見えないものを、見る
タシト隊長に抱き寄せられたカナタ。
悲しいはずなのに――嬉しい。
誰かに必要とされている気がしたからだ。
でもそれは、
自分が特別だからではない。
ただ、ここにいるからだ。
たまたま――そこにいただけの人間。
「だが、お前はそのままでは終わらない」タシトは囁いた。
カナタは、言葉の意味を理解できず、
ただその腕の中で目を瞬かせた。
「そうだ、カナタに技をひとつ伝授する」
「え?」
「……そこの包丁、使わなかったか?」
「この、武器のようなやつですか?」
「そうだ」
「ごめんなさい、花瓶を台無しにしてしまったやつですね!」カナタは、思い出して青ざめる。
「花瓶のことはいい、その包丁ちょっと手に取ってみろ」
カナタは、キッチンの壁にかけてあった、いつかの包丁を手に取った。
「はい、取りました」
「それで、私をさしてみろ」
「え?」
戸惑うカナタ。
こっぱ微塵になった花瓶を思い出した。
その声には、迷いがなかった。
「……そんなこと、出来ません」
カナタは包丁をキッチンに戻そうとした。
だが、その手首をタシトに掴まれた。
「あ……」
「お前に私は殺せない。……だから、やれ」
透き通る白緑の瞳。
まるで、すべてを見透かしているようだった。
どれほどの経験を積んできたのだろう。
本当に年下なのか――そんな疑問が、かすめる。
「……」
カナタは、包丁の柄にあるスイッチを押した。
淡く、今にも消えそうな赤い刃が灯る。
レーザーともつかない、不安定な光だった。
「駄目です……やっぱり、怖いです」
「いいから――殺れ」
「あ……」
手が震える。
刺してしまったら――もう戻れない気がした。
「で、出来ません!」
包丁を離す。
硬い音を立てて、床に転がった。
静寂が落ちる。
「……わかった。無理を言った」
「……あ」
信じていないと思われただろうか。
それとも――闘志のなさを見抜かれたのか。
期待に、応えられなかった――
(どうしたら……)
「……お前は」
タシトの声が、静かに落ちる。
「もし私を殺さなければならない敵となった時――
私を、殺せるか?」
「え……それって、どういう……」
タシトは包丁を拾い上げ、スイッチを入れる。
先ほどとは違う。
強く、澄んだ青い光が刃を形作った。
「これは、特殊能力者にしか反応しない――ナイフだ」
そう言って、遠くの花瓶へと振る。
青い刃が、柄から解き放たれる。
だが、花瓶に届く前に――
タシト自身の相反するシールドに触れ、霧のように消えた。
「……つまり」
その視線が、カナタを射抜く。
「このナイフは――レベルゼロのお前にも反応した」
「特殊能力者にしか反応しないナイフ……」
私にもまだ可能性があった?
戸惑いながらも、内側から解き放たれるような、高揚感が込み上げてくる。
だが同時に、大きな不安が押し寄せてきた。
私に、人を殺せるのだろうか。
タシト隊長が敵になる――そんなことあるのだろうか?
――この、平和な世界で。
タシトの顔を見た。タシトの表情からは、何も読み取れない。
「私は……まだここに、いていいのでしょうか」
「お前の力はゼロではない。
まだ目覚めていないだけだ」
カナタは、タシトの手に収まるナイフを見た。
「だが、何かの“力”によって封印されている。
それがわからない。……ずっとお前を見てきたが」
「……そ、そうなんですね。
自分の事なのに知りませんでした」平静を装うカナタ。
ずっと見てきた?いつから?
カナタの心臓が、大きく跳ねた。
「……能力が閉じられているのに、花瓶を粉砕するほどのナイフを扱えた、
……私の力に干渉しているのか?」
タシトがふと漏らすと、カナタをじっと見つめてきた。
カナタの胸が、もう一度ざわついた。
「いや、違うな」
タシトが、確かめるようにカナタの頬へ手を伸ばした。
その指先が触れる寸前で、 カナタの呼吸が止まる。
「あ! あの、隊長、今日はありがとうございました!」
カナタは、咄嗟に背を向けた。
この場にいるのが、なぜか耐えられなかった。
「待て、カナタ。まだ技を伝授していない」
「え!?あ、そうでしたね。すみません!隊長」
カナタはぎこちなく振り向き、普段はしない敬礼をしてみせた。
「よろしくお願いいたします!」
「何を緊張している。そんな怖い技じゃない」
「あ、いや。そんなつもりでは……」
「目を閉じろ」
「え?」
「いいから」
カナタは、おそるおそる目を閉じた。
「何が見える」
「……何も」
「……暗闇は見えるはずだ」
「……はい」
「それが“見えている”ということだ」
「……」
「見ようとすれば、見えてくる。
形が違ってもな」
「今度は、目を開けて私を見ろ。目をそらさずにだ」
「はい。見ます」
カナタの拳に力が入る。顔から熱が冷める気配がない。よく見なくても分かっていた。
美しい。 本当に、美しくて強い男。
冷たいはずなのに、 なぜか目を逸らせない。
――どうして、こんなことをさせるのだろうか。
けれど、 タシト隊長には、きっと理由がある。
そう思った。
「終わりだ。さ、答えろ。私をみて何が見えた?何を感じた?」
「え?それは……」頬に手を当てるカナタ。言える訳がない。
「どうしてこんなことをさせるのか――そう思っただろう」
「そ、そうです!どうしてそれを」
「目をそらさず対象を見つめ続けると、不思議と相手を理解しようとする心が生まれる。それをクラスでも試してみろ」
「……お前は、人を見ていない」
それは、静かな否定だった。
(第六十一章・了)
見えないのではなく、
見ようとしていなかっただけ。
その事実に気づいたとき、
世界は、少しだけ形を変える。




