第三話:レイジー・リソース
「……なぁ、シュン兄。初代の爺さんは、なんであんたを封印しなかったんだ? 首を撥ねる機会なんて、いくらでもあったはずだろ」
俺がふと漏らした問いに、シュン兄はグラスを拭く手を止め、自嘲気味に笑った。
「……ハル。そりゃ買い被りだ。俺はただ、あいつに同情されただけさ。『お前、鬼のくせに人間以上に未練がましいな』ってな」
最強の鬼が漏らした意外な言葉。その時、店の隅にある空席が、不自然に揺らぎ始めた。現れたのは、俺の影に潜んでいるはずの連中――十二天将たちだ。
「……フォッフォッフォ。相変わらず、情に脆い男じゃのう、酒呑。しかし、その甘さがそのうち破滅を招くかものう……主殿も、そうは思わんか?」
長い白髭を蓄えたおじいちゃん、玄武が、ウイスキーのグラスを揺らしながら言った。その隣では、タイトなドレスを身に纏った美女、朱雀が、俺に視線を向け、その瞳を悲しげに揺らした。
「……晴明」
朱雀が、吐息のような声で俺の名を呼んだ。その一言には、一年前のあの日から続く、言葉にならない祈りと絶望が混ざり合っている。
「――あんたが、朱雀か」
不意に、鋭い声が割り込んだ。道満だ。
彼女は「もりかす」の可愛らしい容姿とは裏腹に、呪力を微かに滲ませながら、朱雀の目の前まで歩み寄った。
「……晴明が自分の魂を削ってまで呼び出した相手が、そんな悲劇のヒロインみたいな顔しとるんか。気に入らんな。あんたがそんな顔しとるから、こいつの魂の摩耗が止まらんのと違うんか」
ミッちゃんのキツめな口調に、朱雀は言葉を返さず、ただ静かに彼女を見つめ返した。
「おい、ミッちゃん、やめろよ。……お前らも勝手に出てくんな。やりたかないねー、本当に」
不意に俺の口から出たその名に、道満が「えっ」と短く声を漏らして固まった。
小学生の頃、そう呼び合っていた記憶。俺が『はーくん』で、こいつが『ミッちゃん』だった、バグも絶望もなかった頃の残滓。
「あんた……酔うてんのか……」
道満は顔を真っ赤に染め、俯きながら消え入るような声で呟いた。その動揺で、おどろおどろしい呪力が霧散していく。
「ガハハ! ハル、お前らしいぜ。……ミッちゃん、そんなに赤くなるなよ」
シュン兄が笑う。そこへ、ヨレヨレのシャツのボタンを適当に開け、酒の匂いをプンプンさせたろくでなしの親父・泰臣がふらふらと入ってきた。
「おっ、酒井! 今日はまた、とびきりの美人が揃ってるじゃねーか。特にお姉さん、俺と『大人の五芒星』でも描きに行かない?」
「泰臣のおじさん! 晴明がヘコんでんのに、何やってんだよ!」
「……この、不潔親父……ッ! 葉子さんにチクる前に、ウチがここで不浄門に叩き落としたろか!!」
博雅が親父を羽交い締めにし、道満が指先で九字を切りながら親父を睨みつける。シュン兄が喉を鳴らして笑った。
「ガハハ! 相変わらず賑やかだな。ミッちゃん、その『もりかす』スタイルで般若みたいな顔すると台なしだぜ?」
「シュ、シュンさんまで……ッ!」
顔を真っ赤にする道満と、暴れる親父。その騒ぎを、澪さんは楽しそうに眺めていた。
この賑やかな光景が、シュン兄にとっては平安の昔から探し求めていた「答え」そのものだったのかもしれない。
「……はぁ。やりたかないねー、ホンマに。親子揃って、この鬼の店で何してんねん」
俺はカウンターに突っ伏しながら、指の隙間からその光景を眺めた。
親父を引きずる博雅、顔を真っ赤にして呪文を唱え始めるミッちゃん、それを肴にウイスキーを傾ける玄武。そして、何も言わずにただ俺を見つめる朱雀。
ここにあるのは、一年前には想像もできなかった「ぐちゃぐちゃな幸福」だ。
だが、幸せってのはいつだって、システムを食い破るバグみたいに唐突に壊れる。
……一年と『少し』前の俺がそうだったように……
十二天将たちは、急に言葉もなくスッと俺の影の中へと溶けて消えた。
その沈黙が、逆にこれから始まる事態の深刻さを物語っていた。
「こんばんわ、マスター」




