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空白

人は、記録されることで存在を証明される。


では―― 記録の外にいる者は、 何者なのだろうか。

「……花束、ちゃんと受け取ってくれただろうか」


それは王としてではなく、

ただの一人の男として浮かんだ疑問だった。


王エルナスは、静かな書斎で端末を開いたまま、視線を宙に浮かせていた。窓の向こうには夜の王都。灯りが星のように零れているのに――胸の内は晴れない。


机の上には積み上げられた報告書。

そのどれもが国の不安と、これから背負わなければならない責任を示していた。


「……悩んでいても、仕方ない」


低く息を吐き、エルナスは椅子から立ち上がる。

背筋を伸ばした瞬間、ただの“ひとりの男”の顔から、“王”の影が静かに戻ってきた。


「どちらへ行かれるのです?」

入ってきたセリューが、夜の冷気をわずかにまとった声で問う。


「あ、いや……少し、ね」


「王になられた今、軽率な行動はお控えください」


セリューの視線は冷静だが、そこには確かな“支える意思”が宿っている。


エルナスは小さく息を吸い、迷いを飲み込んだ。


「……タシト隊長を王宮に呼べる? これは――任務だ」


「わかりました」


セリューが下がると、書斎の静寂が戻る。

しかし今度は、決意だけが残っていた。


――王は動く。



王宮の廊下を、タシトが歩いていく。


磨き上げられた床に、彼の足音が淡く反響する。

高い天井、重厚な柱、緊張に張り詰めた空気。

護衛たちの視線が、鋭く彼を追う。


通路の端に立っていたルイゼンは、タシトを目で追った。

その瞳には、かすかな警戒が宿っていた。


王宮が、静かに動き出す。


扉が、音もなく開いた。

タシトが一歩、室内へ足を踏み入れる。


王は机の前に立ったまま、彼を迎えた。

表情は穏やかだが、どこか張りつめている。


扉が閉まる。

重厚な音が、逃げ道を断つように響いた。


「やあ……急に呼び立てて、すまないね。

君に、どうしても話しておきたいことがあって」


「いえ。王命とあらば」


タシトは静かに答える。

その横に、セリューが控えていた。


王は、端末を操作する。

光が浮かび上がり、いくつもの記録が並んだ。


「君のことを、少し調べさせてもらったよ」


「……」


沈黙。

タシトは、何も言わない。


「十歳のとき――

惑星アストレア、アウターリングのスペースデブリ帯で、瀕死の状態で発見された」


タシトの視線が、わずかに動く。


「発見者は、ジランド・ヴェルローク大佐。

彼が君を拾い上げ、保護した」


王は淡々と続ける。


「その後、特殊能力値測定センター――

通称、オルデン・コアが騒然となった」


「能力値は、異常だった」


――一拍。


「だがそれ以上に、真面目で、ひたむきで、命令に忠実だった」


「四年で少佐だ

……正直、驚いたよ」


「……」


「つまり――」


王は端末を閉じた。


「惑星全体の能力者データを管理する

オルデン・コアに、君は“十歳まで存在していなかった”という事実だ」


室内の空気が、凍りつく。


――沈黙。


「……どこから来た?」


王の視線が、まっすぐタシトを射抜いた。



「覚えていない」 タシトは、静かに答えた。


「記憶喪失という報告書は読んでいる」 エルナスは

一度だけ目を伏せ、次の瞬間、鋭く問いを重ねる。


「ではなぜ、四年前――

アレイシア波動生体研究局を襲撃した?」


沈黙。


「……これも、覚えていないとは言わせないよ」


詰める声に、感情はない。

そこにあるのは、王としての責務だけだった。


「……危険だと、感知した」 タシトは短く答える。


「危険人物?」 エルナスは顎に手を当てる。 「スコーラオのことか?」


その名が出た瞬間――

タシトの表情が、わずかに硬くなる。


「……“危険領域”だ」 低い声で、言葉を選ぶ。


「彼自身ではない。 あの男は――“境界に近付きすぎている”」


「……境界?」エルナスが眉をひそめる。


「高エネルギー反応を感知した」


「研究施設そのものが、 既に“危険領域”へ変質しかけていた」


一拍、間を置く。


「だが、あの男は一度こちらを見切った。 力を使わず、退いた。 ――だからこそ、次に動いた時、 止められる保証がない」


「つまり」


エルナスが静かに言葉を継ぐ。


「スコーラオ本人ではない。 だが、あの研究施設は危険領域へ近付きすぎている――そういうことか」


「……」


タシトは、否定しなかった。


エルナスは深く息を吐く。


「なるほど。君が再び施設を攻撃しなかった理由も、無闇に動けば被害が広がると判断したわけだな」


タシトは答えない。

だが、その沈黙は肯定だった。


「だが」 エルナスの声が、少しだけ低くなる。


「君は、この四年間で随分と成長している。

では――次に、その“領域”を止められるのは、誰だ?」



タシトが去ったあとも、

部屋の空気は、軋んだままだった。


エルナスは、ゆっくりと息を吐く。


「……彼の言葉を、信じられると思うか。セリュー」


「断言はできません」


セリューは一瞬考え、静かに続けた。


「ですが―― 虚偽を織り交ぜて場を誤魔化すタイプには、見えません」


「毒を盛るような男ではない、ということか」


「ええ。少なくとも、彼は“必要以上の嘘”を使わない」


エルナスの視線が、鋭くなる。


「……カナタ・アレイシアの件か?」


セリューは一瞬、言葉を探すように目を伏せ、

それから、逃げ場のない静かな視線で王を見た。


「……関係がないとは、思えません」


沈黙。


エルナスは端末を閉じ、立ち上がる。


「 アレイシア波動生体研究局を、極秘裏に洗え」


「全面的に、ですか?」


「ああ。 過去も、現在も――

“未来に繋がる歪み”があるなら、すべてだ」


セリューは静かに頷いた。



(第五十八章・了)


静かに動き出したのは、王宮だけではない。


過去に埋もれていた真実。 見ないふりをされてきた歪み。


そして、“記録されなかった存在”もまた――。

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