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とおくのまち


学び舎の教室に響くチョークの音を聞きながら、カイルは机の端に置いたノートにペンを走らせていた。


今日の授業のテーマは、周辺地域との交易路の維持についてだった。

教壇に立つルースは、いつもの大ぶりな眼鏡をくいと押し上げながら、黒板に大きく新しい地図を描き込んでいく。


「――いいですか、皆さん。私たちがこうして安全な町の中で勉強し、夜には温かいスープを飲んで眠れるのは、この町の中心にある精霊塔がしっかりと稼働しているからですね。しかし、少し視野を広げてみなさい」


ルースの手に持たれたチョークが、地図上の北東に位置する小さな赤い印をトントンと叩いた。


「隣町の『ガルダ』。ここ数ヶ月、そこの精霊塔の出力が不安定になっているという報告が入っています。塔を維持する管理ネットワークの魔力が細り、周辺の環境維持能力が低下している。つまり、どういうことか」


教室の空気が、わずかにピリッと引き締まる。生徒たちは静まり返り、教師の次の言葉を待った。


「管理範囲の境界が曖昧になり、これまで抑え込まれていた『外側』の影がじわじわと浸食してきているのです。街道のあちこちで魔物の動きが活発化し、商隊が無事に往来できる日数も減っている。今のところ、私たちの町には直接的な被害は及んでいませんがね」


ルースはそこで一度息をつき、やれやれといった仕草で肩をすくめた。


「上が何か対策を練っているとは思いますが、もし隣町の塔が完全に機能を停止し、あるいは別の理由で放棄されるようなことになれば――この地域全体のバランスが崩れるのは時間の問題です。皆さんも、いつまでも平和ボケしていないで、万が一のときの避難経路くらいは頭に入れておきなさい」


その説明を聞きながら、カイルは窓の外へと視線を向けた。


遠くに見える、町の中心の白い巨塔――精霊塔は、今日も変わらず無機質な光を湛えて空に向かってそびえ立っている。

けれど、ルースが口にした「遠くの塔が弱っている」「魔物が活発になっている」という言葉は、カイルの胸の奥に冷たい石を落としたような、言い知れない違和感を残した。


(ひとつの塔が弱るだけで、そんなに簡単に環境のバランスが崩れるのか……?)


それは単なる自然災害のようなものではない。

まるで、どこかの区画のサーバーや配電盤が不調を起こしたせいで、隣のエリアまで負荷がかかってシステム全体がエラーを起こし始めている――そんな構造的な脆さを連想させた。


「カイル君、聞いてますか?」


不意に飛んできたルースの声に、カイルは慌てて視線をノートに戻した。


「聞いてます。避難経路の話ですよね」

「よろしい。いざというときに真っ先に逃げ遅れるのは、こういう話のときにぼんやりしている優等生ですからね。しっかりメモを取りなさい」


ルースはふっと笑い、再び授業の解説へと戻っていった。


授業が終わると、教室のあちこちで生徒たちが「隣町のあたり、最近物騒らしいよな」「商売の荷物が届くのが遅れてるって親父が言ってた」と小声で囁き合う姿が見られた。


カイルは自分の筆記用具をカバンにしまいながら、先ほどの地図の隅にあった印を思い返していた。

自分たちの住む町はまだ安全だ。

日常は変わらず続き、明日も学び舎に来て、いつもの仲間たちと顔を合わせる。


けれど、その平穏な日常のすぐ隣の境界線で、目に見えない歯車がわずかに、しかし確実に狂い始めていることだけは確かだった。

少しずつ読んでいただける方が増えてきた気がします。ありがとうございます。

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