ルース先生
学び舎の教室には、窓から差し込む午後の光が、木製の机の列を明るく照らし出していた。
教壇の前に立つ魔法教師のルースは、大ぶりの眼鏡の位置を指先で直すと、胸の前で大きく両手を組んだ。
「はい、それでは本日の実習を始めます。テーマは『火種の魔法』です」
その声に、教室のあちこちから小さなどよめきが起きた。
実技の授業が始まるという高揚感と、本物の火を扱うことへのわずかな緊張感が、生徒たちのざわめきに混じっている。
「皆さん、よく聞いてください」
ルースは教壇の上に置かれた、手のひらサイズの小さな黒い金属板――『火種盤』と呼ばれる補助具を手に取り、生徒たちに見せびらかすように掲げた。
「この補助具を使えば、魔力を軽く通すだけで、誰でも簡単に小さな火を灯すことができます。おうちの暖炉でも、料理の火おこしでも大活躍ですね。正直なところ、日常生活で火を起こすだけなら、この補助具さえあれば十分です。わざわざ頭を使って難しいことを考える必要なんてありません」
ルースはフッと息を抜き、呆れたような、しかしどこか楽しげな笑みを浮かべた。
「ですがね。皆さんがこれから学ぶのは、ただの便利道具の使い方の訓練ではありません。『自分の言葉と意識で、精霊の反応を引き出すための詠唱練習』です。補助具に頼らず、自分の魔力と定型詠唱だけで火種を安定させる。これが初等科の大きな関門なわけですよ」
教室のざわめきが収まり、生徒たちは各自の机に配られた練習用の小さな魔石や補助具へと視線を落とした。
カイルもまた、自分の机の上に置かれた無骨な石の板を見つめていた。
補助具を使えば確かに誰でも簡単に火を起こせる。それはこの世界の人々にとって当たり前の便利さであり、日々の生活を支える確かな基盤だ。
けれど、ルースが授業で強調した「定型詠唱による手順の維持」という言葉に、カイルはわずかに引っかかりを覚えていた。
(補助具がなくても、詠唱を正確に重ねれば火が点く……。つまり、あれは精霊に何かをお願いして動かしているというより、決まった手順を入力して反応を引き出している回路みたいなものなのか……?)
ふと、そんな疑問が頭をよぎる。
けれど、それを口に出して周囲にどうこう言うつもりはなかった。変に目立つのはごめんだし、ただでさえ光の適性で妙な注目を集めているのだ。余計な詮索はせずに、周りと同じように授業をこなしてさっさと帰りたい。そう思いながらも、一度引っかかってしまった疑問は、なかなか頭から離れてくれなかった。
「おっと、そこの一番前でまた難しそうな顔をしているカイル君」
ルースの鋭い声が飛んできた。カイルはハッと顔を上げる。
「補助具を眺めているだけでは、いつまで経っても火は点きませんよ。まずは基本の詠唱を声に出しなさい。火の精霊は、あなたがボッーとしている間に勝手に燃えてくれるほどお人好しではありませんからね!」
教室のあちこちでクスクスと笑い声が起きた。
カイルは少しむっとしながらも、目の前にある練習用の石板に手を伸ばした。面倒くさいなと思いつつも、放っておいて怒られるのはさらに面倒だったからだ。
「……わかってるよ」
小さく呟きながら、カイルは定められた定型詠唱の文句を口の中で復唱する。
周囲の生徒たちが一斉に呪文を唱え始め、教室のあちこちでパチパチと小さな火花が散り始めた。
カイルも手順通りに魔力を込め、最初の詠唱を紡ぐ。
指先の石板がほんのりと赤く温かくなり、淡い光を帯びた。補助具なしでの火種の形成――その上手くいかないもどかしさと、手順が噛み合ったときの妙な手応えを確かめながら、カイルはため息交じりに再び目の前の作業へと没頭していった。




