光を集める
放課後のチャイムが鳴り響き、生徒たちが慌ただしく下校していく中、カイルは自分の机を片付けようとしていた。
しかし、その手を遮るように、教室の扉のところで大きな目を輝かせている少女が立っていた。
「ねえ、カイル! 早く行こっ、時間なくなっちゃうよ!」
「……お前なぁ。勝手に待ち伏せしておいて、その言いぐさは何だよ」
呆れたようにため息をつきながら鞄を引っ掴むと、ルーシアは待ちきれないとばかりに彼の腕を引っ張った。
両手で抱えた鞄が不自然に膨らんでいる。
人目のない町外れの空き地に到着するやいなや、ルーシアは鞄から分厚い古びた魔導書を勢いよく引っ張り出した。
表紙はあちこち擦り切れ、背表紙には何度も糸で修繕した跡がある。
「これ、今日の授業のあと、先生の書架からこっそり借りてきたの!」
「……おい。それ、ちゃんと許可取ったのかよ」
「あとで黙って返しとけば一緒だって!」
「こういうのは持ち出さずにこっそり書き写してだな…… ていうか、初等科の授業で習うような内容じゃないだろ、それ」
カイルが眉をひそめて表紙をめくると、細かな術式の図解と、びっしりと書き込まれた難解な文字が目に飛び込んできた。
授業で扱っている火種の魔法とは、説明の密度も構造の複雑さも桁違いだった。
「だって、今日の授業で先生が言ってたもん。本物の冒険者は、遠くから魔法を撃って魔物を圧倒するんだって。すごくない!? 私も早く、そういうカッコいい魔法が使えるようになりたいの!」
「……冒険者っていうのは他にできることがないからやるもんだ。わざわざそんな危なっかしい真似しなくても……」
「カイルはいつもそうやってビビってばかり! やってみなきゃ分からないでしょ!」
ルーシアは少しもひるまず、キラキラと目を輝かせた。
病気がちだった頃の弱々しさはすっかり消え失せ、今は新しい身体を得た高揚感と好奇心が全身から溢れ出ている。
カイルは心の中で盛大に頭を抱えた。
止めたところでこの性格が曲がらないのは分かりきっている。
それに、どうせ彼女一人で勝手に危ない真似をするくらいなら、自分がそばで見張っていた方がまだマシだった。
「……はぁ。いいか、怪我しても知らないからな。で、どれをやる気だ」
「これ!」
ルーシアが嬉しそうに指さしたページには、光を一点に集めて射出する術式が描かれていた。
図解の横には『適性なき者の行使は魔力の逆流を招く恐れあり』という物騒な注意書きが添えられている。
「おい、説明書きを読めよ。一番ややこしそうなやつじゃないか」
「だからこそ、これができたらすごいの!」
「……知ーらないっと」
文句を言いながらも、カイルは魔導書の解説を指で追い、術式の順序を確認した。ただ闇雲に唱えればいいわけではない。散らばろうとする光のエネルギーを、定型化された手順で無理やり一点に押し込める仕組みらしい。
「――ふぅ。いくよ!」
ルーシアは数歩下がって石積みの壁に向き合い、指先をまっすぐ突き出した。
短い詠唱を紡ぎ、魔力を練り上げる。
次の瞬間、彼女の人差し指の先端に、ちいさな光が灯った。
ルーシアが魔導書の次の手順を唱えた瞬間、指先の周囲の空気が、ふわりと奇妙に歪んだ。
熱を持っているわけではない。しかし、そこだけがまるで水面越しに景色を見ているかのように、ぐにゃりとねじれ始めたのだ。
「動かすな! そのまま形を崩すなよ!」
カイルが身を乗り出したときには、すでに現象は暴走の瀬戸際にあった。
四方に広がろうとしていた淡い輝きが、見えない引力に引きずられるように内側へ、内側へと激しく折れ曲がっていく。光は指の腹や爪の脇を回り込み、何本もの細い筋となって、針の穴のような一点へ猛烈な勢いで吸い込まれていこんだ。
まるで、世界中の光がその指先だけに凝縮されていくような、底知れない異様さ。
「――撃て!」
カイルの叫びに合わせ、ルーシアが思い切り指を突き出した。
一瞬の静寂。
音はほとんどなかった。指先から数メートルの空間を一文字に切り裂いた光の線は、前方の石積みの壁の表面に小さな白い点を穿ち、そのまま消え失せた。
ほんの少し遅れて、乾いた硬質な破裂音が響く。
「…………」
二人は息を呑み、その場に釘付けになった。
石積みの壁の中心には、大人の人差し指が入るほどの、綺麗に穿たれた穴がぽっかりと開いていた。周囲の石が焦げている様子はない。ただ穴の縁だけが白く変色し、その内部へと細い亀裂が蜘蛛の巣のように走っている。
「……いまの、私が……?」
ルーシアは自分の指先を見つめたまま、震える声で呟いた。喜びよりも、目の前で起きた現実の凄まじさに気圧されているようだった。
カイルは無言で壁に近づき、その穴の縁をそっと覗き込んだ。石の表面を削ったような生易しい傷ではない。何者かが高圧の力で材質そのものを抉じ開けたような、生々しい破壊の痕跡。
「すごい……! 私、魔法で穴を開けたよ、カイル!」
ルーシアがパッと顔を輝かせて駆け寄ってきた。さっきまでの不安はどこへやら、興奮で頬が真っ赤に染まっている。
「ねえ、もう一回! もう一回やってみてもいいよね!」
「駄目だ馬鹿! 今のがたまたま運良く成功したのか、それとも一歩間違えれば自分の指が吹き飛ぶ危ない失敗だったのか、検証もできてないだろ!」
「えーっ、だってできたじゃん!」
「できたからって調子に乗るなよ……っ!」
カイルが慌てて彼女の手を掴み、指先に異常がないか確かめようとしたその時だった。
ルーシアの指先が、名残惜しそうにほんのりと、しかし不気味に青白い光を帯びたのは。
本人も気づいていないその微かな余韻を間近で見て、カイルの背筋に冷たいものが走った。
教わった通りの手順や、ただの「憧れ」の範疇には収まらない、何か得体の知れない現象の一端に触れてしまったような気味の悪さ。
「……カイル?」
不思議そうに覗き込んでくる幼馴染の顔を見ながら、カイルはごくりと喉を鳴らした。
「……今日はもうおしまいだ。その本も、今すぐ先生のところへ返しに行くぞ」
「え、えーっ! せっかく上手くいったのに……!」
「文句言うな! 怒られるのは僕じゃなくてお前なんだからな!」
夕暮れの冷たい風が吹き抜ける中、不満そうにほっぺたを膨らませるルーシアを半ば強引に引っ張りながら、カイルは自分の胸の内にざわめく違和感を必死に抑え込んでいた。
指先が歪んだあの空間の感触と、石を穿った光の軌跡。
それが何を意味しているのか、カイルにはまだ分かるはずもなかった。




