神聖な奇跡
森での出来事から二週間が過ぎた頃、ハートウェル家の診療所に珍しい訪問客がやってきた。
真っ白な生地に、銀糸で繊細な刺繍が施された綺麗な羽織。
胸元には精霊塔を象った銀の聖印が飾られている。
中央の精霊教会からやってきた、巡回神官だった。
「噂を聞きつけましてね。高位の精霊が顕現し、幼いお子様の病を癒やしたと」
神官の男は穏やかな笑みを浮かべ、物腰もどこまでも丁寧だった。
診療室には、ルーシアを囲むようにフィンとエレナ、そしてカイルが立ち会っている。
「教会としては、こうした奇跡の事例を正しく記録し、保護する義務がございます。どうぞご安心を。本日は公式な『霊視鑑定』を行い、祝福をお授けに参りました」
神官は懐から、手のひらほどもある重厚な金属製の聖盤を取り出した。
表面には細かな精霊文字が刻まれ、中央には透き通った綺麗な魔石が嵌め込まれている。
フィンが少し緊張した面持ちで、カイルの袖をそっと引いた。
「……カイル。教会の人って、あんなにすごそうな道具を使うんだね」
「見た目も立派だし、本物っぽいな」
「お兄ちゃん、声が大きいよ」
ルーシアは椅子の上で足をぶらぶらさせながら、くすぐったそうに笑った。
神官は二人のやり取りを優しく見守ると、聖盤を両手で捧げ持った。
「では……精霊の光よ、真実を語りたまえ」
深く息を吹きかけると、聖盤の中央にある魔石が、温かく柔らかな純白の光を放ち始めた。
光は部屋全体に広がり、まるで包み込むような温もりでルーシアを照らし出していく。
しばらくして、聖盤の表面に浮き出た文字を読み上げながら、神官は満足そうに深く頷いた。
「素晴らしい……とても美しい奇跡です」
神官は恭しく胸に手を当てた。
「結果が出ました。『光の精霊による聖なる祝福』。このお子様は、精霊の優しさによって病を祓われた『選ばれし乙女』です」
「選ばれし乙女……」
フィンがポカンと口を開け、母のエレナも安堵の笑みを浮かべて胸を撫で下ろした。
ルーシアはニカッと胸を張る。
「ほらね! 私、やっぱりすごいんだ!」
「ルーシア、調子に乗らないの……」
フィンは呆れつつも、心の底からホッとした表情を見せた。「奇跡」「祝福」という温かい言葉は、妹の急激な変化に戸惑っていたフィンの心を救うには十分だった。
けれど――カイルだけは、胸の奥に小さな引っかかりを感じていた。
言葉は温かい。光も優しい。
けれど、父親の工房や母親の診療所で見てきた精霊の反応とは、どこか「行儀が良すぎる」気がしたのだ。
(……本当に、それだけなのかな)
カイルは誰にも気づかれないようにそっと息を整え、両手をポケットに押し込んだ。
両親から教わった「鑑定」の技術。
そこに、自分の中にだけ眠る古い感覚を静かに重ね合わせる。
(照会――対象:ルーシア・ハートウェル)
視界の端が、ふっと淡い青色に明滅した。
神官の聖盤が放つ光の裏側で、カイルの瞳にだけ別の情報が浮かび上がってくる。
『個体識別ID:L-0428』
『生命維持システム:外部精霊コアに接続・移行中』
『自律領域:優先順位の変更(上書き)完了』
カイルは息を呑んだ。
そこに並んでいたのは、聞いたこともない無機質な言葉の羅列だった。
(なに……これ……)
さらに深く意識を滑り込ませてみる。
『注意事項:元体質との適合率 42%』
『状態:フェーズ2[順応処理進行中]』
『祝福』や『奇跡』という言葉はどこにもない。
そこに描かれていたのは、ルーシアの身体が精霊の力に合わせて「作り直されていく過程」のデータだった。
病気が治ったのは確かだ。
けれどそれは、元の身体のまま回復したのではなく、精霊と深く結びつく形へ「変化した」からなのかもしれない。
(これが……神官さんの言う『奇跡』の正体なのかな)
恐ろしさというよりは、あまりにも淡々と処理されていく世界の仕組みに対する、冷たい寂しさが胸に広がった。
神官は聖盤を大切に布へ包みながら、エレナに向き直っていた。
「これほどの適合を見せるお子様は珍しい。いずれ大きくなりましたら、中央の精霊塔や聖都の学園で学ぶ機会もあるでしょう」
「学園……ですか?」
「ええ。祝福を受けた子には、それに応じた道が開かれますから」
神官の言葉は最後まで穏やかで優しかった。
神官は一礼すると、静かな足取りで診療所をあとにしていった。
残された部屋の中で、ルーシアが嬉しそうにフィンへ抱きついている。
「お兄ちゃん聞いた!? 私、学園とか行けるかもしれないんだって!」
「急にそんなこと言われても……遠いし、僕は心配だよ」
「お兄ちゃんは心配性すぎ! カイルはどう思う!?」
振り向いたルーシアの笑顔はいつも通り無邪気で、なんの疑いも持っていなかった。
「……カイル?」
フィンが、黙り込んでいるカイルの顔を覗き込んできた。
「どうしたの? 難しい顔して……」
「……ううん。なんでもない」
カイルは小さく首を振り、微笑んでみせた。
「良かったな、ルーシア」
「うん!」
本当のことは言えなかった。
言ったところで、誰もこの画面の意味を理解できないだろうし、元気になったルーシアの笑顔を奪う必要もない。
ただ、カイルの胸の中にはひとつだけ確かな思いが残っていた。
自分たちの知らない「世界のルール」が、ルーシアの身体の中でも静かに動き始めている。
窓の外を見上げると、真っ白な精霊塔が、いつもと変わらない穏やかな光を湛えて街を見守っていた。




