境界に触れた者
ヨガサの肩が、わずかに震える。
登校しても休みがちだった彼女にとって、
タシトを真正面から見るのは、これが初めてだった。
レベルを持たないカナタは、ただ成り行きを見つめるしかなかった。
「残りの者は、カナタを含めてサイドに下がれ。見学だ」
短い命令。
生徒たちは静かに移動する。
タシトの前に残ったのは、シャドを含む六名だけだった。
タシトは、一人ずつを見渡し、言った。
「生命活動を、意図的に限界まで落とす」
間。
「――心臓が止まる寸前の、領域だ」
空気が、はっきりと変わった。
タシトの青く光るシールドが、六人を静かに包み込んだ。
それは攻撃ではなく、防御。
命を縛るものではなく、
命の在り処を示すような光だった。
まるで生命体を解析するスキャナのように、美しい光が一人ひとりをなぞっていく。
「これが、タシト隊長のシールド……綺麗」どことなく声が漏れる。
交感神経の信号が抑えられ、
代わりに、副交感神経が強く働き始める。
身体は、異常なほど静かだった。
「自我の持つ最大限の力を、理解しているか?」
タシトの声が、淡く響く。
「それを越えようとしたときにしか、
青は、応えない」
呼吸が、合わなくなる。
心拍が、ばらつく。
意識が、わずかに身体から浮いた。
――静かなはずなのに。
カナタは、思わず息を呑んだ。
ヨガサは、隣で小さく震えている。
その時、
シールドの青に、黒が重なった。
影が、床に落ちる。
重力が、かかった。
息が、吸えない。
――いや、吸えている。
胸は、確かに動いている。
だが、
自分の感覚だけが、追いついていなかった。
(やばい)
そう思った瞬間、
心臓が、一拍だけ遅れる。
恐怖だけが先に走り、
身体は、静かなままだった。
――認識の、崩壊。
一人、膝をつく。
続いて、また一人。
倒れたのは、二人だった。
シャドとミラ、
そして、残る二人は、その場に立ったまま、
ただ耐えていた。
身体はそこにある。
だが、意識だけが――
ほんの一歩、内側から外へと踏み出していた。
立ったまま、
自分という輪郭を、少し遠くから見ている感覚。
ミラは、そこにいる“自分”を認識しながら、
同時に、隣のシャドを見た。
シャドもまた、ミラを見ていた。
言葉はない。
けれど、確かに分かる。
恐怖は、すでに届いていなかった。
代わりに、温かな感覚が全身を包み込んでいる。
心臓の鼓動も、
呼吸のリズムも、
すべてが、正しい位置にあった。
――離れているのは、意識だけだ。
肉体との結びつきは、
決して、切れていない。
なのに、ここは安全だと。
そう、理解できていた。
次に意識が戻った時、
何故か、世界の色が一色増えているような気がした。
シャドは、
無意識にシャインスフィアを手のひらに作る。
頭痛とともに、青が――滲んだ。
完全には至らない。
それでも――確かに、“触れていた”。
「……嘘だろ」
だが、別に彼自身が
“戻りきれていない自分”に気づいていた。
(第六十五章・了)
変化は、まだ表に出ていない。
だが、
境界を知った意識は、
もう戻らない。




