繋がっている。
カイルは石を見て、なんとなく意味を理解した。
火、水、風、土、それから光。
また、知らないはずの知識だった。
「これ、何?」
わざと知らないふりをしたわけではない。
口に出してみると、自分でも少しおかしかった。
「これは火の精霊を見るための石。こっちは水。緑が風で、茶色が土。最後の透明なのは光よ」
エレナは順番に指で示した。
「それぞれの石に魔力を流すと、相性のある精霊が反応するの」
「魔力って、どうやって出すの?」
「難しく考えなくていいわ。石に触って、少し力を送るだけ」
カイルは箱の前に座った。
エレナが椅子を引いて、その横に腰を下ろす。
「まず水からやってみましょう」
青い石に指を置く。
冷たい。
その感触だけが最初に伝わってきた。
次の瞬間、石の中に薄い青色の光が浮かんだ。
小さな光が一つ、二つと増えていく。
エレナの眉が少し上がった。
「思ったより反応するわね」
「これ、普通?」
「五歳なら悪くないわ」
エレナはそう言いながら、箱の横についた目盛りを確認した。
「でも、このくらいなら珍しくないわよ」
カイルは少し安心した。
自分だけおかしいわけではないらしい。
次に火の石へ触れる。
赤い光が浮かんだ。
水ほどではない。
風はさらに弱かった。
土の石に触れたときは、ほんの少しだけ茶色の光が揺れた。
最後に透明な石へ触れる。
何も起きなかった。
カイルが指を離そうとしたとき、石の奥で一瞬だけ白い光が走った。
エレナが手を止めた。
「今の、見た?」
「うん」
「もう一回やってみて」
カイルはもう一度、透明な石に触れた。
今度は何も起きない。
しばらく待っても変化はなかった。
エレナは石を持ち上げ、角度を変えて眺めた。
「接触が悪かったのかしら」
「さっき光ったよ」
「そうね。だから確認したかったんだけど」
エレナは箱の裏側を調べた。
「古い道具だから、たまに変な反応をするのよ」
「僕じゃなくて?」
「そこまでは分からないわ」
母親はあっさり答えた。
カイルは透明な石を見た。
自分の中では、光の精霊というものを知っている。
けれど、どういうものなのかまでは分からない。
それが少し気になった。
「母さん」
「なに?」
「光の精霊って、何ができるの?」
エレナは少し考えた。
「光を作ったり、遠くのものを見たりするのに使うわ。もっと大きなものになると、記録や通信に使われることもある」
「通信?」
「遠くの人に知らせること。街と街の間で使う装置もあるのよ」
その言葉を聞いた瞬間、カイルの頭の奥にまた何かが浮かんだ。
暗い部屋。
壁いっぱいに並んだ光。
何本もの線。
誰かが何かを話している。
それは記憶なのか、ただの知識なのか分からない。
「カイル?」
エレナの声で我に返った。
「ぼんやりしてるわね」
「……ちょっと考えてた」
「何を?」
カイルは答えようとして、やめた。
「光の精霊って便利だなって」
「そうね」
エレナはそれ以上聞かなかった。
箱を閉じて、カイルの頭を軽く撫でる。
「今日のところはこれで終わり。正式な検査を受けると、もっと細かいことが分かるわ」
「いつ?」
「学校に入る頃でいいでしょう。まだ急ぐ理由もないもの」
カイルは頷いた。
帰り道、二人は川沿いを歩いた。
夕方の町には、店を閉め始める人たちの姿が増えていた。街灯には火の精霊が入り、まだ明るい空の下で小さな光を灯している。
カイルはその光を見上げた。
「母さん」
「なあに?」
「精霊って、どこにでもいるの?」
エレナは歩きながら空を見上げた。
「そうね。いると思っていいわ」
「見えないところにも?」
「ええ」
「じゃあ、家にもいる?」
「もちろん」
「僕の部屋にも?」
「いるでしょうね」
カイルはしばらく黙って歩いた。
「じゃあ、僕の中にもいるのかな」
エレナが足を止めた。
カイルも少し遅れて立ち止まる。
母親は息子の顔を見た。
「どうしてそう思ったの?」
「なんとなく」
エレナはすぐには答えなかった。
夕方の風が二人の間を通り抜ける。
「そうね」
やがてエレナは、カイルの手を取った。
「人間の身体にも、精霊が関わっていることはあるわ。だから、そういう意味ならカイルの中にもいるのかもしれない」
「よく分からない」
「私も全部は分からないわ」
エレナは笑った。
「精霊のことを知れば知るほど、分からないことが増えるの。お母さんもまだ勉強中よ」
カイルは母親の手を握り返した。
その言葉は、不思議と嫌ではなかった。
分からないことがある。
それを知っている大人がいる。
それだけで、少し気が楽になった。
二人はまた歩き始めた。
街灯の火が一つ、二つと点いていく。
その明かりの向こうで、小さな精霊が人知れず動いていた。




