第十五話:強制終了(シャットダウン)、最後の子守唄
理性を失っているのか、泥のような瘴気を放つシュン兄が、保憲たちの立つパールホワイトのシーマへ迫る。その前に、血と泥に汚れたアロハシャツの親父が立ちはだかった。
「……酒井! 目を覚ませ! 頼む、戻ってきてくれ!」
親父は泣きながら、震える手で地面に歪な五芒星を描き、必死に友の名を呼びかける。だが、酒呑童子と化したシュン兄の瞳に、親父の必死な姿は映らない。
「……泰臣。お前じゃ……俺は、殺せない」
シュン兄は力なく呟いた。その言葉に、親父の五芒星を描く手が止まる。
「な……酒井、お前、正気なのか? 分かってんのか、自分が何を言ってるか……! 冗談だろ、また店で『泰臣、飲みすぎだ』って笑ってくれよ……ッ!」
親父が縋るように叫ぶが、シュン兄は保憲たちを無視して、物言わぬ姿となった澪さんの亡骸の前で膝を突いた。泥にまみれ、あらぬ方向に曲がった彼女の体を、壊れ物を扱うように優しく、震える腕で抱き上げる。
「……ハル。殺してくれ。……俺がまだ、鬼と人の間で居られるうちに……頼む。……もう、自分じゃ止まれそうにないんだ」
シュン兄が、血の涙を流しながら俺に死を乞うた。その顔には、一千年前の絶望と、酒井瞬としての最期の慈しみが混濁していた。
「嫌だ……ッ! 頼むよ、戻ってくれよ! また店でシュン兄の酒を飲ませてくれよ!!」
俺は叫んだ。だが、シュン兄はそんな俺を見て、ふっと、本当に微かに微笑んだ。それは絶望の果てにようやく出口を見つけたような、穏やかで、残酷なほど真っ直ぐな、死への渇望だった。その笑みが、生きて戻る道がもうどこにもないことを俺に突きつける。
右手の指先は狂ったように震え、空中に描こうとする五芒星は涙で歪んで形をなさない。指が動かない。最悪の結末を拒絶して、脳がコマンドを受け付けないんだ。
その時、温かい手が、俺の両手に添えられた。
「……ウチらも、一緒や。一人で背負わんでええんやで、晴明」
「晴明。俺たちも、酒井さんの『心』を支える。……やろう」
俺と同じくクソほど泣きじゃくっている道満と博雅が、俺の震える指をそっと支えた。三人の手が重なり、歪んでいた五芒星が、眩い光を放って完成する。
シュン兄から漏れ出す霊的干渉は、すでに臨界点を超えていた。このまま騰蛇を放てば、その余波だけで深江にいる人間すべての精神が焼き切れてしまう。
「……六合! シュン兄を閉じ込めろ! 一滴の焔も外へ出すな!」
俺が召喚した六合の絶対結界が、最愛を抱くシュン兄を完全に孤立させ、空間を物理的に切り離す。その閉ざされた檻の中で、俺たちの悲しみをリソースにした漆黒の焔を呼び出す。
「――騰蛇!! シュン兄を……眠らせろ……ッ!!」
俺の心の影響か?漆黒の焔が牙を剥き、檻の中の鬼を飲み込んでいく。
なぁ、あんたならどう思う?
死にたいと願う兄貴の願いを、親友たちの手を借りて叶えてやるなんて。
俺の右手の指先が、結界の中でシュン兄の魂が静かにデリートされていく、その最期の熱を感じていた。




