何も聞かれなかった
広いエントランスでは、生徒達が持参した携帯パックを広げていた。
窓の向こうには、青い芝生と若い木々が整然と並んでいる。
カナタは、ヨガサと昼食をとっていた。
「……このまま、ずっとご飯食べていたいです」ヨガサがボソリとこぼす。
「訓練が嫌ってことですか?」真面目に聞き返すカナタ。
「まぁ……そうですね」
足音が響いてきた。
ゆっくりと、近づいてくる。
気づけば――目の前で止まっていた。
「カナタ・アレイシアさんだね」
柔らかな笑みだったが、
どこか測るような視線が、その奥にあった。
そこには、格上のスーツを身にまとう、爽やかな青年がいた。
「……はい」
「私は、新しい施設の視察に来てる者ですが、
確かあなたはタシト少佐の婚約者でしたよね?」
「あ、はい」
カナタは身構えた。バレないように取り繕わなければならない。
「ちょっと、二人だけでお話しても良いですか?」
カナタは一瞬だけヨガサを見る。 戸惑いながらも、小さく頷いた。
少し離れた場所へ移動する。
「訓練には、もう慣れましたか?」
「……え?」
予想していなかった問いに、言葉が詰まる。
「いえ、まだ……」
「そうですか」
それだけで終わる。
だが、その視線だけは外れなかった。
「――無理は、しないでください。
あなたは、そのままで構いません」
穏やかな声だった。
カナタは、動揺した。思わず顔を上げる。
だが、その時にはもう、 青年は視線を外していた。
「では、失礼します」
それだけ言って、歩き去る。
何も聞かれなかった。
——だが、何かを見られた気がした。
胸の奥に、 得体の知れない“何か”だけが残っていた。
◇
訓練を終え、ユウナギ達が戻ってきた。
「あー腹減った」「めしめし」ソードとバーチ。
「交代だ。二十二名は、あそこの通路をまっすぐ行った先の建物で、タシト隊長が来られるまで自主トレな」プラス先生は、そう言いながら椅子に腰かけた。
「……先生」カナタが、プラス先生の前に出た。
「どうした?カナタ」
「先ほど、施設の視察に来てる人に声をかけられました」
「……ああ」
プラス先生は一瞬だけ視線を上げた。
「ルイゼンさんだな。ここ最近、新設施設の確認で出入りしている」
端末を開き、軽く予定をなぞる。
「あとで、タシト隊長とも会う予定だったはずだ」
そこで一拍。
「――何か、言われたか?」
「いえ……特に何も」
言いながら、自分の言葉に引っかかる。
「……何も、聞かれませんでした」
「……そうか」
短く返す。
プラス先生は、顎に手を当てた。
タシトは、通路を歩いていた。
集合中の訓練施設へ向かう。
無機質な廊下に、足音だけが響く。
その先から――
一人の男が歩いてきた。
「初めまして。タシト少佐。ルイゼン・エメラルドです」
爽やかな笑みを浮かべ、 ルイゼンが手を差し出す。
タシトの視線が、一瞬だけその手へ落ちた。
「王宮で会ったな」
それだけ言って、横を通り過ぎる。
ルイゼンの片眉が、 わずかに上がる。
だが――何も言わない。
タシトは、一度も振り返らなかった。
(第七十二章・了)




