境界線
門には、いつものようにカナタの迎えの車が停まっている。
カナタは、まだ来ていない。
シャドが軽くノックする。 「兄さん!」
ウィンドウが静かに降りた。
「シャド、元気にしてたか?」
優しい声に、シャドは笑顔で応える。
しかし次の瞬間、ケティオスの表情は一瞬で軍人の顔に切り替わる。声が低く、冷静になる。
「……今日はどうしたんだ?」
シャドが少し照れながら振り向く。
「兄さんに話したい友達がいて」
ユウナギは軽く会釈する。
「こんにちは、ユウナギ・カーレンです」
「こんにちは、ケティオス・リエンテです。シャドの友達なら歓迎だよ」
穏やかな声。だからこそ、次の瞬間の緊張が際立つ。
ユウナギは一拍置き、慎重に口を開いた。
「タシト隊長のことです」
ケティオスの目がわずかに細くなる。
「隊長の?」
「はい。婚約者のカナタさんとのことでもあるのですが……衛星メア・フェールでの隊長の行動について」
その瞬間だった。
空気が、ひときわ冷たく締まった。
ケティオスの声が、静かに落ちる。
「ユウナギくん。――車に乗れる?」
後部ドアが、音もなく開いた。
「え? 兄さん……?」
シャドが不安げに声を上げる。
しかしケティオスは振り返り、柔らかな声だけを残す。
「大丈夫だよ、シャド。 少しだけ、ユウナギくんと“話”をするだけだから」
けれどその声の奥に、
“これは学校の会話ではない”
そんな冷たい現実が潜んでいた。
――世界が、一段きしんだ気がした。
「君は、どこまで知ってるのかな?」
ケティオスの声は穏やかだったが、意味の重みは明確に伝わる。
ユウナギは深呼吸をしてから答えた。
「知りません。ただ……断片だけです」
一度、言葉を切る。
「タシト隊長は、衛星メア・フェールで、カナタと“二人きり”になった時間がありました。 そのあと……婚約が決まりました」
ケティオスは黙って聞く。相槌も反応もない。ただ、情報を聞き漏らさない視線だけがあった。
ユウナギは続ける。
「カナタに聞きました。……ある地点で、酷い頭痛に苦しんだこと。 そして──頭痛と同時に、隊長に連れられて“別の場所にいた”と、カナタは言っていました」
車内の空気がわずかに重くなる。
「婚約してからです。……彼女、急に何も話さなくなった」
ケティオスの表情は崩れない。
「……続けて」
促される声は低いが、怒っているわけではない。 ただ、仕事の声だ。
「それから――」 ユウナギは言いよどむ。
「……確信はありませんが、あの場所にまた戻られた気がします」
“シャドから聞いた”とは言えない。
「どうして」 ケティオスの声が一段低くなる。 「その推測が“自然に”出てくると思える?」
「それは……」 ユウナギは短く考え、 そして、
「何となくそんな気がしただけです」
とだけ答えた。
数秒の静寂。
次にケティオスが口を開いたとき、声の質がまたひとつ落ちていた。
「――外れてるよ」 淡々とした軍人の声だった。
「カナタさんは、隊長を好意的に見ている。それは事実だ。
――立場上、言葉を選んでいる可能性はある」
ユウナギは、反論しない。 ただ、視線を伏せたまま拳を握る。
ケティオスは続ける。
「ひとつだけ。“兄として”じゃない。特殊部隊の一員として言っておく」
空気が、ぎゅっと締まる。
「何かあるわけではないが――
タシト隊長を詮索するのはよくない。
部隊は、常にあの人の指示で動いている」
ユウナギの背中が冷える。それでも静かに返す。
「狙われていませんか?」
「……え?」
初めて、ケティオスの声が揺れた。
ユウナギは、はっきりと言う。
「タシト隊長。狙われているように思うんですが、
……それも、隊長の指示ですか?」
「……証拠は?」
ケティオスは、それでも感情を出さない。
だが、その静けさは“探っている”静けさだった。
「――警備ドローンです」
ケティオスの視線が、わずかに動く。
その微細な反応を、ユウナギは見逃さなかった。
「巡回が増えただけなら、違和感はありません」
「でも、配置が“守る”形から“囲む”形に変わった」
「まるで、“何かを逃がさないため”みたいに」
ケティオスが、わずかに息を吸った。
沈黙。
ケティオスはしばらく黙った。
車の外では学生たちのざわめきがある。だが車内だけは、世界の音が止まったようだった。
「……推測だ」
――緊張が、空気の中で確かな重みを持ちはじめた。
「――ユウナギくん。
これ以上は、君の領分じゃない」
それは脅しではなかった。
ただの“事実”の宣告だった。
(第四十九章・了)
ほんのわずかな違和感は、 見過ごされることの方が多い。
けれど、 それを“見過ごさない誰か”がいたとき、 世界は静かに形を変え始める。
まだ誰も、 その中心がどこにあるのか知らないまま。




