音のない舞踏会
「お母様! 舞踏会に、こんなに素敵な髪飾りを……」
リリアは、鏡の前で小さく息を呑んだ。
エルナスの母から贈られたそれは、先の王朝時代の意匠を色濃く残す、気品ある装いだった。
「次期女王には、少しでも便宜を払っておかないとね」
そう言って、母は扇を口元に当て、くすりと笑う。
「まぁ……お母様ったら」
冗談めかした言葉に、リリアも笑顔で応じる。
けれど、その胸は高鳴っていた。
――明日の舞踏会で、ようやくエルナスに会える。
忙しさに追われる彼の姿しか、最近は知らない。
それでも、あの人はきっと、変わらず優しく微笑んでくれる。
「その美しさを、しっかりお見せなさい」
母は、そう言いながらも、視線は窓の外――
邸宅の門前に並ぶ、高級車の数々へと向けられていた。
「舞踏会は、人の目が集まる場ですもの」
◇
舞踏会の夜は、いつもより静かだった。
王宮の天井から降り注ぐ光は柔らかく、
磨き上げられた床に、人々の影を淡く映している。
音楽は控えめで、囁き声と衣擦れだけが空気を揺らしていた。
エルナスは、玉座の側に立っていた。
背筋は真っ直ぐ、視線は正面。
誰かを探すようでも、拒むようでもない――
ただ、王として在る姿。
その少し横で、
母の隣に立つリリアが、視線を集めていた。
宝石のきらめき。
計算された微笑み。
差し出される祝辞と、好奇の目。
けれど――
エルナスの視線は、彼女に留まらない。
音楽が切り替わり、ダンスが始まる。
エルナスは、玉座に腰掛けたまま、
しばらく無言でその様子を眺めていた。
「私有地の件ですが」 一人の貴族が、控えめに切り出す。「ぜひ、マザーへの働きかけを」
「……簡単なことではありません」 エルナスの母は、即座に答えなかった。 値踏みするような間が、言葉の代わりになる。
その少し離れた場所で、
リリアは、形式通りに杯を手にし、
求められる名前と笑顔を、順に差し出していた。
◇
宴の雰囲気は悪くなかった。
豪奢な料理と、一流のサービス。
舞踏会は、何事もなく続いていた。
――それは王が、沈黙を保ち続けたがゆえに。
野心と虚飾が静かに混ざり合う、
きらびやかな会場は、やがて後半へと移る。
王が、静かに立ち上がった。
「失礼する。今宵はまだ続く。
引き続き、楽しんでください」
形式ばった挨拶だけを残し、
エルナスは席を離れる。
セリューも、何も言わず後に続いた。
「エルナス様!」
呼びかけは、音にならなかった。
会場はしばし、ざわめいた。
リリアは、息を飲み込み強く言葉を発した。
「ダンスを踊ってくださらないのですか?」
「……」
振り返る。
ゆっくりと、リリアに近づいた。
その手を取る。
リリアの頬は、真っ赤になった。
視線が、逸らせない。
呼吸が、わずかに乱れる。
音が、消えた。
エルナスの動きだけが、
静かに場を支配する。
女性達が羨ましそうに遠目で観ている。
視線が集まる。
その中心に、自分がいる。
高揚した。
顔を近づけるエルナス。
耳元でささやいた。
「え?」
「私は、そなたと婚約はしない」
「それが、答えだ」
そう言うと音楽の終わりに、くるりとリリアを回転させ、手を振りほどいて去って行った。
周りからは、
会話を気付かれることはなかった。
「……どうして?」
唇を噛む。
「私では、足りませんの?」
(第八十二章・了)




