第五話:モーニング・グロウ
「……はぁ。やりたかないねー。結局、朝までコースかよ」
結局、あの夜はそれ以上何も起きなかった。野崎とかいうチンピラが逃げ出した後のバー『朱』は、親父の自慢話と、それに呆れる俺たちのいつものノイズに塗り潰されていった。
「いいかハル、これからは『凄み』の時代だぞ。力を使わず、言葉のパッチだけでバグを退ける。これが真の怠惰……いや、大人の余裕ってやつよ」
親父はそう言って、シュン兄が渋々出した追加の酒を喉に流し込んだ。朱雀はもう姿を消し、玄武もおじいちゃんらしく俺の影の中で早々に眠りについたらしい。
「泰臣さん、次は本家の話聞かせてくださいよ!」「……ほんま、このおっさんは。調子乗らせたら日本一やね」
博雅が目を輝かせ、道満が毒づく。カウンターの向こう側では、シュン兄がいつもの穏やかな顔でグラスを磨き、その隣で澪さんが幸せそうに微笑んでいた。
一千年前の死闘も、一年前の絶望も。
この生温い夜風と、親父のくだらない虚勢の中に溶けて、あたかも最初から存在しなかった「偽のログ」のように思えてくる。
「……ハル。お前、たまには良い顔して呑むようになったな」
シュン兄が、不意にそう言った。
俺はぬるくなったグラスの底を見つめ、少しだけ、本当に少しだけ、震えの止まった指先でそれを弄んだ。
「……やりたかないけど。……まぁ、こんな夜があってもいいだろ」
俺たちは結局、始発の音が聞こえ始めるまでその店に居座り続けた。
北野の坂道を下る頃には、空は白み始め、夜の熱気が嘘のような涼しい朝風が吹き抜けていた。
この夜が、シュン兄が見せた最後の「平穏なログ」になるとも知らずに。




