質問
放課後の教室には、夕暮れの赤い光が斜めに差し込んでいた。生徒たちが帰支度を済ませて次々と教室を出ていく中、カイルは机の引き出しからノートをしまいながら、教壇の片付けをしている魔法教師のルースの背中を見つめていた。
大ぶりの眼鏡をかけ、白衣の裾を揺らしながら忙しそうに教材をまとめる彼女の姿は、教師としての丁寧さと、どこか抜けているような独特の雰囲気を同時に漂わせている。その豊かな胸元が身じろぎするたびに服の布地が小さく張り詰めるのは、生徒たちの間でも密かな話題になっていたが、今のカイルにとってはそれどころではなかった。
授業中の疑問がどうにも頭から離れず、カイルは足音を立てないように教壇の脇へと歩み寄った。
「先生、ちょっといいですか」
ルースは手を止め、眼鏡のブリッジを人差し指で押し上げながら振り返った。
「おや、カイル君ではありませんか。居残りの補習なら明日ですが、何か私に直してほしい不満でもおありですか? それとも、あの退屈な課題をすでに完璧に終わらせてしまったとか」
「課題はあとでやります。それより、さっきの授業のことで訊きたいことがあるんです」
カイルは前髪を軽く掻き上げ、少し言葉を選びながら続けた。
「さっき、魔法は手順や詠唱に従って精霊の反応を引き出すためのものだって言いましたよね。でも、それなら……どうして決まった通りの言葉を並べないと動かないんですか? 言葉の音や意味そのものが大事なんじゃなくて、そこに含まれている特定の順番や、一定の圧力が問題なんじゃないんですか」
ルースの動きが、ぴたりと止まった。
彼女は手に持っていた木製の教材を教壇に置き、腕を組むと、じっとカイルの顔を見据えた。先ほどまでの軽口を叩いていた余裕のある表情から、わずかに鋭い光がその瞳に宿る。
「……ほう」
ルースは低く呟いた。
「十歳前後の子どもが、初等科の授業でそんな疑問を持つものですか。大抵の生徒は、先生の言う通りに呪文を唱えて火がつけばそれで満足して帰っていくというのに」
「別に、難しいことを考えてるわけじゃないです。ただ、仕組みとしてどうなっているのか気になっただけです。あれが単なるお願いや祈りじゃないなら、もっと別のやり方でも同じ結果になるはずですし、逆に少しでも手順が狂うと完全に失敗する理由が分からないと、納得して使えないというか……」
カイルがそこまで言いかけたところで、ルースは教壇の縁に手を突き、ふっと小さく息を吐いた。
「なるほどねえ」
彼女は眼鏡の奥の目を細め、カイルをしげしげと観察するように見つめた。
「あなたのその、物事をただの『当たり前』として受け入れない癖。そして、大人が決めたお仕着せの理屈の裏側に何があるのかを覗きたがるその性分……。いや、実におもしろい。危険で、実に面倒くさそうな性分ですがね」
ルースはふっと皮肉な笑みを浮かべ、それから真面目なトーンに切り替えた。
「いいですか、カイル君。今あなたが言ったような疑問は、ここではあまり大きな声で口に出さない方が身のためですよ。この世界の仕組みや、精霊との結びつきの根幹を疑うような真似は、上に立つ者たちにとって一番好ましくないことですからね」
「……どういうことですか」
「文字通りの意味です。ただ、私個人としてはね……言われた通りに手を動かすだけの優等生よりも、あなたのように『なぜだ』と立ち止まる人間の考え方には、非常に強い興味が湧くのですよ」
ルースは不敵に微笑みながら、カイルの肩を軽くぽんと叩いた。
「放課後の補習は免除してあげましょう。代わりに、これ以上深入りして黒板の裏側を覗き見ようとするなら、私よりもっと怖い人たちに目をつけられないように気をつけることですね。――お疲れ様、帰りなさい」
それ以上は何も語らないというように、ルースは再び教材の片付けに戻った。
カイルはそれ以上突っ込むことができず、ただ小さく礼を言うと、沈みゆく夕日に照らされた廊下へと引き返していった。




